壊された書籍
まず私とお兄ちゃんはカイラから下巻を受け取って中身を読んでみることにした。というか、まずはお兄ちゃんが眺めて考えるって話。下巻の内容は、現在の都市計画を詳しく書いていた。
「まずは商業区、居住区、行政区、学区、交流区とかの地域区分だね。僕たちの学校は学区、学生寮は居住区、お買い物やお食事のお店は商業区だ」
言われてみれば、それらはたしかに距離があって面倒くさいと思ったことはある。その代わり、お兄ちゃんが私のことを学校に迎えに来るのが楽なんだけど。
「でもカイラの家って遠いよ?」
「特別な貴族や防災担当の騎士の詰所は行政区内にあるんだ。あと、魔道王の塔は交流区の中心で、遊園地とかもその近くだね」
「遊園地!」
言われてはっと興奮する。色々あってまだ行けないけれど、いつかお兄ちゃんと行きたいところ。お兄ちゃんは小さく笑って、でも難しい顔で続ける。
「この本によれば、遊園地は都市計画のかなり早い段階で設定されている感じがする。はっきり遊園地とは書いていなくて、公園ってなってはいるけどさ」
続けてお兄ちゃんは次の章に進み、今度は黙々とめくっていき、ぱたりと本をいったん閉じた。
「次は道路水道編。物流動線、その道路幅や路盤厚の標準化、供給水量と石造り水路の維持管理手順。あと避難路とか河川氾濫の想定とか」
「なんか、大規模実務コースのガイダンスで先生が話してた気がする」
私はあまり興味がなくて聞き流していたんだけど。お兄ちゃんも苦笑して、そっちの専門技術ばかりでよくわからないや、と頭をかいた。まあでも、私たちの今の目的にはあんまり関係ない気がする。
お兄ちゃんはそのあとも再び開いてめくっていき、目を閉じて言った。
「アリス、リルの記憶で見て、元の都市からの大改造はこれらをやるのに必要だったわけだよね」
言われて私は考え込んだ。魔道王時代の帝都は基本、軍事優先かつ私の攻撃魔法支配優先という、ある意味異常な都市構造だった。そこから大きく変えるのは当然。
思いかけ、ふとおかしなことに気づいた。お兄ちゃんと初めて、塔に帰ったときのこと。私のいた帝都は同心円というか渦巻というか、そういう構造だったのに、今は格子状になっている。設計した人からみて、これが効率的だったんだろうけど、少し手間がかかりすぎだと思う。少なくとも私リルがそんな大改造の提案をされたら、その資金とかについて念押ししたはず。
「ねえお兄ちゃん。帝都の渦巻型都市を王都の格子型都市に改造するために必要な予算、概算できる?」
お兄ちゃんは私の質問に首を傾げて目を閉じ、しばらく考え込んでから両手を挙げた。
「材料が少なすぎて簡単には計算しようがないよ。ただ莫大な費用だよね。費用対効果を考えると、そこにどれだけの効果を積むのか不思議な気がする」
お兄ちゃんの言葉に私もうなずく。そう、不自然。やっぱりこの王都は不自然な設計をされた都市なんだ。さらにお兄ちゃんは付け足すように言った。
「その理由がどこにもないんだよね、この下巻は。あと、意図的なのか王城については『国防編』ということで上巻になっているんだ」
感じ悪い。いかにも機密や歴史の核心になりそうな胡散臭い部分ばかりが上巻に集められている。いや、だから上巻だけがないのか。お兄ちゃんは考え込み、私に囁いた。
「アリスさ、この布表紙だけ取り去ることってできないかな」
布だけ剥がすって難しいな。私はうー、とうなって先日の実業魔法実習の課題を思い出した。爆炎による加熱と土魔法による保護。本は紙、すなわち木の性質だから土魔法の支配を受ける。
「布、無くなってもいいかな」
「あとでカイラに謝る」
お兄ちゃんの許しを得たので、私は本に右手を置いた。本の表紙と中の紙へ土魔法の魔力を限界まで注ぎ込んでいく。急激な魔力の奔流で本棚が軋む音を鳴らした。そこで私は一気に左手で爆炎を熾して本を一瞬だけ包む。
「はい、消えたよ」
「ちょっと、とんでもない魔法だね。でも先日の課題、結構使えるね」
先生の評価は乙だったけれど、お兄ちゃんにほめられたのでうれしくなっちゃう。お兄ちゃんは布のなくなった表紙をあらためて丹念に確認した。私も一緒に見ていて、ふと変なことに気づいた。
「お兄ちゃん、この本やっぱりだらしない気がする。背表紙が日焼けしてるよ」
私の言葉にお兄ちゃんはそうだね、と答えてから慌ててもう一度背表紙を見直した。
「アリス、お手柄だよ!」
私は意味がわからず首をかしげた。お兄ちゃんは本の表紙を軽く叩いて言った。
「この図書館は、それほど管理は悪くない。あと布表紙を張られたあとは日焼けするはずがない。つまり、この本は限られた日焼けするような場所に置かれていたってことだよ」
「それって、どこ?」
お兄ちゃんは少し考え、膝を叩いた。
「カイラの勘はばかにできないな。絶対に専門書だと思っていたけれど、専門書の場所は奥まった場所だから違う。もっとみんなが読む場所だ。つまり児童書か小説の場所だよ」
お兄ちゃんの言葉に私はうなずく。そしてお兄ちゃんは続けた。
「どうせ児童書はカイラが見ているから、僕たちは日当たりの良い小説の場所に行ってみよう」
私はうなずくと、お兄ちゃんとともに立ち上がった。
小説の棚に来ると、そこは読書机も並んでいて明るい区画でかなり広かった。本は著者の名前順に並んでいるけれど、困ったことにこの「帝都改造史」は作者名が載っていないというこれまた怪しい本だ。
「ねえお兄ちゃん、この本って小説の場所にあったんだったら、帝都改造なんてお話じゃないの?」
「そうだね。お話だよ。だって王都が昔、全部が螺旋状だったなんて荒唐無稽なお話にしか聞こえないし」
「何、それ」
お兄ちゃんの言葉に私は首を傾げる。お兄ちゃんは私をじっと見つめて言った。
「ねえアリス。アリスは、リルじゃなくアリスは、全部が円でできた街って聞いたことある?」
「そんなの当然」
言いかけて私は絶句した。そんなの聞いたことがない。私の中のアリスはそんなのありえないと言っている。間違いなく、そういう街だったとリルは知っているというのに。そう、全てが螺旋型でできた帝都なんて、現代の常識ではありえないんだ。
「僕の想像だけれど、この本は事実を書いたのに、架空のお話として扱われたんじゃないかな」
足元が急に崩れたような錯覚が起きる。だって私が生きていた時代、それが物語だと思われるだなんて。
「思われるように、仕掛けた奴がいる」
そいつの名前は。今は言う必要もない、あいつだ。カイラを乗っ取りかけたあいつ。お兄ちゃんは私の頭をぽん、と叩いて言った。
「あとはしらみつぶしだ。僕は上の棚を見るから、アリスは下の棚をずっと見ていってくれ。それから、変な布張りや包装している本は気をつけて」
私はうなずくと、自分の背丈の届く範囲を順番に見始めた。
一時間ほど表紙を見続けた。カイラやルイーザみたいな小説好きなら眺めているだけでも楽しいのかもしれないけれど、私もお兄ちゃんもそれほど小説が得意じゃない上に、とくにアリスとしては児童書の方が合うわけで。正直けっこうきつい。でもお兄ちゃんも真剣に見ているので手も抜けない。
と、足元の妙に重厚な本が目に入った。革張りで「夢想歴史小説設定集」。小説の舞台となる架空の国を書いた設定資料集だそうだ。プロの小説家なんかが読むのかな。もう退屈していた私はその本をひきずり出してページをめくり始めた。
「何か見つけた?」
「夢想歴史小説集だって。私、もう飽きた」
お兄ちゃんも苦笑して横に座り、私のめくるページを覗き込んだ。と、お兄ちゃんは首を傾げた。
「アリス、この本って一つの設定だけじゃないんだよね」
「色んな国が入っているみたいだよ」
お兄ちゃんは私から本を受け取るとめくっていく。私はその手元を見ていて、ふと変なことに気づいた。
「その本、真ん中だけ汚いね」
お兄ちゃんは私の見ていた本の天を見て、変色しているところに指を入れてめくった。そこには素っ気ない文字で章の表紙があり、「改造帝都」とあった。
「お兄ちゃん!」「アリス!」
お兄ちゃんは少し震える手でめくる。その先にあったのは、帝都改造史総論、という文字。お兄ちゃんは慌てて本の序文を読んだ。
「この本、酷い本だ。幾つかの古本を図書館で一冊にまとめて閉じたものなんだ」
「何それ?」
お兄ちゃんは額に指を当てて意味がわからない、とだけ言う。ほんと、酷いことをしてくれる。でもとにかく本が見つかった。私とお兄ちゃんはとりあえず本を作られた理由は無視して、本の中身の謎に挑むことにした。




