パスタソースの友情
「屈辱だあ」
魔法実習の失敗でカイラに敗北した私の叫びにみんなが笑う。とくにカイラなんてひっくり返って笑い転げる。あんたお嬢様でしょ。
「アリスさんには致命的な弱点があるんですね。あとカイラさんは急に才能に目覚めたのでしょうか」
シリルの言葉に、私は口を尖らせカイラは曖昧な笑みを返した。
今は医療魔法の基礎実習中だ。そう、私リルが苦手どころか壊滅的に使えない魔法体系。破壊につながらない魔法に、私リルの魔力は異常なほど相性が悪い。アリスの魔力と知性だけでなんとかするんだけれど、明らかにリルの魔力が足を引っ張っている。
傷をつけたネズミを治療する実習なのだけれど、私がやると逆に傷が開くことすらある。逆にカイラは易々と治療し、そのうえネズミの隠れた病気まで治してしまったのだ。完全に私の完敗。
まあわかっていたことだけれど。あとカイラの成長はジュピターの影響だということも、カイラには釈然としないみたいだ。あとカイラには、今も普通には話しにくい。なんて言うか、わからないけれど。
嫌悪感、とは違うんだけど。その渦巻くわけわかんない気持ちは全然、カイラになんて責任はないのに。
そんな迷いがなおさら私の集中力を削いでしまう。
くしゅん、と小さいくしゃみをした。お兄ちゃんの言うとおり学校に通い、何も起きていないけれど余計な緊張をしていて、何だか疲れが溜まっている気がする。
「アリスちゃん、大丈夫?」
私に癒しの光を当てようとしたカイラに私は口を尖らせた。
「まだ人にやっちゃ駄目ってハンナ先生に言われていたでしょ」
「そっか、そうだったね」
舌を出して笑うカイラ。全く仕方ない子だ。やっぱりこういうとこは変わらない。
いや変わったのは私の方か。こんな気持ちがぐちゃぐちゃのときによりもよって医療白魔術コースの集中授業だなんてほんと、ついてないと思う。むしろ戦闘魔法だったら。
戦闘魔法なら。
私は両手を見つめた。私リルは両手を見つめた。あまりにも多くの人を殺めたはずの手は今、無垢のアリスの手になっていて。この手を穢したくないという酷く自己中心的な思考に苦笑する。
「アリスさん、実業コースを選んでいるのですし、ゆっくりゆっくりで良いのですよ」
ハンナ先生の柔らかな女性らしい声に私は我に返った。私はぼんやりと先生に目を向ける。先生は包み込むような優しい笑顔で続けた。
「医療白魔術コースの授業ですから当然、その魔法を使えるようになっては欲しいのですけれど」
今度はみんなに向かって話を続ける。
「先日のキノコあたま病があったでしょう。王都民は皆さん、王宮の指示どおり水を煮沸して飲み、水浴びを避け、そして発症者は閉じこもって何とか収まりました。魔法には限界があります。お薬にも限界があります。最後は私たちの生き方と、思いやりです」
シリルは眉をひそめて手を挙げた。先生に促されて発言する。
「思いやりという言葉は、ずいぶんと感傷的ではないでしょうか。魔法や病魔にそのようなことで対処できるものでしょうか」
「もう一度言います。魔法にもお薬にも限界があるのです」
先生の言葉にみんな首を傾げる。と、おずおずとカイラが手を挙げた。
「それって、あの、お互いにうつしちゃ駄目だとかー、少しずつ自分も我慢しようみたいな気持ちですか」
先生はゆっくりとうなずいて答えた。
「気持ちだけでは駄目なのですけれど、そういう気持ちが注意を呼び、お互いを守るのですよ。でもこれは、病魔だけではないと先生は思っています」
「それは何でしょうか」
シリルは少し苛立った感じで質問する。シリルは頭が良くて理論的だからね。でも先生は全くシリルの態度を気にする様子もなく答えた。
「また言いますね。魔法には限界があります」
私リルは考え込んだ。魔法に限界は、あるけれど。でもそれは能力次第で突き破る、食い破ることが。
私アリスは感じた。何でも食い破ろうとしちゃいけないって。一人ではできないって。そんなことをしているといつかまた、アリスの手だって。嫌な汗が体を伝い始める。唾を飲んで呼吸を整えた。
「魔法には限界があります。かつての大魔王リルは、その限界を超克しようとして、むしろ全てを失った気がします」
私の名前が呼ばれた。また空な視線を先生に向けてしまう。先生は少し硬い声で続けた。
「あまり公には言えないことなのだけれど、大魔王リルの記念館を見ていると、寂しい人だった気がするのですよ」
私はふうっと溜息をついた。ふわりと私の手を誰かが握った。顔を上げると、右手をカイラ。左手にはルイーザ。そう、今の私の手は穢れていない。そして私の手を握ってくれる人がいる。
今の私は、孤独じゃない。私は先生を見つめ、そしてゆっくりと笑みを作る。先生は首を傾げ、わかってくれて嬉しいですよ、と微笑んでくれた。
「そこで行きたいのがこの店なんだよね。絶対に美味しいと思う!」
休み時間に、カイラが一枚のチラシを私たちに突きつけた。ダイエット効果最高のキノコパスタ専門店。キノコですか。私とルイーザは苦笑して首を傾げた。
「キノコってダイエットに良いんですって。体にも良いそうだし」
「頭で育てて食べたら良いんじゃないかな」
私の言葉にルイーザは深く深くうなずき、カイラはあーと小さく叫んで机に突っ伏した。アホかこの子は。医療魔法で少しだけ見直したけど、やっぱりアホだった。
それでもカイラは未練がましくチラシを見つめ、また再び笑みを浮かべた。
「これならどうかな。キノコじゃないよ。美味しそうだよ」
カイラの指差したところにあったのは海藻サラダと海藻入りシーフード冷パスタだ。色とりどりの海藻が宝石みたいに輝いていてかわいい感じのパスタ。ルイーザも笑みになって私に目を向ける。
「勝手にご飯食べて帰るわけにはいかないかな、お兄ちゃんがご飯用意してくれるから」
「それなら伝言してもらえば良いじゃない。ちょっと私、ビアンカさんにお願いしてきてあげる」
ルイーザは言ってそのまま階段に向かった。上級生を使い走りに使おうとかルイーザすごいな。カイラはもう味を想像しているのかだらしない笑みを浮かべている。
「大丈夫だって。放課後に三人で行こうよ」
ルイーザの言葉に私は肩をすくめつつ、わくわくが止まらない気持ちになった。
だって私、お兄ちゃん以外の人と外食するなんて初めてだし。
カイラの方向音痴のせいで少し遠回りしつつ到着した店は、何だか変てこだけれどかわいらしい外装の店だった。屋根にフォークが突き立っており、外壁はパステルピンクでパスタをイメージしているらしいでこぼこになっている。扉はサラミソーセージを束にしたような形の材木の束だ。カイラがノブを引くと、涼やかに鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ、三人様ですか?」
現れたのはエルフの女性だった。エルフは植物が得意だと聞いているから、海藻やキノコっていうのもそういうことなのかもしれない。私たちは案内されるままに着席してメニューを眺める。
カイラは結局、キノコの森パスタ。ルイーザはスパイシーパスタ。そして私は海藻花園パスタ。ルイーザのパスタは香り豊かだそうだけど、やっぱりスパイシーと聞くとお兄ちゃんと一緒に行って辛さに負けた記憶があるから手を出せない。
お兄ちゃんと一緒に行ったお店。今年は色々とありすぎて何だか遠い話のように思えてくる。考えてみれば今はもう夏も過ぎてしまっていた。
「ほんと、色々あったよねー、アリスちゃん」
「貴女たちの話を聞くと、頭がくらくらしそうなほど盛り沢山じゃないの」
ルイーザが呆れた声を出し、カイラが快活に何も考えていない声で笑う。こういう何気ない時間が大切なんだって、私は今を噛み締めた。
カイラは少し真面目な表情になり、私たちを見回した。
「私ね、白魔法医療コースに進学しようと思う」
まあ、才能が花開いたんだから当然だよね。でもカイラは私たちを見回して視線を落とした。
「でも白魔法医療コースって、お薬のお勉強も必要なの。お薬のお勉強は暗記と数学が必要なの」
「大丈夫、かな」
ルイーザが引きつった表情でカイラの肩を揺する。ルイーザもあまりそっちは得意な方じゃないけれど、カイラは指折り計算するんじゃないかってほど計算が苦手だ。開発魔法なんて夢のまた夢って感じ。
「大丈夫じゃ、ないんじゃないかな」
言っちゃったよ自分でこの子。私は呆れて溜息をついた。ルイーザも額に指を当てて考え込む。
「才能はあって実習はできても、理論の方が無理だよね」
ルイーザの残酷かつ的確な分析にカイラは突っ伏した。私はカイラの頭をぺしりと叩いて言う。
「仕方ないから、お兄ちゃんの特訓でも受けたら?」
「カンヴァスさんと二人きりの授業?」
「そういう変なこと考えるなら協力できないかな」
「アリス様、それは勘弁して!」
全く、と言って私は笑う。ごめんお兄ちゃん、勝手にカイラの家庭教師を決めちゃって。三人で笑って、私たち三人の気持ちがパスタソースとパスタみたいに一体となった感じがした。
そして到着したパスタは、控えめに言っても最高の味だった。
 




