マッシュルームの魔法
「私、どうしよう。お父様ならなんとか」
カイラが安易な解決を口にしたけれど、当然ビアンカさんは叩き切る勢いで否定する。
「それは絶対に駄目だ。君の父君も、ジュピターの命で動いている仕事は多くあるはずだ」
一同が沈黙する中、サリーがようやく口を開いた。
「とにかく五百年間、何もなかったわけっすよね。金の流れは怪しいぐらいで。むしろ平和な国だったわけ。私みたいなのが好き勝手に実験もできたし」
「それはむしろ、平和ではない証拠のようにも思えますわ」
すかさずセーラさんがつっこみを入れ、サリーは肩をすくめる。でも話はそのまま続けた。
「何にしろ、五百年の計画なのか、五百年も警戒していたのかは知りませんが、とにかくそれほど長い時間をかけて準備してきたわけですよ。ということは、今さら急に過激な動きをするとは思えないんだよね」
サリーの言葉に一同がうなずく。けれどお兄ちゃんが声を発した。
「ジュピターはカイラさんは解放して本命に移る、と言っていた。もしかして他に誰かを支配しているんじゃ」
「まさか、うちのお父様お母様」
「それはない」
声をあげたカイラに、ビアンカさんは冷淡に否定をぶつける。カイラは珍しく気色ばんで言い募る。
「私は正直、ジュピター様の言われたとおり出来損ないだよ。でもお父様お母様は我が家でも優秀と名高い方々だから、そちらが本命で何がおかしいの」
「最も手近に本命がいるのに、カイラから仕掛けて遊ぶような不用意な者には思えないんだよ」
冷静なビアンカさんの返しにカイラは今さら気づいたらしく、あ、とだけ呟いて黙り込んだ。お兄ちゃんは全員を見回して続けた。
「おそらく現在の国王はすなわちジュピター。それなら僕たちの動き、学籍なんかすぐに掴めるわけで、僕たちをどうかしようと思っていれば、もうとっくに襲われていると思う。それがないってことは、当面は何もないと思うんだ」
「それって安易すぎない? なんかこう、警戒魔法とか色々と」
サリーの提案にお兄ちゃんは首を振る。
「たぶんそういう何かは、またジュピターの興味をひくだけだと思う。向こうの思惑は分からないけれど、その『本命に移る』ことについて、アリスを含め僕たちは何もできないと向こうは思っている」
「実際、調査しようにも当てが無さすぎて私も調べようがないね。開発魔法の深淵と五百年の歴史と王宮の権謀術策に通じていれば何とかなるのかもしれないけれど」
ビアンカさんは悔しそうに魔法短剣を手元で振り、机に投げ出した。お兄ちゃんは深い溜息をつくと、驚くことを言った。
「これからはまた、知らない顔で普通に学校に行き、真面目に勉強することだよ」
「それだけかい」「学校も怖いです」「どうしてそうなるんですの」「いや勉強というか研究は好きだけど」「できれば飲んでいたいけど」
各自が声をあげる中、私とくまさんは苦笑する。そしてくまさんが声を発した。
「五百年もかけて徹底して子どもの教育を重視してきたジュピターは、本音が何かは知らないけれど、とにかく能力ある子どもは学校に納めたいと思っているはずだ。つまり普通に学校に通っている限りジュピターは、僕たちに積極的な攻撃はしてこない」
お兄ちゃんは満足そうにうなずく。でも、それだけではジュピターの企みを止められない。するとお兄ちゃんは見透かしたように答える。
「止められないよ。僕たちは知らないことが多すぎる。それはアリスも含めてだよ」
私は答えられない。本当なら私リルなら。
良くない思考が頭を掠め、それをアリスの部分ではなくリル自身が否定する。リルが次第にアリスに寄ってきている。それは私全体としては複雑だけど嬉しいことで。でも、それは。
魔道王リル、大魔王としての精神を喪ったらジュピターと対決できるだろうか。
「今回の撃退は、大魔王リル一人だけでやったわけじゃないだろう」
お兄ちゃんはゆっくりと宣言するように言う。私は思い出した。破壊しかできない私リルだから、カイラを救いつつ戦う方法はあれが最善だった。でもあの選択ができたのは、みんながいてくれたから。
それはダークマター、スルト、そしてジュピターと一緒にいた頃とは違って。全ての破壊を司っていた頃とは違って。私は納得しきれないもののゆっくりとうなずく。
ふとなぜか、アデリーヌと別れたときに食べたシャーベットのことを何の関係もないのに思いだしていた。
サリーとレティーナはキノコあたま病の原因の責任で二週間の謹慎処分を食らった。やはりと言うべきか、この処分ではルイーザの家の騒動は入っておらず、国の防衛隊は魔法暴走によるものという調査結果になったそうだ。お兄ちゃんは防衛隊の人に話を聞かれたそうだけれど、騎士学校だったら魔法のことは分からないよね、ということであまり話を聞く気がなく、お兄ちゃんも話したくなかったからうまく収まったらしい。
サリーは寮内でしばらく研究、レティーナは残していたとっておきのウイスキーを飲み比べするそうだ。この二人は結局のところ、反省という言葉を知らないらしい。まあ、ビアンカさんが毎日反省文を徴収するそうだから、少しは面倒臭いんだろうけど。
そして、私とお兄ちゃんはと言えば。
「今日はオムライスにしたよ」
お兄ちゃんは真っ黄色い小さな枕のようなオムライスを二つ、私とお兄ちゃんの前に置く。枕のような、というのは、その黄色い枕に頭を置いた、チーズと香草でつくったかわいいくまさんがいたからだ。
「このオムライスのトマトは、ベアトリスさんからいただいたものなんだ」
くまさんのお土産か。さすが果樹園マスター。でもなんでトマトなんだろ。お兄ちゃんは小さく笑ってスプーンを私に手渡す。
「ベアトリスさんの好きな料理にトマトが必須なんだってさ。今回の騒動ならではだよ」
意味が分からない。とりあえず私は黄色い枕にスプーンを刺す。とろりと固まりかけの黄身が流れ、ふんわりと熱い蒸気がかかって慌てて顔をひく。続けて中のチキンライスから立ち上るトマトの鮮烈な香りと、なんだろう。私はチキンライスをすくって口に含んだ。
チキンと一緒に不思議なこりこりとした食感が歯にあたる。マッシュルームだ。
「ベアトリスさんは果物の次にキノコが好きでね。キノコあたま病と聞いてトマトを持ってきたそうだ」
「食べる気だったの?」
お兄ちゃんは苦笑して自分でもオムライスを口にする。二人で食べるオムライスは、本当に幸せで。でもオムライスの陰にある酸味は、どこか私たちの未来を予感させている気がした。
「アリスはさ」
お兄ちゃんは食べながら言葉を選びつつ言う。
「アリスは昔のことなんて気にしなくて良いと思うんだ」
私はうなずきつつ言い返す。
「アリスは気にしなくて良いよ。でも私は、魔道王リルでもある」
私の赤眼が強く紅い光を発するのがわかる。でもお兄ちゃんは全くひるむことなく答える。
「でも今はアリスでもあるし、それに今は魔道王でも、まして大魔王なんかじゃない」
お兄ちゃんの言葉は正しい。でもその正しさは無責任で。
「私は、そこまで無責任になれないよ」
「じゃあ僕も、その責任って荷物を一緒に背負ってあげる。僕はお兄ちゃんだから」
「貴方は、大魔王リルの」
私は言って口ごもる。私リルにとってカンヴァスという人は。
深く考えようとしてもよくわからない。考えようとするとリルが混乱してアリスへ任せてしまう。
いや違う。私リルは、カンヴァスのことを。
どういう関係かなんてそんなの抜きに。
大魔王と呼ばれる所以のありえない感情。
このカンヴァスという人物のことが。
ありえないほど好きなんだ。
その好きな人にとって私はとても危険で、傍にいるだけで傷つけかねない存在で。でも冷静に遠ざかることすら考えられないほど、私はお兄ちゃんが好きで。
「このマッシュルームも、何か魔法がかかっていたりして」
自分で言っておいて。白々しい言葉に頰が熱くなる。でも私は続けた。
「お兄ちゃん」
私はあらためて声をかける。お兄ちゃんは首を傾げて私をじっと見つめる。
「お兄ちゃんは」
言葉が切れてしまい、またお兄ちゃんをじっと見つめ、そして私はやっと続けた。
「ごめんね。お兄ちゃんだけは、ずっと私の傍から離れないで」
お兄ちゃんはうん、と笑って、私の頰についた米粒をつまんで食べると、私の頭を優しく撫でてくれた。