マリオネットは誰だ
「久しいねジュピター。愚鈍で裏切り者の弟子が今さら何しにここに現れた? 死んでおけ」
私の言葉にカイラ、いや、ジュピターは私の嫌いな、上品な貴族風の笑い声を発した。
「陛下はずいぶんと可愛らしくなられましたな。お言葉があまりに似合いませぬぞ」
言って魔法杖を揮い、私たちに氷の槍が数十本あらゆる角度から襲いかかる。私は鼻で笑ってその槍先にぴたりと炎の矢をぶつけて蒸発させる。
「お前と遊んでいる暇はない。良いからカイラを戻してとっとと眠れ」
床を踏んで私も魔法杖を揮う。闇が天井に口を開け、醜悪な亡霊たちがカイラの魔法杖に襲いかかる。だがそれもカイラの魔法杖が一閃、薙ぎ払ってしまう。
「この娘、本当に愚鈍ですが邪法を祓う素質だけは私より優れているようです。まあ、頭がついていかないようではありますが」
「お前のような邪霊に取り憑かれている時点で怪しい素質だね」
「陛下ほど邪悪な者はそうおりませんよ」
二人で嗤う。喉が渇く。私の中のアリスが泣き声をあげる。まだ、まだ待って。
私リルも。
カイラのことは助けたいから。
この王国の国民を傷つけたくないから。
お兄ちゃんたちと、また笑っていたいから。
だからアリス、待って。
私リルはアリスに言い聞かせる。アリスが大人しくなる。
まだ私はジュピターがなぜ復活したのかよく分からない。何より、復活して何をしようとしているのかよく分からない。でも王都民を凍結して治療、という話は朝に見た夢と似ていて。
それは今、過去の現実で感じられなかった禍々しさを感じていて。
今、私は確証している。
ジュピターは賢王でも善良なる統治者でもない。
「さっきはカイラに言わなかったけれど、国の統治には暗部があるんだよ。大魔王リルの統治は本人が真っ黒だったけれど、ジュピター以後の統治は隠されている。カイラ、聞こえる? 聞こえてよ」
ビアンカさんが私の背中に寄って言葉をカイラに投げつけた。だがジュピターはまた愉快そうに笑った。
「証拠はないでしょう。今の皆さんは平和に暮らしているでしょう。安全な学園生活を送っているはずですよ」
「大魔王リルを狙ったとされる、負の遺産の魔法罠の解除に大量の税金を使っているよね、カンヴァス」
急にビアンカさんはお兄ちゃんに言葉を振る。お兄ちゃんは慌ててうなずくと答えた。
「毎年着実に処理しているけれど、量が多すぎて予算額が減額できないんだよ」
ビアンカさんはセーラさんに向かって言った。
「君たち騎士学校を卒業した騎士たちは五百年間、その魔法罠と戦ってきたんだよね。色々な魔法罠と。魔法呪文の中身が分からなくても、ね」
「それはそうですわ。敵が正体が判明しないぐらいのことで臆する者など、騎士ではありませんわ」
ビアンカさんは大胆に鼻で笑った。
「そう、どんな魔法か全ては検証されていないわけだ。それが開発魔法でさえあれば、古代の魔法だとね。例えば今のキノコあたま病だって、大魔王リル討伐用の疫病だったと言われれば多くは信用するだろうね」
ビアンカさんの言葉に、私はカイラを見つめる。ジュピターが先ほど放った魔法はカイラの素質を使ったもので。それはつまり、ジュピターがかつて使ったものとは限らないわけで。そして再び、朝の夢が頭の中で回る。たしかに私はあのときも暴虐の魔法で戦った。王都民は治療前にジュピターが凍結し、そしてダークマターに任せた。
でもその指示は。私は指示した覚えがない。
それ以上に、なぜその結論に達したのかわからない。
ふと、天井に吊り下げられたルイーザの球体人形が視界に入った。魔道王リルが最強で残虐性のある存在だった、穢れた存在だったことは自明。自分で言うのだから間違いはない。
けれど。
でも私は残虐さを楽しんでなんていなくて、むしろ自分と国を護ろうとしていて。
破壊することでしか護れないって思っていて。
思い込んでいて。
思い、込まされて、いたのかも、しれない。
喉が渇いた。
いつの間にか、そっとお兄ちゃんが私に水筒を差し出してくれる。口に含むと、セーラさんの所で味わったびわの香りがうっすらと漂い、私の乱れた気持ちが静まっていく。
魔道王リルとして相対しているつもりでいたのに、普通にお兄ちゃんのジュースを飲んで美味しいって思えた自分に、私はどこかジュピターへの勝ちを感じた。
「本当に陛下は、変わりましたね」
ジュピターは言って、頰に一筋の汗を流した。
「氷の魔道士・ジュピター。もう五百年経っているの。カイラに体を返してあげて」
ジュピターはカイラが浮かべようがなさそうな嫌味な笑みを浮かべた。
「陛下は、変わりましたよ。世間では良い方向でしょうが、それは弱さでは」
言っていきなり氷の刃で自らの喉を掻き切った。
いや。
私の炎がカイラの手を焼く。ごめんカイラ。
「貴女はやはり、相変わらず人に在らざる者か!」
「カイラの顔で憎悪を向けるな馬鹿!」
私は叫んでカイラの周囲に爆炎を発生させる。
「逃さない!」
「それならこの娘ごと、体を焼いてやる!」
ジュピターが私を嘲笑う。
と。
私はいきなり爆炎を打ち切って水壁で包囲した。だけどカイラはそのまま私から反対側の水壁に走る。
でも私には。
チン、とお兄ちゃんの算盤が鳴った。
水壁を打ち切りたたらを踏んだカイラの前にはセーラさんが立ち塞がり、そのままカイラを剣で吹っ飛ばしたところでビアンカさんが待ち構えていた。
「さて家庭菜園の時間だよ!」
ビアンカさんはお兄ちゃんに背負わせていたものと違う、泥色の液体をカイラにぶっかける。さらにセーラさんはポケットから取り出したくまさんの人形を放り投げて真っ二つに斬った。途端に中から飛び出した液体がカイラに降りかかった。
「小娘たち、こんな液体で何が」
「時間です」
お兄ちゃんの言葉で私はこっそりと温めていた室温を下げる。
カイラの頭に巨大なキノコが突然生え、そのままバランスを崩してぶっ倒れた。
「氷の魔道士ジュピター、魔法学校と騎士学校の学生に負けちゃうの巻」
私の言葉にカイラの声で、ジュピターが呻き声で応えた。
「何を、した」
「室温を上げつつキノコの胞子液をぶっかけて、セーラさんのお兄さん特製液体肥料を施肥してみました。キノコが生えるまでの条件温度と時間はお兄ちゃんがずーっと測っていたの」
ジュピターは黙り込み、次いで壊れたように笑った。
「お兄ちゃん、ですか。陛下は何とも、こんな」
私はまた魔道王の声に戻って告げる。
「さあジュピター、魔道杖に戻ってカイラを解放しろ」
するとジュピターは低い声で言った。
「ええ、解放しましょう。やはりこの出来損ないは解放しましょう。そして本命へと移りましょう」
いきなり建物全体に氷柱が林立し、そして天井の一点に集中する。天井はそのまま突き破られ、さらにその一点に太陽光が入ると怪しく乱反射し、そしてジュピターの魔法杖が砕けた。
王都全体から螺貝のような音が鳴り響いた。窓から覗くと規則正しく組まれた王都の道路が発光し、その格子の光が先ほどの一点に集中する。
「また、お会いしましょうか陛下!」
ジュピターがカイラの声で最後の叫びをあげる。
青黒い煙がカイラから立ち上って天井の一点に集まり、そのまま一筋の光線となって空を突き抜けていった。
「カイラごめんなさい!」
「大丈夫だよー。ビアンカさんの医療魔法、すっごい上手だったから大丈夫ーだよ?」
頭にキノコを生やしたカイラは、笑ってひらひらと手を振ってみせる。たしかに機能的には問題はない。
でもカイラの手の甲にははっきりと皮膚の引きつりが残ってしまった。
私がカイラを、傷つけた。
「アリスちゃんは、リルさんは私を悪い御先祖様から助けてくれただけでしょ」
カイラは笑って私の頭を撫でる。でも私はカイラから後ずさる。
「ごめん、なさい」
「だからアリスちゃん、リルさんは」
カイラが言葉を重ねようとしたところ、ルイーザが言葉を遮った。
「アリスさん、というか大魔王リルというか、いずれも頑張ったのでしょう。でも傷つけたのだから満点ではないでしょう。満点じゃないってカイラも認めた方が良いんじゃない? 今は」
「そりゃたしかに、舞踏会とかは困るかな」
私は上目遣いでカイラを見つめる。するとカイラはいきなり両手を拳骨にして、私のこめかみをぐりぐりした。痛いい痛い! と声をあげちゃう。するとカイラはまた笑って言った。
「はい、これでアリスちゃんリルさんへの罰は終了っと」
セーラさんが呆れた顔で溜息をつく。お兄ちゃんは少し乱暴に私の頭を撫で、カイラにありがとうと声をかけた。ビアンカさんは私たちを見回して柏手を打った。
「はい、今回はこれでいったん終了。今はまず、王都救済が先だよ」
するとセーラさんは窓の外を指差して言った。
「それはそれほど、大きい問題ではなさそうですわよ」
みんなで窓に駆け寄ると、路上を歩いているたくさんのキノコ頭が見えた。でもその上空を、レティーナとタライに乗ったサリーが飛んできては真っ赤な水をぶっかけ、すぐにキノコが枯れていく。
私たちはその場にへたり込み、力なく笑った。
ジュピターの脅威はまだ、ありそうだけど。
今は全員で笑った。




