キノコあたま病
「まったく。あの子はどこまで考えなしなんですの!」
ようやく王都に帰り着き、王都の門でビアンカさんから聞いた話でセーラさんは怒った。戦斧を背負って駆け出しそうな彼女をお兄ちゃんとビアンカさんが押し留めた。
「だから! なんですのその『キノコあたま病』なんて奇病。勝手に起きるものではないでしょう?」
「いやまあ、それはセーラの予想のとおりでさ。研究バカのサリーが実験中に放置したキノコを、例によって酒の肴を探していた酔っ払い人魚のレティーナが焼いて食ってテーブルに放置、残った胞子が寮内に拡散」
ビアンカが遠い目をして現場の魔法転写映像を私たちに提示した。なるほど、レティーナの頭に大きなキノコが生えている。他の寮生にも。なぜかサリーだけは大丈夫だが、泣きそうになりながら鍋をでっかいシャモジでかき混ぜている。
「唐辛子とワサビと玉ねぎとカラシとあと何だか秘密の薬を混ぜた蒸気を浴びさせると、一週間程度でキノコが枯れるんだそうだよ。何でも魔法の力で薬効が壊れやすいそうで、今は人力で混ぜるしかないそうだ」
「ビアンカさんは」
「ちょうど学校の合宿があって、胞子を浴びずに済んだ。今は寮内立入禁止、サリーは予め耐性薬を飲んでいたから罹患していないけど、治療法を知っているのはサリーと彼女のお師匠さんだけだから、治療担当として一緒に閉じ込めてある」
お兄ちゃんは私の肩を抱きつつ今後のことを尋ねると、ビアンカさんは頭をかきながら言った。
「落ち着くまでの間の寝泊まりする場所を探したら、カイラさんが空き部屋を使ってくれと申し出てくれたんで、私はそちらに厄介になっている。君たちの部屋も用意してくれているよ」
カイラの家。ちょっと私には良くない思い出がある。お兄ちゃんも私に目を落としたけれど、私は笑みを返した。ジュピターはジュピター、カイラはカイラ。それに今回、爆炎の騎士・スルトの件で少し、私にも変化があったように思う。そう思うことにする。
セーラさんも溜息をつき、さらに追加して質問する。
「そのキノコの胞子って、建物内に本当に閉じ込められますの?」
ビアンカさんは声を低めて答えた。
「気づいたあとに慌ててレティーナとサリーが防壁魔法を張ったから、そのあとは漏れていないと思う。人魚のティーナがいるから地下水についても確認はさせた。問題は、だ」
ビアンカさんは目を泳がせてさらに声を低めて私たち三人に囁いた。
「最初の発症までに一週間経っている。よりもよって、騎士学校所属の寮生が筋肉祭りとか言って王都内を筋力トレーニングしながら駆け回ったあとだ。汗を介して胞子が飛ぶらしい」
「そんな楽しそうな催し物を私のいない間に開催した天罰ですわ!」
セーラさんの叫びにビアンカさんは、ここにも同類が、と天を仰いで呟く。ビアンカさんも一応は筋肉系の人のはずなんだけど、セーラさんがいると頭脳労働チームになっちゃうな。まあ、頭脳労働を気取っているサリーは倫理観ずたぼろのトラブルメーカーだからそっちもお話にならないけれど。
ビアンカさんは私たちを見回すと、ものすごく嫌そうな表情を浮かべて言いにくそうに告げた。
「とりあえずカイラの家に行こう。それで万が一、万が一だよ? キノコあたま病が王都内に出始めたら、私たちもキノコ狩りだ」
「今日は良い日だねー。お友だちが四人も来てお泊まり会だよ」
到着すると、カイラが大部屋でいそいそとクッションやお菓子を用意し、執事さんが苦笑している。以前に私が体調を崩したこともあるけれど、何よりカイラの個人的な意向で例の屋敷での儀礼的な挨拶は省略となった。
後ほどカイラのご両親には儀礼的な挨拶を、という話はあったけれど、そちらも私が十歳ということを理由にして、お兄ちゃんとセーラさんが対応してくれるらしい。とくに今回はセーラさんがいるので、礼儀作法はお兄ちゃんもセーラさんに従えば良いということで安心だ。
それにしても、だ。お泊まり会。
「カイラさん、今回は本当にありがたいことではありますけれど、浮かれている場合ではありませんことよ?」
「でも、外にいる私たちなんて寮に近づかないことしかできないでしょう。あと王都内に胞子があっても見えないっていうしー」
それはそうですけけれど、と納得いかない様子のセーラさん。まあいつものカイラというか。それでも一応は考えるには考えている感じはする。
「アリスちゃんなら、もし王都内に胞子があったら胞子を焼き払うとかできるんでしょー」
前言撤回。やはり単に何も考えていない能天気だった。
「胞子なんて見えもしない細かいものだけ燃やすなんて器用なこと、できるはずないでしょ。王都丸ごと焼き払うなら簡単だけど」
「簡単、なんだ……」
ビアンカさんが少しひき気味で呟き、お兄ちゃんが私の額を人差し指で弾いた。ちょっと痛い。私は重ねて言った。
「それにキノコって結局は菌類でしょ。それは治癒系の魔法だから。私は、治癒系は」
言って何もない足元をげしげしと蹴る。やっぱり私は、駄目だった。治癒系の魔法はほぼ使えない。初級の魔法でも力がおかしな具合に回ってしまって、成績がぎりぎり。それも、アリスの部分が稼いでいる状態。
リルは。破壊しかできない。
そのことはお兄ちゃんもじゅうぶんにわかっている。わかった上で、でもさっきの私の言葉はなかったなと思う。思えるようになったなと納得する。それもスルトが言っていた、変わった私の一つのような気がした。
ビアンカさんはそんな私の頭をくしゃっと撫でて、話を引き取った。
「今、胞子が漂っているのか否かは掴みようがない。あとは発症した人がさらにキノコをばらまく形にならないようにすることだよ。だからキノコあたま病は見つけ次第に治していく。あとは寮と同じく隔離だね」
言ってビアンカさんは部屋の奥に積まれた虹色の液体を指差した。
「患者が出たらあれを沸かして吸引させる。このとき魔法は使っちゃだめという話だ」
言ってビアンカさんはセーラさんとお兄ちゃん、その後カイラへ視線を向ける。
「ということで万が一の場合は力仕事なので、よろしくお願いするよ。カイラは巻き込んで申し訳ないけど」
「私は世のため人のためは大好きだよー」
さすがカイラ。何も考えていない感丸出しだけど、根っからのお人好しだ。ビアンカさんは肩をすくめて言った。
「とりあえずこれから一週間、寮の出張所ということでよろしく」
「お料理上手なんですね、カンヴァスさんは。良いお嫁さんになれますわ」
「僕はお嫁に行かないけれど」
お兄ちゃんは苦笑しつつ、若鶏の甘酢焼きと、キャベツと昆布、しめじのスープをみんなに取り分けていた。甘酢焼きは私の舌に合わせて甘みの方を強めにしていて、スープは昆布だしと鶏がらのほんのりとした味わいに山椒も入っていて素敵な香り。
席にはビアンカ、セーラ、私、カイラ、そして執事さんも座っている。今回はお兄ちゃんが何かお礼をしたいと言い、夕食をつくることになったわけ。カイラさんのご両親はカイラが代表して受けてということになり、執事さんにはビアンカさんも含め色々とお世話になったということで、無理を言ってお付き合いしてもらうことにしたわけ。
「島で食べた料理と違って、でも美味しいね。ちょっと懐かしい気持ちにもなるし」
カイラの言葉に私たちは首を傾げる。お兄ちゃんの料理はたしかに美味しいけれど、庶民の安い原料でカイラの口から懐かしいって言葉が出ると変な感じ。
カイラは私たちの反応に気づいて、頬を人差し指でかきながらにへらっと笑って執事さんに視線を向ける。すると執事さんは溜息をついて外に目を向けた。
「いやー、魔法学校に入る前の、その、留学中ね? 勉強に集中するようにってお食事よりも勉強中心になっていてね。先生の手料理しかなかったのー」
留学、ねえ。ビアンカさんが小さく吹きだして言った。
「留学だか遊学だか留年だか知らないけど、カイラも苦労しているんだね。下手に難しい家に生まれたせいでさ」
「そうなの。私もサリーみたいな天才だったら良かったのに」
「当家は天災を防ぐことも責務ですぞ、お嬢様」
真顔で言う執事さん。冗談で言っているのか本気なのかよく分からないけど、今回を見る限りサリーは災害級だと思う。じゃあリルは何かといえば、それは大魔王だし。ただ、執事さんの言葉が変に効いたのか、カイラはうなずいて言った。
「私も三人衆筆頭の氷の魔道士・ジュピターの子孫だもん、万が一のときはお薬背負って走ります!」
「お嬢様、心意気はよろしいですがお嬢様が背負うなら馬車を使われた方が効率がよろしいかと」
また冷静な執事さんの言葉に私たちは笑い、カイラも頬をかいて恥ずかしそうにしながら、優しく微笑んだ。
そんなカイラのことが、今は好きになりかけていた。
本当に、なりかけて、いたんだ。