ローズヒップに辿り着いて
花束を抱えたセーラさんは、玄関で立ち止まったまま動かなくなった。ちなみにベアトリスさんは、果樹園に置いてあった予備のくまさんを着ようとしたけれど、セーラさんにずるいと言われて渋々ジャケットとスラックス姿で、セーラさんと並んでいるとおとぎ話の王子様と王女様のようだ。
でもこの二人、ひそひそと全然王子様と王女様じゃない会話をしている。
「やはり花束を贈るセーラから入るべきだろうね」
「そこはやはり、お兄様に兄の威厳をみせていただきたいところですわ」
お兄ちゃんが、ちいさく溜息をつく。まあ予想はできていたんだけど。というかさっきのスルトの方が絶対に危険だったと思うんだけれど。
「そこはアリスちゃん、人工魔獣の軍勢を蹂躙するのと、お兄様に叱られるのどちらが怖いと思います?」
「それはもちろんお兄ちゃん」
私の即答にお兄ちゃんがまた溜息をついた。ごめんお兄ちゃん、私の中のリルの部分は人工魔獣、全然平気なんだよね。私を含めた非常識三人組を、唯一の常識人のお兄ちゃんが諭した。
「まず、皆さんは揃ってあの爆炎の騎士・スルトとの対決を乗り越えたわけです。あとお二人のお母さんに何かあっても不思議はないのでは? そこをまず、心配してはどうですか」
セーラさんとベアトリスさんの二人が顔を見合わせる。どうもこの二人、最初の目的が何だったのか忘れている気配がある。まあセーラさんは元々が狂戦士系だから、戦い始めると戦っている目的とかどうでもよくなるのかもしれないけれど。
私が背中に手を組んで二人をにやにや見交わしていると、お兄ちゃんが付け足した。
「あとアリス。さっきの残留思念のことをもう少し、しっかりと考えた方が良いんじゃないかな」
私は額に手を当ててうめいた。あんまり考えないようにしていたんだけど。たぶん私、花の島と同じく今回も何かを乗り越えられたんだと思う。ただその自覚がいまいちない。たぶん、誇りを守るとかその辺りのことだと思うけれど。ただ、私リルだって昔、誇りを無視してなんかいなかったのに何を今さらとも思う。
ただ、昔のリルなら敵側のスルトをいきなり攻撃したか、あの崩落のときに見殺しにしたはず。それが何の違いなのか私リルはいまいち理解できていない。
そして私アリスは、何かを掴めそうなんだけど。心がまだ幼くて、それを言葉にできずにいる。そのもどかしさで、今はとりあえず棚上げにしているんだけど。どうせお兄ちゃん、そこのとこもわかってて言っているんだろうけど。
「まあ、アリスの件は今後、ゆっくりと考えるんだけど。僕も何となく感覚的にはわかった気がするけど、これってきっと、アリス自分で感じ取らないと駄目な気がするんだよね」
「私が、理解する」
「ううん、感じとる」
お兄ちゃんは私の小さな言葉の違いを言い直した。理解じゃなく感じとる。感覚でなきゃ駄目なもの。
リルの最も苦手とするもの。
アリスが得意とするものだけど、まだアリスは幼くて。
「まあ、アリスの方はゆっくりだよ」
ここでお兄ちゃんは満面の笑みで話が逸れていた二人をじっと見つめた。
「ということでお兄さんお姉さんの貫禄をここで見せて欲しいなと、年下の僕もアリスも思うわけですよ」
お兄ちゃん何気にひどい。ひどいけど私も笑ってしまいそうで、それを無理に抑えると脇腹がぴくぴくしちゃう。何とか我慢できる限界が近づいたとき、セーラさんが反転して玄関の扉に向かった。
セーラさんは顎をあげて深呼吸し、そして扉を開けた。奥からすぐに足音が聞こえ、セーラさんのお母さんがやってきた。初めて会ったときと違って焦った表情を浮かべている。
「お母様。花園から薔薇をお持ちしました」
セーラさんは硬い声でお母さんに花束を渡した。お母さんは花束を受け取って深呼吸する。
「良い、香りですわ」
言葉を切りつつ言って、セーラさん、ベアトリスさん、お兄ちゃん、そして私の順に見回した。
「皆さんは墓前まで、行かれたのですね」
私とお兄ちゃんは黙ったままセーラさんとベアトリスさんに視線を送った。ベアトリスさんはセーラさんの傍らに寄ってお母さんに声をかける。
「お母様もセーラと同じく、爆炎の騎士・スルトと対決を?」
「もちろん、叩きのめされましたけれど」
「お母様は父上と異なり、武術をなさらない方のはず。いえ、できるのになぜなさらず、できないと仰っていたのか計りかねます」
セーラさんは怪訝な声で問いかける。するとお母さんは全員から視線を逸らして小さな声で答える。
「爆炎の騎士・スルトとの戦いの記憶が剣を捨てさせました」
「何を、もったいないことを!」
「恐ろしい差を見せつけられたとき、逃げ出したくなるのが普通の人間なのです。だから私は、私のできることを徹底して磨いたのです。剣筋を読むがごとく、人心と動きを読むことを」
セーラさんは固まったままお母さんをじっと見つめる。しばらく二人の間に無言が続いた。そしてついにお母さんが再び口を開いた。
「今のセーラを、私は読めませんわ」
「お母、さま?」
「貴女は墓所で、いったいどれほどの戦いを行ったの?」
「言葉では語れません。何であれば」
「貴女と手合わせすることは、無理ですよ? それに何でも剣で語るのはお止めなさい」
言ってお母さんは小さく笑った。そしてベアトリスさんとセーラさんの手を握って言った。
「本当に貴女方、墓所で何をしたのかしら。成長しすぎて万里を駆けたの? 私の千里眼では届かないわ」
セーラさんはようやく硬い表情を崩す。次いでベアトリスさんが笑った。そして一緒にセーラさんも。私とお兄ちゃんは顔を見合わせてようやく安堵の溜息をついた。
私とセーラさんはソファのうえで歓声をあげた。銀製の蔓草模様の器に盛られたローズヒップ入りのアイスクリームは、素敵に冷たくて甘酸っぱく、そして鮮やかな紅色だった。お兄ちゃんも笑顔で食べている。ベアトリスさんと二人のお母さんが協力して作ってくれた、素敵な癒しのデザートだった。
「このローズヒップはセーラの作品でもあるんだよ」
ベアトリスさんの言葉にセーラさんは首を傾げた。ベアトリスさんが持ってきたそれは甘味も強く、明らかにベアトリスさんの果樹園のローズヒップで、セーラさんの花園のものではなかったから。
「花園を守って、私の愛しい蔓草たちよ」
お母さんが歌い、ベアトリスさんがうなずいた。
「花園が原種を守り、果樹園がその種を果実として救いあげていく。それが僕の考え」
「この歌は、そんな意味でしたの?」
「違うよ。僕の勝手な解釈」
私とセーラさんは乗りだしかけた体をずっこけさせた。だけどベアトリスさんはお兄ちゃんに目を向けて言った。
「おてんばの妹をどうすれば良いか迷ったら、何か自分の身近なところにこじつけでも助言を探してしまうよね」
「わかる、気がします」
「どういうことですの」「どういうことそれ」
セーラさんと私が口々に言うけれど、二人の兄はお互い何かを理解しあったみたいだ。そんな私たち全員をセーラさんのお母さんは微笑ましいように見ている。今のこの時間を、セーラさんのお母さんは先読みしていたのだろうか。
「そこまで先読みできませんわ。アリスちゃんのような、深い深い、何者かが現れることは予想できるはずがありませんわ」
「貴女は、私の」
「それはお互い、訊かない方がよろしくってよ。だって貴女は、爆炎の騎士より恐ろしいもの」
急に空間全体に冷たいものが降りる。私が何者なのか、彼女はほぼ確実に見抜いている。だけどそこでセーラさんは立ち上がって声を張った。
「アリスちゃんは、私の寮に住んでいる私のかわいい後輩ですわ」
二人が睨み合い、そしてお母さんが視線を外した。
「本当に、大人になったわね、セーラ」
セーラさんは溜息をついて私の隣に珍しくどっさりと腰を下ろした。そして私の頭をぎゅっと抱き寄せて笑った。
「今日は色々と戦ったり勝ったり大変でしたわ。私、アリスちゃんをご褒美に妹としてもらってしまいたい」
「それだけは絶対に渡せないな」
お兄ちゃんが笑って即座に答え、私の右手を優しく握ってくれる。たぶん、この中で最も弱いはずのお兄ちゃんは、でも私のためなら全く一歩もひかずにいてくれる。
その気持ちがあったかくて幸せで。尊く守らなきゃならない気持ちだと思う。
ふと今、スルトが大魔王リルの配下として勝ち取ろうとしていたものが何だったのか、今さらながら感じ取れた気がした。