爆炎は水晶を照らす
透明な柱が神の撃ち込んだ槍のように、四方八方から洞窟内を埋め尽くしている。薄桃色、海のような青色の柱もあり、壮大な異空間のようにすら見える。だがそれは、何か人為的な魔法で支配された空間ではなかった。むしろそれよりも壮大な水晶の世界。私たちは全員、警戒を忘れて溜息をついていた。
「これはどんな魔法ですの?」
「花崗岩、トルマリン、フローライト。どれも水晶を含む石だ。ここは、その水晶が析出した自然の空間だよ」
お兄ちゃんの説明にセーラさんは納得いかない表情を浮かべ、でもあらためて透明な柱たちを眺め、おそるおそるその一本に手を触れた。私も一緒に触れてみると、すべすべしてひんやりとしていて。どことなく硝子とは違う触感にずっと触れていたくなる。
「これが、自然なのですか」
「自然は凄いものだろう。僕の果樹園も、君の花園だって」
「どちらも私たちがお世話して育てているものですわ」
「どちらも僕たちがほんの少し手助けしているだけさ」
くまさんの言葉に、セーラさんはうつむいて考え込んだ。手にしていた剣を鞘に納め、薄く目を閉じて深呼吸する。次いでセーラさんは再び口を開き、今度はか細い声で答えた。
「お兄様はいつも理想主義すぎて、それでは世の中は動きませんし我が家の存続も危うくなってしまいます」
きついことを言っているわりに、セーラさんはくまさんと視線を合わせず、弱々しい調子だ。セーラさんは少しだけ迷って、それでも決心したような素振りでくまさんを正面から捉えた。
「理想主義すぎるくせに、人の心は動かしてしまうお兄様はちょっと、ずるいです」
セーラさんの言葉にくまさんは、ごめんとだけ呟くように答えた。次いでくまさんは洞窟の奥を見据えた。
「それで、この先にまだ進むんだよね。ここで終わりじゃない」
お兄ちゃんははっとした表情で私を見る。お兄ちゃん、ここで終わりだと思っていたのかな。いや思っても仕方ない気はするけど。お兄ちゃんとくまさんは顔を見合わせてうなずく。セーラさんもいつもの調子を取り戻し、まずは先に柱を乗り越えて奥へと進んでいく。私も飛翔魔法、と思ったら、お兄ちゃんが私を背中に背負った。
「ここは魔力を温存しておいて。アリスが切り札なんだから」
言ってくまさんが横に寄り添いながら柱たちを乗り越えていく。お兄ちゃんの背中があったかくて。それに村にいたときよりも少し広くなった背中が嬉しいような、またちょっと先へ進まれてしまったような複雑な気持ちになりかけた。でも今は。今は余計なことを考えないで先の道を私が読む。私は荷物じゃなく、切り札なんだし。
水晶の柱は次第に透明なものが減り、青、緑、黄色と次第に変わり、最奥に赤い色が見える。セーラさんは警戒しつつもどんどんと先へと進んでいく。
「セーラさん、そんなに急ぐと危ないですよ」
「大丈夫ですわ。何か私、道が見える気がするんですの」
道が見える? 私は目を凝らし。続けて魔力の流れを測る。でも魔力は感じられない。
否、魔力ではなく。でも何かの気配が感じられる。魔力のない気配。何か野生動物のようなものだろうか。いや、それよりももっと人間に近いもの。
ふと私はお兄ちゃんとの会話を思い出した。トルマリンとフローライト。出自と自由。束縛する根源と解放。蔓草と白百合。何か、言いようのない胸騒ぎがして。
と、最奥の赤い輝きが色を増し、突如として緑色の水晶が伸びてセーラさんに迫る!
だがセーラさんが速い。身をかわすと剛力でぶった斬った。天井と足元から再び緑水晶が生え、くまさんが爪で足元を、天井をセーラさんの豪剣がなぎ斬った。
私とお兄ちゃんも進みながら加勢しようとしたけれど、緑水晶が行く手を阻む。打ち抜くか! いやセーラさんかくまさんに当たる危険がある。だが風魔法なら!
「待ってアリス。水晶は僕たちを相手にしていない」
お兄ちゃんの言葉に私は魔法の詠唱を止めた。緑水晶は憎いほど的確にセーラさんを狙っている。そう、セーラさんだけを的確に。私やお兄ちゃん、くまさんは行く手を阻まれているだけ。
セーラさんだけを狙う。なぜ。今は理由は構わない、起きている現状さえ分かれば。
私は顎をあげて邪悪な笑みを浮かべ、両腕を広げると右手に握った魔法杖に魔力を一気に込めた。
『デ・スペルンカ・ビオレンティウム --De spelunca violentiam--』
この場にいる誰も、もし魔法学校の先生がいたとしても理解不能の呪文を唱える。手中の魔力が一気に膨らみ、目の前の洞窟の先いっぱいに膨らんで凡てを爆炎で燃やし尽くす。
お兄ちゃんが私に手を伸ばしかけ、すぐに手を引いた。
理解してくれる。
信じてくれる。
だから全力で制御する。暴虐の力を繊細に制御するなんて、私リルにも想像を絶する力で。でも私は。私はセーラさんとくまさんを。この魔法の手で包み続けた。そうして遂に最奥の水晶が完全に焼け落ちた。
私はへたり込んだ。この十歳の体で大魔王リルの呪法を完全制御するのはやっぱり無茶がある。魔力は潤沢でも体力がそれを長時間は支え切れない。お兄ちゃんはそっと私をお姫様抱っこしてセーラさんとくまさんの場所に連れていく。いや、今はセーラさんとマントだけをまとった美形の好青年って感じ。何このイケメン。
「アリスちゃん、僕のくまさん全部焼くとか酷くない?」
「人体とセーラさんの武装を助けるので精一杯だったんだよ。『暴虐の洞窟』は本来全てを焼き尽くす呪文で、制御するものじゃないんだし」
「いやもう少し穏やかな魔法を使ってよ! それ開発魔法っていうか、それも突き抜けて禁呪だよね」
「私一年生だから禁呪とか知らなーい。それに何の攻撃か分かんなかったもん」
口を尖らせた私に、お兄ちゃんとセーラさんが苦笑した。くまさんあらためてベアトリスさんは溜息をつき、それでもセーラさんのマントで体を上手に隠す。
鼻筋通った顔に金髪、魔力の証の赤眼だけれど優しそうな顔立ちで、体も造られた見せかけではない、実用で鍛えられた筋肉質。これは魔法学校に行ったら全力で女子学生にもてそうだ。
「お兄様、珍しく人見知りしないのですのね」
「いやもう、アリスちゃんの無茶苦茶で僕も気恥ずかしいとか吹っ飛んじゃったよ」
イケメンなのに人見知り。だからくまさんなのか。なかなか残念なイケメンらしい。さすがセーラさんのお兄さん、やっぱり色々とこじらせていらっしゃる。
セーラさんは溜息をついて立ち上がり、首を鳴らして私たちに背を向けると正面の赤い水晶があった場所に向いた。
「ここから先、アリスちゃんもお兄様も手出し無用ですわよ。もちろんカンヴァスさんも。この先は、私の領分ですわ」
何を言っているのだろう。もう先まで私は。思ったとき、水晶のあった場所に人の姿が浮かびあがった。紅い鎧、紅く燃える剣、紅く巨大な、攻撃にすら使える盾。
それは五百年前。
狂気の魔法に魅せられた世界、罪悪に染められた貴族に支配された国家で。
そんな世界で庶民の盾となり権力への剣となり、さらにひたすら敵を屠ることしか知らない暴虐の魔王をすら諭そうとした豪剣なる者。ある意味、大いなる愚者とすら思えた最強の剣士。
その名、爆炎の騎士・スルト。
スルトが、セーラさんに剣を構えた。
口を開こうとしたけれど、セーラさんが凄みのある笑みで私を振り返った。
「アリスさん、騎士の一騎討ちに魔法や口を挟むことは、淑女としてマナー違反ですわよ」
そんなこと言っても。私にはわかる。あれは本物のスルト。ありえないけれど本物だ。気配も視線も私にはわかる。
私、大魔王リルにはわかる。
彼にセーラさんが勝てるはずがない。
お兄ちゃんは私をじっと見つめた。だから私は泣きそうになりながらうなずく。でもお兄ちゃんはうなずいて私をぎゅっと抱きしめただけ。
なんで。
なんで、セーラさんを私は。
私は包み続けるって決めたっていうのに。
それなのにセーラさんは青眼に構え、いつもの狂戦士ではなく正面から撃ち込む。
一撃で跳ね飛ばされる。息を呑み。
「飛んだだけさ」
ベアトリスさんは当然のように説明する。そんなことは分かっている。リルは分かっているから魔法で援護しようとした。でも。
なぜかアリスが止める。
魔法の力をアリスの意思が、なぜか優しさが救済の手を留める。
再びセーラさんが撃ち込み弾かれ、いや横に跳ぶ。
だが背後にスルトが回った。
セーラさんが蜻蛉返りでその豪剣を受け、そのまま力を逃して背後に跳んだ。
スルトが笑みを浮かべる。
セーラさんは肩で息をして目を見開いたまま構える。
スルトから仕掛けた。
豪剣と見せて上空に跳ね、体重ごと斬り伏せる。
だがそこにセーラさんの姿はなく岩に斬りつける。
そんなの無駄!
いや無駄じゃなかった。水晶が弾け飛びスルトは盾で身を守る。
セーラさんは反対側から斬りつける。
スルトの魔剣が爆炎を纏った。剣から発した雷光が水晶に突き刺さり水晶柱が共振する。
鎧を着た者同士とは思えない攻防の速度。守ろうと思っていた私の手から呪力が逃げていった。斬り結ぶ二人の動きは舞を眺めるかのようで。唐突に村まつりのアデリーヌを思い出してしまって。
なぜだろう、今。今はこの二人を。襲っているスルトのことを、私リルを滅ぼしたスルトのことすらを守りたいと思ってしまった。
何かが察知した。お兄ちゃんが首を傾げる。ベアトリスさんが顔をしかめた。
ぴしり、と小さな音が響く。私は叫んだ。
「剣術バカ! 跳んで!」
二人が初めて私を振り返る。
でも間に合わない。水晶柱群が轟音を立てて崩れ倒れる!
否。
間に合わせる。私が。私リルがアリスが!
『デ・スペルンカ・ビオレンティウム --De spelunca violentiam--!』
周囲が止まって見えるほどの集中力で、大魔王リルの残る全力の呪力を……。
全てを蒸発させる!
お兄ちゃんの驚愕を見えた気がした。剣士の二人が私の傍に落下してくる。世界のことも無視して莫大な熱を天上へと駆け上らせて。ただ私たち四人を全力で守りきる。
そして。私は意識を手放した。