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お兄ちゃん、激怒する

 教室からは逃げたけれど、あっという間に担任の先生に捕まった。オババから、アリスの魔力が急に上がったから暴走に気をつけるようにと伝声魔法が朝に来ていたそうだ。

 さすがに先生まで振り切るほど興奮はしていなかったし、言われて教室に戻った。クラスメイトみんなの視線が私に集まる。私の背中には先生の骨張った右手がそっと優しく当てられていた。

 みんなを見回す。

 深呼吸する。

 言葉が私の中に沈み込む。

「みんな、びっくりさせてごめんね。アデリーヌ、怖がらせてごめんなさい」

 教室の空気が温く変わる。先生がほっと溜息をついた。

 そしてアデルが、腕組みをしたまま鼻で笑った。

 だからすかさず私は指さしして叫んだ。

「でも私は、アデルには絶対謝らないよ!」

 教室が一気に騒がしくなる。先生がアリス! と叱ってくる。でも私も腕組みしてアデルを睨みつけてやる。子供相手に何を意地になっている、とリルの部分が呟く。でもそんな言葉になんて私の幼い心が収まる訳がない。止まれない。納得も我慢もできるもんか。

 女子たちの一部が、アデルが悪いとかアデルも魔法使っていたくせに、とか怒鳴り始めた。男子も負けじと、女子は細かいんだよとかアデルの兄ちゃんの方が格好良いとか。アデリーヌはどちらにもつけずに右往左往して、最後に。

「お前ら、算数の小テストだ!」

 先生が思い切り目線をずらして騒ぎを打ち切った。


 お昼ご飯の頃には一応男子と女子も仲直りしたけれど、私とアデルは仲直りしないままだった。アデルが謝るまでこっちから頭を下げるなんて願い下げだ。

 そのまま下校しようとすると、校門でお兄ちゃんが待っていた。私はお兄ちゃん、と当たり前のように腕にぶら下がろうとする。

 でもお兄ちゃんは腕を振りほどいた。不思議な顔をしてお兄ちゃんを見上げると、お兄ちゃんは黙って家に向かい始める。私はとぼとぼとお兄ちゃんの後を追う。

 嫌な予感がする。今日の話をお兄ちゃんは知っているのか。事実を知りたい。口の中で読心魔法を唱えかけ、やはりすぐに止める。魔法を気軽に使うこの癖が、問題を余計に大きくした気がする。

「ねえアリス」

 何、と小さな声で返すとお兄ちゃんは全く意外な言葉を口にした。

「今日は僕のために怒ってくれてありがとうな」

 え、と私は聞き返す。叱られるとしか思っていなかったから。でもお兄ちゃんはさらに言葉を続けた。

「だからと言って、アリスが友達を傷つけることは許されない」

「そもそもアデルからやってきた。アデルも魔法を使った」

「もしアリスが僕を蹴ったとしても、僕がアリスを蹴ることはないと思うんだ」

 お兄ちゃんが妙なことを言って私の赤い瞳を見つめる。何を言いたいかなんて十歳の私にわかるはずないよ。私が黙り込んだとき、ちょうどアデルの家の前を通りかけた。お兄ちゃんは少し立ち止まって振り向いた。

「やり過ぎって謝るべきじゃないかな」

「そんなのわかんない」

「わかんないか」

 言ってお兄ちゃんはまたそのまま歩き始める。私は怪訝な顔をしたままお兄ちゃんの後に続く。玄関を入ると、お母さんが不機嫌な顔で私たちを迎えた。するとお兄ちゃんはいきなり言った。

「今夜はアリスの夕食、おかず抜き。もう少しきちんと考えた方が良いね」

 私は膨れっ面をお兄ちゃんに向け、そのまま何も食べず子供部屋に飛び込んでベッドに潜り込んだ。

 論理的にお兄ちゃんを逆襲してやろうかとも思った。でも何か、それはむしろ私が負けな気がした。だから私は十歳のアリスとして抵抗してやろうと思った。

 怒ってくれてありがとう、って言ったくせに。

 アデルの方からやってきたのに。

 私が怒られる理由はない。

 私は謝らない。


 自分の腹の音で目が覚めるだなんて、いくら子供だと言ってもレディとしては恥ずかしい。その恥ずかしいことが起きてしまった。

 庶民で、おまけに子供なのに個人の部屋があるだなんて贅沢な時代だと思う。でも学校といい診療所といい、ずいぶんと子供を大切にする時代だと思う。スルトたちが仕掛けたのか、それとも時代の流れだろうか。少なくとも、私には出来なかったことだと思う。

 それにしてもお腹減った。おかず抜きだなんて、その辺りの子供への罰は五百年経っても変わらない。

 私はこっそりと窓を開けて外を眺めた。五百年では星の配置は変わっていないようだ。もしかしたら変わっているのかもしれないが、眺めた程度ではわからない。

 溜息をついて窓を閉めようとすると、玄関が開いてお父さんが出てきて窓の下に立った。

「アリス、ちょっと外においで」

 私は渋々寝間着の上に上着を羽織って玄関を出た。するとお父さんはサンドイッチを入れた籐籠(とうかご)を提げていた。サンドイッチは卵とハムのようだ。

「食べるかい」

 うん、とうなずいて手を伸ばしかけ。お父さんの顔を見直す。何か言いたい顔をしている。私の様子を窺っている。

「お兄ちゃんから聞いたの?」

「学校から連絡があったし、さっきカンヴァスからアリスとの帰り道での話は聞いたよ」

「じゃあ、お父さんはわかってくれたの」

 お父さんは苦笑してから唸り、ゆっくりと答えた。

「アリスの気持ちはわかる。でもアリスがやり過ぎたのも本当だよ。そして、ちょっとカンヴァスも行き過ぎだったかと反省しているよ」

 へえ、と一瞬だけ勝った気分になったけれど、お兄ちゃんの反省、という言葉が気になった。それによく見ると、サンドイッチの数が私の分だけにしては多すぎる。

「カンヴァスは、僕も言い過ぎたから晩飯抜きの刑だ、と言って引きこもってしまった」

 お父さん、笑い事じゃない。

「本当に兄妹だからってお互い強情だね」

 私はリルの部分もあるけれど。でも今回の強情はアリスかなと思う。大人の交渉に持ち込めないこの気持ち。

 お父さんから目を逸らし、遠隔視覚の魔法でアデルの家を見る。中の人の動きを察知する。まだ誰も眠ってはいない。まだ、アデルは起きているはずだ。

 今、お兄ちゃんに折れるのは癪だと思う。でも本当は完全に巻き込まれたお兄ちゃんがご飯を抜くなんて、全くの冤罪というかとばっちりというか。私はリルだった頃は厳罰を使うのは大好きだったけれど、そのぶん冤罪は大嫌いだ。

 莫迦なお兄ちゃん。

 怒ってくれてありがとう、なんて言って。

 でも今は、お兄ちゃんに怒っている。

 それ以上に、そういう形にしてしまった私に怒っている。

「カンヴァスの部屋に行っておいで」

 お父さんが籐籠を私に渡す。たぶんこのサンドイッチはお母さんが作ったもの。両親そろってさっさと私たち兄妹を叱り飛ばせば良いものを。

 でもこのサンドイッチは、何だか単純な叱りや躾の言葉よりも重みがあるように思えた。

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