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十歳アリスちゃんは元大魔王でした  作者: hiroliteral
薔薇と剣の交わる場所
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追いかけっこの向こう

 ようやく普段登校している頃の時間になり、窓の外の風景が変わってきた。内陸なので私たちの村と似ているんだろうと思っていたんだけれど、セーラさんの村はずっと南にあるせいか草や木の葉の色が緑鮮やかな気がする。

 街道沿いに棚のような木枠が並び、そこに蔓草が巻きついていた。ぶどうの木だ。

「私の故郷はみかんや梨、ぶどうの栽培が盛んな地域なのです。とくに干しぶどうが甘くて美味しいのですよ。干しぶどうの郷、などと呼ぶ方もいるほどですわ」

「干しぶどうなの? そのまま食べる方が好きだけど」

 私の返事に、セーラさんは少しいたずらっぽい笑顔で答える。

「干しぶどうなら戦いになってもよく保存できますから。というのは私の家の考えですがもう一つ理由がありますよ」

 戦いでも保存がきくというのは、セーラさんではなくてもリルとしては納得。ただ他の理由はちょっと思いつかない。セーラさんは意味ありげにお兄ちゃんに視線を向ける。お兄ちゃんも少し考え、ああ、と呟いた。

「王都からの距離ですね。大量に販売するなら王都まで運ぶ必要がある。でも生では腐ってしまいかねないし、ワインでは荷が大きくて馬車も大量に必要になる」

「正解ですわ。ワインにまで思い至るなんて、カンヴァスさんは賢いのですね」

 お兄ちゃんが珍しく照れた表情になる。こういう言葉がさらりと出る辺り、セーラさんはすごいと思う。たまに色仕掛けっぽいことを言ってるカイラはこの辺、見習って欲しいような兄ちゃんが引っかかったら怖いなと思うような。セーラさんの場合、素敵なことは前から分かっているし、それ以上に残念な点も分かりすぎているぶん、安全というか端から見れば違う意味で危険というか。

 とにかく。ちょっとセーラさんは難しい。でも何より不思議なのは、セーラさんの狂戦士な感性と普段の上品で賢い思考の同居というか切り替えがどこなのかよく分からない。私ならアリスとリルが同居しているから仕方ないのだけれど、ほんと、よくわからない。そんなことを思ってセーラさんにあらためて目を向けると、私の知らないセーラさんの故郷に小さな不安を感じちゃって。

 私は目立たないよう、そっと自分の肩を抱きしめた。


 ようやく馬車が終点に到着した。私たちは降りると全員、大きくのびをする。一緒に乗っていた他の人たちは、各々が自分の目的地へと歩いていった。セーラさんは私たち兄妹へ順番に見比べるような視線を向け、少し申し訳なさそうな表情になって告げた。

「私の家は乗合馬車の終点からかなり距離があるのです。一時間ほど歩くのですが、大丈夫?」

 セーラさんはお兄ちゃんにも向けて言ってはいるが、当然に不安視されているのは私だ。だって十歳だもの、遠くまでは歩けるわけがない。とはいえ、私も山育ちで山へ歩いたりはしていた。

「一時間ぐらい歩くなら、僕たちが村にいたときも歩いていたから大丈夫ですよ」

 お兄ちゃんは言って私に視線を送る。私も心配をかけないよう大きくうなずいてみせた。セーラさんは安心した表情になって、それでも私のリュックを持ってくれようとしたけど、私は背中から下ろさず身をかわす。するとセーラさんはさらに追いかけてきて、また私も逃げる。二人で追いかけ逃げ回っているうちに面白くなっちゃって私は息が切れるまで走ってしまった。

「アリス、僕もおいていかないでよ」

 お兄ちゃんが苦笑しながらも少し息が上がった感じで追いかけてきた。セーラさんは重量級の鎧を身につけているわりに息も切れずに笑顔で立っている。どういう訓練すればこの域に達するのか想像できない。私、リルなら魔法で済ましてしまうんだけれど。

「アリスちゃん、魔法を頼らずに逃げ切ったのですね」

 言われて気づく。上気した頬が心地良い。魔法を使えば簡単に逃げられたのに、今は普通の女の子みたいにアリスだけだった頃のように走っていた。でもそれは、なぜか私のリルの部分も同じ気持ちで。この小さなおふざけが気持ちよくって。私は声をあげて笑ってしまった。

 セーラさんも一緒に笑いつつ、目の前に延びる緩やかな坂道の先を指差した。その先には濃い緑の樹木と紅い花が見え、そして白くかわいらしい建物があった。

「私の実家がそろそろ見えてきましたわ。走ったので思ったより早くつけそうではなくって?」

 楽しませながら走らせちゃうセーラさんって、どこまで器用なんだか。でもこうやってセーラさんも今の強い肉体になったのかもしれない。私は、頑張っても、十歳のままだけど。

 気持ちが陰りかけたけれど、お兄ちゃんが私の右手を取って先に立った。

「アリス、ここからは少しゆっくり行こう」

 セーラさんも静かにうなずく。そう、ゆっくり。ゆっくり歩く時間もあって良いんだ。

 リルは長い時間を、強引に走り続けたのだから。


 坂道は煉瓦などの舗装のようには歩きやすくはないけれど、薄桃色の小さな玉砂利で整地されており、足は痛くならない。むしろつやつやした玉砂利に反射した日光がきれいで、なんてことない小石さえもかわいらしく思えてくる。

 十分ほど歩いただろうか、ついに門まで辿り着いた。門と言っても蔓草をあしらった銀色の繊細な門で、カイラのような硬い印象の門構えや狂戦士状態のセーラさんに似合うような無骨な門ではない。セーラさんは門についている扉を開け、そのまま歩んでいく。玄関の両脇はかわいらしい猫の坐像が守っていた。

「セーラです。ただいま戻りました」

 セーラさんは扉を叩き、少し硬い声で呼びかける。まもなく扉が開き、セーラさんがお母さんになったらこんな感じだろうかという印象の女性が顔を出した。セーラさんのお母さんかな。服装は私たちの着ているものとさほど変わらないつくりで、カイラの家のようなお貴族様然とした華美なものではない。あともちろん、セーラさんみたいに武器を持っている訳では。

 思いかけ、腰に短刀を差していることに気づいた。さすがセーラさんの実家だ。

「お帰り、セーラ。こちらが手紙にあったお友だちの皆様?」

「その通りです、お母様。いつもよくしていただいております。こちらのアリスさんはまだ十歳ですが、素直で賢い子ですよ」

 お母さんはあら、と言って私を黒い優しげな瞳でじっと見つめ、小さく首を傾げた。

「アリスさんは子供のようで、大人のような方ですのね」

 ぞわりと背中に悪寒が走った。お兄ちゃんも笑顔のままだけど、私の左手をそっと包むように握る。セーラさんは慌てた様子で言った。

「お母様、私もそうですが、お二人ともお疲れですからまずは私の私室へ」

 あらそう、とお母さんは言って私たちを屋敷にあげる。さすがにお母さんの服装は庶民的ではあったけれど、さすがに屋敷の中はそれなりに立派なつくりだった。それなり、というのはカイラの屋敷と比べての話で、私の場合は故郷の実家やアデリーヌのお家、オババの怪しい家、今の学生寮と、それからリルの。

 リルが粛清した貴族の屋敷、リルが子供時代を過ごした実験室の檻。

 そして、研究室兼要塞だった城。城は仕事場。住んでいたというより生きていただけ。

 食事はただの栄養補給、睡眠は無防備な恐怖の時間。

 頂点にして抵抗の篭城。

 そんな。

 そんな空虚で冷却されきった空間。

 今のお兄ちゃんとの狭い部屋の方がずっとずっと、人間的であったかくって。

「アリスちゃん? お部屋にお入りになって」

 セーラさんの声で私はアリスに返った。最近、アリスとリルは和解したような気分があったのだけれど、ふとした瞬間にリルが表に出てくる。ただそれは暴走じゃなく、悲しみとして。

 寂しさとして。

 私はお兄ちゃんの腰に腕を回してぎゅっとしてから、あらためてセーラさんの部屋に足を踏み入れた。


 セーラさんの部屋はまあ、なんというか、桃色と銀色だった。

 内装の壁やカーテン、ベッドの天蓋は薄桃色で、その天蓋はもちろん白いフリル付き。ベッドの上にあるクッションもふわふわもこもこの羊と猫のぬいぐるみ。ベッド脇にはピンクローズが花瓶に生けられており、色とりどりのマカロンが白磁の皿に載せられて置かれている。蔓草と小鳥の彫刻を施した白いドレッサーもかわいらしい。

 そんなかわいらしい部屋に置かれた、銀色に輝く総鎧に剣。壁には矛と槍、ナイフが飾られており、刃物を研ぐための道具一式が床に置かれている。

 まあなんというか、いかにもセーラさんだよね、と。

「ちょっと片付いていなくてお恥ずかしいですわ」

 片づけばどうなるのかよく分からない。単に混迷が深まるのか、それとも二つの世界が一つの部屋にできるのか。よく分からないながらもセーラさんにすすめられるまま、蔓草模様の瀟洒な木の椅子にお兄ちゃんと座る。座るとこのクッションもまた薄桃色で、こちらは白百合の刺繍が施されていた。セーラさんはいそいそとマカロンをテーブルに置き、ローズティーを淹れてくれる。

 部屋の中にローズティーの甘く華やかな香りが広がる。私もセーラさんみたいにお茶を淹れてみたいけれど、以前にやってみたら「薬を煎じるのとお茶を入れるのは違うよ」とお兄ちゃんに言われてちょっと傷ついた。

 香りを立てるといいって分かってるのに、リルの部分が邪魔してなぜか茶葉を臼で磨ってしまったんだけど。まあそのうち、お兄ちゃんにセーラさんみたいに上手っていってもらえるようになってみたい。

 セーラさんは私たちを見回し、溜息をついて言った。

「お母様が失礼なことを言って、申し訳ありません」

 お兄ちゃんは慌てて、そんなことありません、と打ち消す。でもセーラさんは重ねて続けた。

「お母様は見てのとおり、武人としての訓練も素養もない人です。ただ、あのとおり異様に鋭く賢い人なのです。ただその賢さは、世間とのお付き合いの技術には生かされない方なので、貴族としてはあまり」

 言ってセーラさんは窓に目を向けて言った。

「でも賢い方なので、領地内では『千里眼の奥方』と呼ばれておりますの」

「なんか格好良いと思うよ」

 セーラさんは力なく溜息をついた。

「外から見ればそうでしょうね。でも、あの千里眼と毎日顔を合わせることの息苦しさはつらいものがあります。常に何もかも見透かされ、急に告げられる。だから父も敢えて軍の宿直や遠征ににばかり行っているのです、きっと」

 この部屋はセーラさんのお父さんとお母さんを無理やり同居させた部屋なんだ。

 そしてセーラさん自身も、また。

 ふと、天蓋のベッドに下がるフリルやセーラさんの服にあるフリルもまた、心を守る鎧のように見えた気がした。

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