ずっと一緒の気持ち
私はカイラとお兄ちゃんに挟まれ、両手をつないで歩いていた。他人が見れば可愛い子供の風景だけど、実際は純粋に暴走停止装置という仕立て。セーラにすら危険物扱いされるという、人生稀にみる不名誉を賜ってしまった私は、みんなの提案を受けなきゃならなかったのだ。
じゃあ何でカイラなのかと言えば、ルイーザはお化けの話を始めるし、セーラは万が一の安全確保要員だし、また危険物を連結しちゃ危ないというお兄ちゃんのとても失礼な言葉にみんなが納得してしまったせいだ。
まあ色々と言いたいことはあるんだけど、それを抑えつつ三人並んで歩く。ふとカイラを見上げたとき、お母さん、と呟きかけて慌てて言葉を飲み込んだ。なんて恥ずかしい。アデリーヌにばかにされちゃうよ。ほんと私ったらおかしいや。だいたいさっきみたいな気持ち悪いものを生み出したくせに。
生み出したくせに。思ってから気づいた。アリスのお母さんはいるけれど、リルの母親は。正確には、リルの記憶の中に母親はない。封印などした覚えはないけれど。
「アリス?」
お兄ちゃんの声に、私はははは、と作り笑いをした。今はこんなこと、考えちゃいけない気がした。私の手の中にある何か大切なものを失ってしまう、そんな気がしたんだ。
次に訪れたのは家庭科室だ。家庭科室と言っても、村の学校にある調理室とは違って、家庭でできる簡単な薬の調剤や魔力を帯びた食材の取り扱いを勉強する部屋。実はこれ、私の苦手科目だったりする。アリスとしては単に腕力が足りなかったりするし、リルに至っては味覚が一部どうかしてる上に家庭の知識が空っぽに近かった。
だって家庭とか、なかったから。
「この家庭科室も曰く付きなんだよねー」
ルイーザが怪しい声を発する。カイラがもうやめようよ、と口を尖らせた。するとルイーザはちょっと声色を変えて意外なことを言った。
「曰く付き、と言っても怪談系じゃなく、歴史のお勉強だよ?」
歴史という言葉に、お兄ちゃんも先ほどとは違って興味のある表情に変わった。私も聞きたくなって身を乗り出す。ルイーザは自慢げな表情になって話し始めた。
治世は大魔王リルの追放から十年後。魔法学校の整備と子供の保護が行われるようになった時代だ。その時代から、家庭科室ができたのだという。ただ、いきなりそんなことを言われても頭の中で話の関係がなんにもつながってこない。もっともな疑問をお兄ちゃんが指摘すると、ルイーザは人差し指を立てて笑みを見せた。
「だってね、色々な家庭や幼い子がいるでしょう。おまけに魔法学校も騎士学校も、中にはちょっと変わった家庭の子も上流階級の子もいるでしょう。だからこそ、体験させようってことで始まったわけ」
ちらりとルイーザは私の方に目を走らせ、次いでカイラにも目を向ける。幼い子は私。そして上流階級で変わった家庭がカイラ。でもそれ以上に、リルとしての私にはやっぱり大事なことなんだろうと思う。
だってリルには、家庭なんてものはないんだから。
いや、アリスもリルも私だってことは「ない」じゃなく、「なかった」と言う方が正解だって思う。私はまた、お兄ちゃんとつないだ右手を少し強く握った。お兄ちゃんが優しく握り返してくれる。
そんな少し温かい雰囲気になった中、ルイーザがにやあ、とまた怪しい笑みを浮かべた。
「そういうことで始まった家庭科の授業だったんだけれど、そんなことお構いなしの貴族様のご令嬢がいたわけよ。これがあらゆる課題を、自分の家に奉公人の娘に押し付けたわけ。それもわざと時間ぎりぎりに押し付けて、この子の成果を奪ったの。そして」
ルイーザはわざとらしいお面みたいな無表情を作ってカイラに向き直った。
「ご令嬢は奉公人の娘に無理心中させられたあああっ!」
ところが、私の次に怖がりのはずのカイラは、何も感じないような顔で首を傾げてかすかに笑った。ルイーザは怪訝な顔で、それでも両手を広げてカイラの前で気持ち悪く両手を振ってみせる。それでもカイラはまた笑った。
「そんなご令嬢、死んでも仕方ないと思うんですよ」
今までに聞いたことのないような毒を吐くカイラに、セーラまでもが緊張して腰の武器に手を添えた。するとカイラはいつもの明るい笑みで答える。
「自分の家の人を大切にできないご令嬢とか、たしかに今もいるみたいだけど、私できないもの。立場上、できなきゃ駄目な場面でも私、できない落ちこぼれだもの」
すっと急にカイラの表情が翳り、でもすぐに明るく戻って言った。
「私は落ちこぼれだからねー、きっとお嬢様な生活なんて合わないんだよー」
カイラの言葉に、私は内心妬いてしまう。リルはたぶん、人を大切にせずに生きたものだから。ルイーザはちょっと複雑な表情になって、ごめんなさい、と口の中で呟く。
と、お兄ちゃんがいきなりカイラを突き飛ばした!
カイラのいた場所を戦斧が薙ぎ払う。
次いで襲い掛かる刃を私の凶風が跳ねのける。
「セーラ!」
ルイーザの呼びかけに、セーラが全く見たことのない暗い視線を向けた。
『本当に、妬ましいお嬢様だこと。立場を捨てて付き合うなどと下らない、それでもお嬢様?』
喉に何かが引っ掛かったような耳障りの酷い声でセーラが叫んだ。ルイーザは懐から教会の聖水瓶を取り出すと、天井に向けて腕を伸ばし光を当てる。虹色の光が室内に広がり、セーラの背後に何か昏い澱の塊が見えた。澱は次第に触手を伸ばしてセーラの首筋や両手、太ももへと絡みつき、さらに包丁の形を生やし始めた。
私は慌てて魔力を開いて邪悪なものを支配する呪法を唱えた。だがその澱は何の反応も示さない。内に籠り、私の呪法の声は届かない。お兄ちゃんも算盤を構えたけれど、持つ手が震えている。私はそっとお兄ちゃんの手を改めて握ってあげる。今は私が、お兄ちゃんを守りたい。
ルイーザは、奉公娘の呪い、と呟いた。途端にカイラが叫んだ。
「ご令嬢だか何なのか知りませんけれど、これ以上他人を支配しようとしてはなりません!」
「あのカイラ、これは無理心中した奉公人の霊で」
「違います。無理心中を仕掛けたのはお嬢様の方です」
カイラはしっかりした足取りでセーラに向かう。澱がセーラを引きずって後退する。
「身勝手に自分の立場を押し付けていたくせに、その自分を嫌った奉公娘を許せなかったご令嬢。立場を言い訳に優しさを与えなくて、愛情が向けられない自身を憎んだご令嬢」
カイラの言葉に澱が小刻みに震えた。
「だって、いじめる嫌な人となんて心中したくありませんもの。それなら、心中を仕掛けたのは反対側」
そんな単純な。私は言いかけ、澱を改めて見直した。不定形の澱が人を形づくり、次いでドレスを纏ったような形になっていく。
「愛しているのに、奉公人に優しくする方法を知らなかった。さらに私よりおばかさんで、その愛して欲しい人を無理心中に巻き込んだのでしょう」
『なぜ、そんなことがわかる』
「だって私もきっと、同類だから」
カイラと霊って、おばかの方向が違うと思うんだけど。心の中で思ったけれど、ここでこれは口にしちゃいけないんだろなと思う。私はお兄ちゃんを中心に防御の魔法を敷きながらカイラの顔を見上げた。
「私、大魔王リルが嫌いなの」
カイラの急な言葉に胸が苦しくなる。カイラはこの言葉を、私を見つめて言ったんだ。もう私のことを、リルのことを知っているはずなのに。
私のことを嫌いだって。
「でもアリスちゃんもリルさんも大好きだよ」
全く逆の言葉に私は混乱して過呼吸気味になってしまう。お兄ちゃんが私の手を握り返してくれた。呼吸が落ち着いてくる。魔力暴走なんてするもんか。
「大魔王リルとしてとか、そういう立場に雁字搦めで苦しんでいる姿が見えてしまうんだもの。だから、貴女も同じでしょう? 同じ雁字搦めの中で、大切なものと一緒に逃げたかったのでしょう」
カイラの言葉にご令嬢の姿をした闇が濃くなり、そしてセーラから離れる。カイラはまた一歩、闇に近寄る。手を伸ばす。私もお兄ちゃんも止めようとしたれど、どうしても私たちも今いる場所からは足を進められなかった。カイラの言葉が、私たちには重すぎて。
じわり、と闇がカイラの手に手の形を重ねる。うっすらとその闇が白色の靄へと変わる。ぎゅっとカイラは闇の手を引く。セーラが倒れこみ、お兄ちゃんとルイーザがセーラを引きずってくる。カイラはそのまま闇を抱きしめて何事か囁いた。途端、闇は全てが輝く靄になり、そして溶け消えた。
カイラはゆっくりと私たちの方に聖女のような貫禄で歩いてくる。そして優しくセーラの頬と頭を撫でて私たちを見回すと。
怖かったよー、と叫んでそのままへたり込んで泣きだしてしまった。
あんまりにもいつものカイラで、私は。
思わずカイラに抱きついてしまった。




