表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/76

亡霊に逢いに行こう

 光を、という私とルイーザの呟きが誰もいない廊下に響き、全員の拳に光が宿った。先頭はセーラ、次にルイーザ、カイラ、そして私とお兄ちゃんが横に並んで手を繋ぐ。

 お兄ちゃんは男子を誘いたがったのだけれど、声を掛けやすそうな男子は女好きっぽいか堅物っぽいので却下。まさか騎士学校の生徒まで何人も巻き込むわけにはいかないのでお兄ちゃんの友達も却下。その結果、男子はまたお兄ちゃん一人ということになった。

 今回は先生たちにばれないよう、先生方が帰るまで武芸場の準備室に息を潜めて待ち、それから動き出したというところ。まずは武芸場に入り、そこから本館に入り込む段取りだ。

「肝試しと言えば逞しい騎士の殿方と手を繋いで、なんて憧れますわね」

「これは私のだから」

 私はお兄ちゃんの右手をぎゅっと握る。お兄ちゃんは笑いながら私の手を握り返し、力強く算盤を構えた。……やっぱ算盤なんだ。何と言うか、いや深く考えるのは止めよ。

「確かに逞しい男子に助けられるお姫様、というのは女子の本懐ですわね。私にも素敵な殿方を、と憧れますわ」

 セーラが可愛いこと言いながら戦斧をぶんぶん振り回す。戦斧と長剣で戦に瞳を輝かせるお姫様とか、この人は自分が何を目指しているのかわかっているんだろうか。

 私も、何を目指しているんだったか、迷路に入っちゃってる気はするんだけど。

 迷路に逃げ込んでいる気はするんだけど。

 それを認めたくない、私だけど。

「とにかく、音楽室まで向かいます。途中、他にも怪奇ポイントは確認してあるので、それ全部回っちゃいましょ」

 ルイーザの言葉に全員が沈黙のまま、頷きだけで返答する。

 列は廊下を抜け、がらんとした武芸場に入る。広い板張りの武芸場は普段の掛け声や気合の声が無く、ゆっくりの足音も耳に障る。胸に天然の重りをぶら下げているからか、ぎしっ、ぎいっ、と嫌な音が鳴るたびカイラが肩をすくめて手で耳を塞いだりしている。ただ、カイラではなくても一番軽いはずの私ですら小さく音が鳴る。

「もう少し静かに歩いて下さいます? 武芸場は隠密鍛錬もできるよう、わざと音が鳴る素材なのですから」

「え、これって怪奇現象とか老朽化しているとかじゃないの?」

 セーラの注意に、カイラのだらけきった声が応える。セーラは溜息をついて繰り返した。

「だから、そういう設計ですと申しました。普段から鳴っているはずですわよ? 注意力散漫ですわ」

 いや武芸大好きなセーラ以外、みんなびっくりした顔をしてるから。まあ、私は気づいていたんだけど。とりあえずセーラの情報でみんなの肩の力が抜け、ちょっと忍び足で武芸場を通り抜けていく。

 そしてやっと本館への扉に差し掛かったとき、いきなりセーラが立ち止まって手を後ろに向けた。

「何、何があったの?」

 ルイーザが悲鳴を上げそうな姿勢で浮かれた声を発する。けれどセーラは首を傾げて言った。

「窓の外に、何か白い影が見えた気がするんですの」

 ひいっ、とカイラが小さい悲鳴をあげる。それほど暑くはないというのに、私の手のひらがじっとりと汗ばんでくる。お兄ちゃんが優しく握り返し、余計な魔法は駄目、と小さく呟く。んもう、そんな暴走しないよお兄ちゃん。

「ちょっと盛り上がってきたわね」

 いかにも浮かれ気分のルイーザ。

「お化けなら怖いですわ。とりあえず斬られるかどうか確かめておきたいのですけど」

 なんか妙な怖がり方をしている狂戦士が先頭にいるようだ。頼りがいはあるんだけど。とにかくそんなセーラの背中にみんな安心して、私たちは本館に向かい始めた。


 校舎内は武芸場側に座学の教室が集められており、奥の方に特別教室が集まっている。私たちの目的地、音楽教室は三階の奥にある。さらにその上、ルイーザが色々と探検しようと言い出しちゃったので、特別教室をあちこち回ってみることになった。

「と、いうわけで最初の教室は、工作室ですっ!」

 ルイーザ、こういう性格だったんだ。やたら浮かれつつ、わざと低い声で語りだす。

「かつて、工作物の宿題をさぼっていた男子学生が、遂に留年を突きつけられました。そこでこの男子学生は魔法石から魔導玉を削りだす工作を渋々行ったの。たった一人で居残りして。でも怠け者だから、一気に魔法風で削り出そうとしたら、風の刃が手首に!」

 ひいっ、とカイラが小さく悲鳴をあげる。ルイーザはにまあ、と嫌な笑みを浮かべるとさらに声を一段下げ、わざとらしく声を震わせて言った。

「そのまま、男子は出血多量で亡くなった。それ以来、夜間に工作室を訪れると、手を繋いだ男の手首がぽろりと」

 お兄ちゃんの手が手のひらに感じる。お兄ちゃんの温かい手。男の手。手を繋いだ男の手首。

 ぽろり、と私は繋いでいない方の左手を振る。

 なんか魔法杖を握った気がした。

 口が何かを紡いだ。


「アリスちゃーん! 何とかして何とかして何とかしてーっ!」

 ルイーザの悲鳴が遠く聞こえる。セーラがこうっ、と特殊な呼吸を行って戦斧をしっかりと握り直した。天井からぼたり、と粘性の雫が落ちルイーザの頭から頬を汚れた紅色に穢す。足元にじんわりと鉄錆臭い鼠色の霧が発生する。

 嗚呼懐かしい臭いだ。

 中空に、毒虫を潰したときに溢れる内臓のような暗緑色の裂け目が浮かび、血を滴らせた手首が空間から現れるとぼとりぼとりと床に落ち血液で床を穢しながら這い回る。

 嗚呼懐かしい光景だ。

 私のスカートを這い上がる感覚がある。情け容赦なく焼く。肉の焦げる臭いと爆ぜる光が目に入る。頬に血糊が跳ね、ぬるりとした触感に高揚する。

「さあ祝宴だ! 血の祝宴だ!」

 この場に似合わない子供の叫び声が響く。誰だ。この床にうずくまるのはカイラだろうか。天井がぶるり、と揺れて消化器の束が消化液を流しながらぐちゃりぐちゃりと垂れ下がる。

「嗚呼、今こそ啜れ流血の絶望を!」

 再び狂乱の呪詛を子供の声が叫ぶ。私は苛立って呪文を唱えて魔法杖を振り上げ。

 ごっつーん! と、目の奥で火花が飛ぶような痛みが頭に走った。ほっぺがぐにいっと引っ張られ、ぱちん、と弾ける。誰よ私のぷにぷにほっぺを引っ張る子って!

 あれ。ぷにぷにほっぺ。こめかみが両側から人差し指の関節でぐりぐりされて。

「お兄ちゃん痛い痛い痛いー痛ーいー!」

「アーリース! アリス!」

 ぎゅうっと体が抱きしめられる。ふわっとお兄ちゃんの汗の匂いとあったかい体温が私を包み込んでくれた。

「アリスちゃん早く早く早く早くーっ!」

 ルイーザの恐慌した声が耳に届いた。私は慌てて魔法杖に解呪の力を込めて室内に放った。

 それまで這い回っていた腕が毒虫色の裂け目に吸い込まれ、血液も霧も正体不明の内臓も凡てを裂け目が吸い取ると、ふわりと消滅する。私は鞄から、カイラにもらったハーブティーを取り出すと周りに水蒸気を発生させて室内に香りを広げてやる。

「えーと、ちょっと失敗した、みたいな?」

「ちょっとじゃないから! 人生で一番怖かったから!」

 カイラが四つん這いで寄ってきて涙でぐちゃぐちゃの顔で訴えた。ルイーザを向くとへたり込んでぼんやりと天井を眺めている。セーラは戦斧を拭いながらげっそりした顔で私の前に立った。

「あれ、斬れますし叩き潰せますけれど、それでも気味が悪いとしか言いようがありませんわ」

 おずおずとお兄ちゃんの方を見て、私はなるべく可愛い仕草になるよう両手を後ろに組むと上目遣いでお兄ちゃんに囁くように言った。

「涼しく、なったんじゃないかな」

「まずは何か違う言葉を言うべきだと思うんだけどな、アリス。素直な子はね」

 お兄ちゃんの頬がひくひくと小さく震えている。

「ごめんなさい! 暴走しちゃいました! おまけに暴走したまま自制吹っ飛ばしましたっ!」

 全員に向けて直角で頭を下げた。


「何なのよあの魔法! 無茶苦茶にもほどがあるわ!」

 ルイーザの言葉に私も頭を掻く。実はなんと、私自身もよくわかっていなかったりする。いや、理屈上は幻覚魔法と現代では禁止の死霊術、水の魔法を混ぜたものなんだけど、恐慌状態の中で開発魔法を詠唱したので、どこがどう繋いだのか詳細は私もよく分からない。

「よく分からないから、再現性あるか少しずつ推測してやってみれば」

「止めなさい」

 お兄ちゃんの本気で低い声が即座に響く。いや私も不毛そうなのであまりやる気は無いのだけれど。ただふと、何かが私の中で引っかかっていた。どこからが幻覚で、どこからが死霊術による実在だったのか、私の中で判然としていない。それはどこか、何かにすごく大事なことのような気がする。

「死霊の一部とはいえ、腐乱した肉ではなく新鮮なものとして現出させちゃうってーでもアリスちゃんすごいね。まさか腕だけ生き返ったとか転生したとかー」

「何その中途半端なの」

 カイラの適当な言葉に、ルイーザがようやく軽口で返す。私も一緒に笑いたいけど、今はちょっとお兄ちゃんが怖いから無理かな、と思いかけ。

 私はがばりと立ち上がった。

 生き返り。転生術。転生術は単に魂を固着しておいて、生まれる前の肉体に押し込む術。でも今回、死霊を扱う死霊術が転生みたいな効果になった。私は小さく震えながらお兄ちゃんの耳元に囁く。

「私、もしかしたら一つ、不老の解呪の鍵を掴んだかも」

 お兄ちゃんは驚きの顔で私をじっと見つめる。私は急に恥ずかしくなって視線を逸らし、それでも乾いた唇を唾で濡らしながらしっかりと答えた。

「ほんの一歩だけ、進めた」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ