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弱くなって、強くなって

「アーリースちゃん」

 間延びした声で私の頭に柔らかい重たいものを乗っけてきたのは、言わずと知れたカイラ。私はぐっと持ち上げて退けさせるとさっと席を立とうとする。

「今日の授業でね、わからないとこあったから教えて」

 私は曖昧に笑ってトイレに逃げ出そうとする。でもカイラがすぐに回り込んできてにへらっ、と笑う。カイラの高い身長だと見上げても顔が視界に入るので、やむなく私はうつむいて後ずさる。また一歩、カイラが近づく。私はまた一歩退く。今度は二歩、カイラが踏み込んでくる。私は振り払おうとして手をふった。

 ぱちり、と小さな音が鳴る。何だかわからず私は少しだけじんとした自分の右手を眺めた。カイラが私の顔を見つめ、左頬を手で押さえている。

「ごめんカイラ、そんなつもりじゃ」

「だって私、顔を思いっきり近づけてたし」

 言ってまた顔を近づけてくる。と、エルフのシリルがこほん、と咳払いした。

「見方によっては、少し妖しい雰囲気にも見えますよ、カイラさん。とくに僕のような異種族ですと」

 え、と言ってカイラは固まり、私も首を傾げる。ルイーザも頬を赤くしている。改めてカイラを見直す。相変わらず顔だけは整っていて、目の前の桜色の唇は何というか。

 何というか。

「とりあえず教室出よう!」

 カイラが叫んで私の手を引っ張る。私もはっとして慌ててそのままカイラについて教室を飛び出した。


 何が何だかわからないうちに、私たちは屋上に出ていた。吹き抜ける風が火照った頬に心地良い。呼吸を整えるため、二人でそのまま床に座り込んしまった。

「彼氏はいないけど、それ以上にそういう方向の興味はないからね?」

「お兄ちゃんを諦めないその色ボケ、私にまで来ないのはわかってる」

 私も慌てて答える。私が今、胸がどきどきするのは屋上の階段を駆け上がってきたからに決まってる。そう、カイラと手をつないでいたから歩幅が合わなくて必死に走ったからに決まってる。

 カイラと手をつないでいたから。

 私は慌てて頭を振った。何考えてるんだろ私。そういえばアデリーヌが貸してくれたお話の本で、二人のお姫様が恋しちゃうお話があって、何だかアデリーヌとどきどきしたことがあったっけ。

 アリスはまだ初恋してないし、リルは。

 うん、考えるの止そう。

「あのね、私。アリスのこと、好きだから」

 私の手を取ってカイラがとんでもないことを言い放った。

「あのカイラ、熱ある? サリーの部屋で変な薬、拾い食いしちゃ駄目だよ」

「拾い食いなんてしてないよー! 私の家から帰ってから、アリスちゃん話してくれないから、嫌われたと思って!」

 カイラが涙目で私の右手をおそるおそる包む。何を言っちゃったんだ私。朝から何してるんだ私。

 まるでちっちゃい子どもみたい。

 ううん、子どもだけど。こういうことって、リルは戦術とか論理でしか考えられないから、感情の整理なんてことはむしろ、アリスの方がずっとましなんだから。

 ううんきっと私じゃなくシリルが悪いんだ。

 じゃ・な・く・て。

 私が、弱いんだ。

「カイラ、私ね」

 口にしかけて言い淀む。顔を背けようとして、今は逃げちゃ駄目だって自分に言い聞かせる。論理の出る幕じゃないんだってリルを黙らせる。つまらない矜持なんて捨てちゃえばいい。

 改めてカイラを見つめる。よく見れば、むしろジュピターの面影なんてすっかり曖昧になっていて。

 五百年という時間は残酷なほど遠く、そして優しい。

「カイラ、私ね、カイラはカイラで、ジュピターなんかじゃないって頭ではわかってる。カイラのこと、友達だって気持ちでいる。でも、なんか」

 言葉を切って、結局私は目を逸らしてしまった。

「カイラ、ごめんなさい。ごめんね、あのとき怯えちゃったの」

 私の中で捩じ伏せたリルがようやく暴れるのをやめた。ジュピターに、カイラに怯えた自身を正面から見つめる勇気が無かったんだ、リルは。全戦全勝、壊滅させることしか知らないリルには、重い事実で。アリスにとっては、悔しくて寂しくて、そして。何だろう、この騒がしい気持ち。

「アリスちゃん、気にしなくていいっていうか、そのまま受け入れちゃっていい気持ちだと思うよ」

 何を言いたいかわからず、私は首を傾げた。

「ほら、私って一族の落ちこぼれだから色々と失敗だとか恥ずかしい思いとかいっぱいしてて。それでもそういうときの気持ち、私は大切だと思うの。勝ち抜いてどんどん上に上がっていくことしか見ていないと、色んなものを見落としちゃうから」

「色んなものを、見落とす」

「アドルフォ先輩が襲撃してきたとき、シリルくんが立ち上がったじゃない。勝てるはずないのに、でも頑張ろうとしたシリルくんをすごいな、って思う気持ち。無駄なことをって切り捨てない誇りみたいな。そういうのって私、うちの一族じゃ一番わかってる、大事にできる自信があるの。それは大切なことだと思うの」

 大切な、気持ち。

 たぶん私にとても欠けていた感情。

 私はぎゅっと両手を胸の前で握る。アリスもたぶん、今の今まで幼くてはっきりわかっていなかった気持ち。でも、そんな理屈に合わない気持ちは、やっぱり無駄があると思う。そして。

「弱く、なっちゃうと思うよ」

 おずおずと言葉を吐き出すと、カイラは胸を張って答えた。

「そうだよ。弱くなるんだよ。一人で弱くなっていくから、みんなで強くなっていくんだよ」

「みんなで、強く」

「アリスちゃんと、私と、シリルと、ルイーザと、他クラスのみんな。あと、カンヴァスくんと、サリーさんにセーラさんにレティーナさんにビアンカさん。もっともっとたくさん増えていくよ。増えたつながりの分、弱点は増えるかもだけど、みんなで強くなっていくよ」

「楽天的」

「楽天的だけど、きっとそうやって私たち人間は短い寿命でも続いてきたんだよ。リルが眠っている五百年間だってずっとずっと」

 カイラは立ち上がって屋上を囲む柵に体を預ける。

「アリスちゃん、眺めいいよここ」

 うん、とうなずいて私もカイラの隣に立つ。広がる街並みと、焦茶色の煉瓦屋根が眼下に広がった。視線を商店街に移せば、大きな肉の塊を背負った恰幅の良いおばさん、すこしふらつきながら長い草のような野菜のようなものを背負ったお爺さん。林檎を山積みにした馬車がゆったりと通りの真ん中を進んでいく。反対側に目を向けると港が見える。沖には白い点のような漁船が浮いているのも視界に入った。港から出た馬車は先ほどの市場を目指しているのか、街中の通りへと入っていく。

「きっとリルが見ていた風景は、全然違うんでしょうね」

「違うけど、何ていうか」

 私はまたカイラから視線を背けた。私の目に入っていたのは計画された都市と設備、軍事施設ばかりだった。それ以外も当たり前にあったはずなのに見ていなかった。配慮していなかった。

 目を背けていた。

「でも全然違う風景でも、私たち人間はずっと変わりながら生きてきたの、みんなで」

 うん、とカイラに返事する。いつもなら私が色々と解説しているのに、今日はカイラに喋られてばかりだ。

「もちろん、私はおばかだから、実際の歴史とか、からっきしで、だから歴史の授業もアリスちゃんに教えてもらおうって思ってたとこなんだけどね」

「それ言っちゃ、台無しでしょ」

 言いつつ私は笑ってしまう。改めてカイラを見つめる。本当にカイラは弱っちくて、そして私より強い。

「カイラはおばかじゃないよ。それより私の方がおばかだよ」

「アリスちゃん?」

 うーんと体を伸ばし、カイラと目を合わせて答えた。

「本当に、カイラと会えて良かった」

 二人で笑い合うと、私たちはゆっくりと教室へと歩き始めた。

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