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時の果ての香り

 玄関に着くと、初老の執事さんが迎えてくれた。腰には翡翠から削り出した魔法杖を下げており、執事さんも魔法使いだ。

 そう言えばジュピターは氷の魔導士と呼ばれるほど沈着冷静、かつ氷結魔法が得意で、色々な小物や衣服も氷を連想するような透明、半透明のものを好んでいた。魔法杖のコレクターでもあり、翡翠の杖も持っていた気がする。

 彼が身に纏っていた冷気が漂ったように錯覚する。私は小さく身震いして。

「お寒かったですかな? ご遠慮なく仰って下さい。調節しますから」

 執事さんは手の中に小さく炎を浮かべる。サリーは興味津々の様子で訊いた。

「何でこのお屋敷はここまで涼しくされているんですかね」

 すると執事さんは表情を曇らせ、小声で内緒話のように答えた。

「このお屋敷は、暖まらないのです。初代の魔法の影響がございまして」

「初代と言うと、氷の大魔導士ジュピター様ですかね」

 サリーのさらなる質問に執事さんはうなずいた。

「私も詳しくは知りませんが、このお屋敷は初代以来のお屋敷で、何らかの魔法を残されておられて、未だ解くことはできないそうです」

 お兄ちゃんが私に視線を向ける。私は小さくうなずいた。ただ、私もそんなに長期にわたって冷気を保つ魔法なんて思い浮かばないし、そもそもそんな魔法を使うこと自体が無駄にしか思えない。サリーは肩をすくめて苦笑した。

「ま、これまで代々の子孫が五百年近くもの間解けなかった魔法を、いきなり私たちがわかるものではないでしょうがね」

 でもサリーは面白いものを見つけたような視線で私たちと執事さんを見回す。魔法の謎を解くか、この魔法に抵抗する何かの技術を作りたいのだろう。今日は私の調査のためなんだけど、後で私も一緒にサリーと謎に挑んでも良いかもしれない。

 それどころか、この冷気自体が、花咲島にあったような私への嫌がらせに似た宿題なのかもしれないのだから。


「サリー、かわいい……」

 応接室に案内されると、カイラがふらふらと寄ってくる。サリーはすかさず太腿から虹色の魔法杖を外すと一振り、カイラの両頬に氷を発生させる。カイラはひゃー、と小さい悲鳴をあげて正気に戻った。

「こういう阿呆がいるから私、お洒落とか嫌いなんですよ」

 サリーは言いつつも頬を染めてそっぽを向き、苛立たしげに先ほどの虹色の杖を小さく振る。杖はサリーの太腿より短く太さも太めの鉛筆程度で、直接打撃を受けたら折れてしまいそうなものだ。サリーは私の視線に気づき、杖を私に向けて言った。

「私は直接戦闘とかやる気はありませんから。実業魔法コースなので街中で何か製造するというのが基本ですし、そうなると丈夫な大容量よりは細かい制御がしやすい方がよろしいのです」

「その色はなんか、機能があるんですか」

 お兄ちゃんも興味を持ったようで問いかけた。するとサリーは平然と胸を張って答える。

「なんかこう、虹色って縁起良さそうとか綺麗とか、ファッション感覚鋭そうとか、そう思いません?」

「思わない!」

 すかさず突っ込むカイラ。いつも突っ込まれているせいか手厳しい。かと思ったら続けて言った。

「魔法杖のファッションはもっとシックに、そして珍しい素材や手元の意匠に凝るものなのですよー」

 何だ。ただの魔法杖マニアか。ちょっとカイラに期待して損した。カイラは私の方を向くと、急にしょんぼりした表情に変わった。

「いや私、そんな杖マニアとかじゃないんですけど。父がそういう趣味の影響だったり、初代も杖については造詣が深かったと」

「ジュピターは本気で杖蒐集家だったよ。ときには実用性無視で、ああいうとこ嫌いだった」

 私、リルはぼそりと答える。明らかに女の声でずっと間抜けた話し方なのに、ふとした調子がどこか、ジュピターと似ていて私は眉を顰めてしまう。唇を噛む。

「私はマニアじゃないですよ。美しいものを眺めることは、心を豊かにすることですよ」

 なぜ五百年も経ているのに、ジュピターよりずっと無能な癖にこの女は、ジュピターとそっくりなことを口にするんだろう。それに何より、カイラは私の友達だというのに。友達に何を思っているんだろ。私はカイラのこと、うざいなとは思っていても何となく好きで、何となく一緒にいられると安心できて、信頼できて。

 信頼できて、いるんだろうか。あのとき、私はジュピターたちに毒を盛られているとまでは思っていなかった。警戒はしていたけれど、それはきっと無駄なことだと思っていた。いや、でも私は花霧島でそんな警戒はしていなくて。

「とりあえずお茶でも飲んでお話しましょうよ」

 カイラは背もたれの高い椅子に座る。セーラの椅子は背もたれに龍と林檎を透し彫りであしらったもので明らかに高級品だ。残る私たちはソファーに三人がけで、ふんわりと体が沈み込む。この時代の貴族の応接というのはこういうものらしい。

 カイラの合図で、先ほどの執事さんが紅茶を持ってきた。セーラが好んで持ち込むような香りの高いものではないが、牛乳をたっぷりと入れたミルクティーだ。あとはお茶受けのクッキー。サリーはどれどれと早速クッキーに手を伸ばす。

「ほう、バジル風味のクッキーとは珍しいですね」

「我が家の伝統お菓子なの」

 バジルの、クッキー。ジュピターの視線が私を掠めた気がした。がたりと私は立ち上がり、部屋の出口を探す。でも慌てて向き直ってお兄ちゃんを探して駆け寄って、そしてもう十歳を超しているというのに、お兄ちゃんにしがみついた。

 だが私は魔法杖に手が伸びる。私の魔法杖は黒く細くて装飾もなく、ひたすら蹂躙に特化したもので、こんな粗末な杖では魔力に耐えられるかわからないが、無いよりはましか。杖を掲げ呪力を空間に配置。

 違う私はそんなことしたくないでも私が止まらない。

「お兄ちゃん私から杖を取って!」

 私の悲鳴に、お兄ちゃんは慌てて私の手から杖を奪い取る。私はジュピターを討伐する必要があるのに。

 じゃ・な・く!

 私はお兄ちゃんの胴に腕を回し、顔を思いきり擦りつける。お兄ちゃんがぎゅっと私を抱きしめる。腕の中があったかい。お兄ちゃんが私の頭、ついで頬を優しく撫でてくれる。顔をあげて周りを見回して。私の杖はサリーが預かってくれていた。お兄ちゃんは、背中をとんとんと叩くように撫でてくれる。

「アリス、深呼吸しようか。すーはー、すーはー、三回しよう」

 言われたとおりにする。暴れ狂うアリスも次第に論理性を回復し始める。

「ここは『カイラの』お屋敷だよ。ぼんやりカイラの」

「ぼんやりカイラって……」

 お兄ちゃんの言葉に、カイラは椅子の上でぐでっとなる。でもお兄ちゃんは無視して続けた。

「そしてあっちに杖を持っているのは、変人サリー」

「せっかくお洒落してもその評価ですか!」

 さしものサリーさえ、いくら何でもという顔でやっぱりぐでっとなる。

「つまりここは、平和でぼけたただの寒いお屋敷」

 私もようやくお兄ちゃんから体を離し、ちょっとだけ無理の残る笑顔をつくる。

「ここは、ただのお屋敷」

 もういちど、お兄ちゃんは言葉を繰り返す。私もうなずき返し、お兄ちゃんの手を握る。もういちど、すーはー、すーはーする。私、アリスが完全に主導権を取り戻した。

「ジュピターは、やたらと凝った椅子に座って気障ったらしくミルクティーを飲んで妻に焼かせた特製のバジルのクッキーを食べるのが大好きだった。そして杖マニアの癖に魔法の腕だけは良くて、そのくせ貴族は嫌いだった」

 アリスでいるけれど、私の口から漏れ出る言葉はリルの言葉で、リルの価値観で。

「そしてリルによく仕え、そしてリルを」

 言葉が止まる。全員の視線が私に集まる。

「だからきっと、同じことをしているカイラは絶対」

 何を言おうとしているんだ。お兄ちゃんが不安そうに私を見つめる。私はお兄ちゃんの手を握り返す。いつも冷静だったジュピターと違って、おろおろとしながらでかい体を丸めるように小さくなっているカイラが目に入る。私の目に入る姿は、胸が大きくてたまにお兄ちゃんを誘惑して後先考えることも忘れるほど間抜けで。

 そしてお人好しで優しいカイラ。

「だからカイラは絶対、ばかな子だよねって」

 全員、がくっと力が抜ける。私はごめんなさい、って言って再び立ち上がり、カイラの椅子による。カイラにも抱きついて、カイラはおそるおそるみたいな感じで私の背中を撫でる。

「ごめんね、カイラ。怖がらせちゃって」

「違う、アリスちゃんは悪くない。なんにも考えないでいつものように、ただ伝統伝統ってやってた私が、ごめん」

「それはただ、私が、リルもアリスもきっと心が、弱かっただけ」

「リル、も?」

 わかんないかな。わかんないかもね。でもそうなんだ。改めて私はカイラの手を握り、そっと頬をカイラの首筋に擦りつけた。

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