表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十歳アリスちゃんは元大魔王でした  作者: hiroliteral
落ちた花弁は戻らない
32/76

虹色ミントティー

 翌朝は私が一番最初に起床した。まあ寝ずの番はレティーナが勤めてくれていたんだけど。レティーナ曰く「大自然の中で夜通し独り飲むのは乙なもの」。本心なのか照れ隠しなのかはよくわからないけれど、持ってきた酒瓶が全部空になっていたところを見ると、本気だった気はする。

 私はちゃっちゃと寝てしまったけれど、レティーナにはカイラもかなり遅くまで付き合っていたようだ。レティーナによれば、カイラはお嬢様育ちで普段は夜更かし禁止だから、という。やっぱりカイラに十歳児と呼ばれるのは、リルを抜きにしてもどうも納得いかない。

 でも、今回ちょっと自分でも驚いてしまったことは、完全に眠りこけていたこと。アリスとしては夜更かしできないなんて当然だけど、リルとしてはこんな島の野外で、緊張もせずに早々に眠ってしまうなんてありえないことだった。もちろん、単純にアリスの肉体では限界だったこともあるし、今回の冒険ではアリスの心にリルが負けっぱなしなせいもある。

 でも、覚醒してから今はリル、今はアリスだって頭の中は分かれていたはずなのに、最近はアリスとリルの境目が薄くなっている気がする。そしてそれ以上に意外なことは、それに怯えているのがアリスよりむしろ、リルだということ。

 全てにおいて優っているリルが最終的にこの肉体と魂の主導権を握るはずだった。でも違う。アリスがリルを飲み込んでいこうとしている。それは今、この寄る辺のない世界の中での恐怖。

 でも。

 その恐怖は、お兄ちゃんと離れることよりかずっとずっと、ちっちゃいものだって、どちらの私も思っているんだ。私はまだ起きずに寝返りをうったお兄ちゃんの唇を、そっと指先でつついた。


 船が来るまでは時間があるので、浜で遊ぶことにした。場所は来島した方と反対側の浜で、こちらには簡易だけれど石積みの船着場が整備されている。全体として岩礁となっており、船の出入りする航路帯だけは魔法で深く掘り込まれていた。渚から見ても航路帯だけが群青色の道路のように波打っている一方で航路の外側は浅くなっており、遠目には青よりも緑がかって見える。

 レティーナはさっさと海に潜ると、航路の外側に浮かんで心地好さそうにしている。だがよく見ると、美しい人魚には似つかわしくない茶色のベルトをいつの間にか巻いている。

「レティーナ、それは何の魔法具ですかー」

 サリーの呼びかけに、レティーナは腹を叩いて笑いながらベルトを持ち上げて見せた」

「魔法具じゃないよ! 海で居眠りしても流されないように昆布を巻いているの」

 なるほど、よく見ると褐色のベルトがぬめぬめと光っている。居眠りの錨代わりに昆布を使うとは、人魚が野生的なのか、あくまでレティーナ個人の性格のせいなのか。とにかくやっていることが乱暴なのは間違いない。

 ふと後ろから、頭に重たい柔らかいものがどすりと乗せられた。

「何この邪魔っけなもの」

「水着だけだとやっぱり重たいんですよ」

 振り向くと案の定、水着姿のカイラが無駄に大きい胸を私に乗せていた。サリーがきしし、と笑って言う。

「重たいなら脂肪吸引しましょうか。キャンプの食用油に使えるかもしれません」

「取らないで!」

 カイラは慌てて胸を隠す。でも隠しきれない大きさにちょっと呆れてしまう。お兄ちゃんを見るとカイラのせいで私とまで目を合わせない。カイラが悪い。私は魔法で海水を巻き上げ、カイラの頭からぶっかけてやる。ひどい、という抗議の声を無視して改めて周りを見渡した。

 するとセーラが短剣を抜いて手近な岩を何かがりがり削っている。何をしているの、と声をかけると、セーラは満面の笑みで手の中のものを見せてくれた。

 それはアワビに似た貝で、でも貝殻にはアワビと違い穴が空いておらず、また少し深いようだ。セーラは手早く貝を外して内臓を空に投げる。カモメがそれを空中で受け止めて飲み込んでしまった。残った貝はざるに入れ、残った貝殻を海水で洗い、丁寧に布で拭き取ると殻の内側が虹色を反射した。

 セーラは黙ったまま鼻歌で水筒を手に取ると、薄く淹れたミントティーを貝殻の中に注ぎ込む。ミントの鮮烈な香りとともに、貝殻の中が虹色の小さな湖に変わった。ほう、と私は溜息をついてしまう。

「どうぞ、虹を飲んでみてくださいな」

 おそるおそる口に運ぶと、ミントの鮮烈な香りと刺激が口の中に広がった。ほんのりと残った海水の塩味が、何故か不思議と心地よい気がする。口から離してまた虹を眺め、そして虹色の湖を飲み干してしまう。

「せっかくの海ですから、お庭のお茶会ではできないことをしてみようと思って」

 お兄ちゃんは先ほどの貝を受け取り、ナイフで薄く削いで私に火をくれと言う。私が魔法で石の窪みに火を灯すと、お兄ちゃんはセーラから貝殻を受け取ってミントティーを入れ、そこに貝を並べて加熱する。くつくつと沸いた中へ胡椒とレティーナから隠しておいた小瓶の白ワインを加え、ほんのりと良い香りが漂い始める。

「もっと作ろうか」

 カイラがナイフを握って私とサリーを手招きしている。沖からレティーナが先ほどのアワビを両手に握って上がってきた。私とカイラ、サリーは再び貝を探し、セーラはレティーナの貝を捌き始めた。

 貝はすぐに見つかったけれど、岩にしっかりとしがみついて離れない。

「岩ごと削っちゃおうか」

 私が呪文を唱え始めると、カイラに頭を叩かれた。

「アリスちゃんは魔法が上手だけど、何でも魔法で済ましちゃいけないと思う。それに岩は壊したら元に戻らないでしょ」

 カイラに言われるとちょっと腹が立つけど、でも言っていることがあまりに正しくて私も少ししゅんとしちゃう。カイラは慌てて私の頭を撫で、私に短剣を握らせた。

「こうやって抉ってやると剥がれるから。簡単だよ?」

 言われたとおりにやると、きゅうっとくっついていた貝がぽろりと手の中に落ちた。手の中でまだしがみつこうとむにゅむにゅ動いている。何だか今朝のお兄ちゃんの唇の動きを思い出してしまい、何だか笑ってしまう。

「アリスちゃん、何だか楽しそう」

「うん、楽しい。楽しいよ。すごく面白いの」

 ここにきて良かった。みんなと一緒にいて良かった。転生して良かった。

 思ってはっとなる。今の気持ちは、アリスだけじゃなく、リルも。私は今、リルとアリスが本当に混じっていて。

「アリスちゃん、どうしたの?」

 ううん、と首を振り、でもまた笑みがこぼれてしまう。私はただ、今を楽しんでいる。今を生きている。

「そっちも処理しますわ」

 セーラが寄ってきて、今度は見えないような動きで貝を処理していく。調理というよりは武術というか舞うような動きで、無駄もなく殻に傷をつけることもなく薄切りをつくると、一つの貝殻に二つ分ずつ入れて兄ちゃんに渡す。私はお兄ちゃんの指示する場所に次々と魔法の火を立てた。お兄ちゃんは手際よく貝を調理していく。

 やっと全員の貝が仕上がり、そしてさらに貝殻入りのミントティーも振る舞われた。

「ほんと、やはりカンヴァスくんは調理人向きですねー。お父さんに言って出資してもらいますか?」

 カイラがまた好き勝手なことを言う。するとレティーナが間抜け顔で言葉を重ねた。

「私、これがおつまみに出る店なら飲みに行ってあげる」

「私もティータイムを過ごしてあげてもよろしいですわ」

「私もこんな料理食べながらだと、発明が進みそうだね!」

 お兄ちゃんは苦笑して私の頭を撫でながら言った。

「この人たち全員が来てくれる店だってさ」

「それ、またセーラが戦闘してカイラ辺りと喧嘩して店壊されて、サリーの実験で普通の客が逃げ出して、レティーナみたいな酔っ払いがくだ巻いてる店になるだけじゃないかな」

 くすくす、と私は笑いながらみんなを見回す。みんな口々に酷いな、と言いながら笑い声をあげてまた、虹色を飲みつつ貝の切れ端を口に入れて微笑む。何だろう、この時間。空高い青空と波の音の中、私たちはほんわかした気持ちで沖を眺めた。

 ぽつり、と沖に点が見える。点は次第に船の形になり、そして航路へと入ってくる。舳先には私とお兄ちゃんの名前を書いた旗が翻っていた。

 楽しい時間がもうすぐ終わる。名残惜しいけれど、でもどこかほっとしたような気分になる。私はミントティーを入れていた貝殻の内側を拭き取ると、大切にハンカチに包んで鞄の奥へと押し込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ