もう一つの秘密
「で、結局はどういうことなの?」
カイラの問いに、サリーは私を横目で見ながら答える。
「この島に仕掛けられた魔法は、魔王三人衆の一柱、闇の僧侶ダークマターが、大魔王リルを狙って仕掛けたものだったということですよ」
「ダークマター様は、アリスちゃんみたいにちんちくりんになるって予想してたってこと?」
「さすがにちんちくりんになるとは予想していなかったでしょうが、心は変わるかもと期待していたようですね」
考え込んでいたセーラも話に入ってきた。
「確かに、ダークマター様の視線は私たちの高さで、アリスの頭を通り過ぎておりましたわ。ちんちくりんはやはり想定外なのでしょうね」
最後にレティーナが笑顔で私の頭をぽんぽんと撫でつつ締めた。
「たとえちんちくりんになっても、心が成長するのはめでたいことだねー」
私は笑顔で四人のお姉ちゃんたちを見回すと、素早く氷結魔法を組み上げて怒鳴った。
「ちんちくりんって言うな!」
お兄ちゃんと私以外、季節外れの吹雪に凍えた。
「まあ、ちんちくりんはともかく」
まだ言うか。私はサリーを睨みつける。でもサリーは意にも介さず冷静な様子で続けた。
「門にあった争いの禁止の歴史、そして隠された大魔王リルへの仕掛け。案外と大冒険でしたね」
「旅は帰郷まで気を抜かないものですわよ?」
セーラの言葉に、最も気の抜けた酔っ払い人魚がヘラヘラと笑いながら拍手した。カイラはとにかく楽しそうに笑顔でうなずいている。私も笑顔でお兄ちゃんを振り向いた。
たけどお兄ちゃんは真剣な顔で何かを考え込んでいた。お兄ちゃん、と呼びかけると、はっとした様子で私の顔を見つめる。でも言葉は降りてこない。
「お兄ちゃん?」
改めて声をかけた。お兄ちゃんは空を見つめながら呟く。
「アリス、まだ謎は残ってるよ」
謎、と私は呟く。お兄ちゃんは慎重な様子で言葉を続けた。
「でも今のアリスには、その謎の存在にすら気づけない」
私は少し苛立った声で、何それ、と口を尖らせた。お兄ちゃんは算盤を取り出すと、ノートにがつがつと数字を書き列ねながら何か計算していく。そして最後に全部の玉をざっと弾いた。
「僕は魔法使いじゃないから、正確にはわからない。でもアリス、大魔王リルの治世からずっと壊れず維持されている魔法って、最も小さいものでも僕たちがいた村が一年間で使うお金よりもずっと使っていたみたいだ」
言われて私はリルの記憶を呼び起こす。確かに、そんなものだろう。だから長持ちする魔法は無駄だと言って切っていたはず。切っていたはずなのに、何でこんな所に。
「ちょろまかせる額じゃないから、完全な嘘でリルが騙されてこの魔法が作られたか、それとも」
言葉を切って私をじっと見つめ、優しく頭を撫でてくれて続けた。
「大魔王リルの、治世が終わってから設置された魔法だよ」
サリーがほほ、と言って再びツユクサを摘んで何事か調べる。
「たぶん、大魔王治世終了後ですよ。極めて原始的ではありますが、安定魔法特有の制限がかかっています。魔法の暴走を防ぐためのですよ」
「さすが、サリーさんよくわかりますねー」
「カイラちゃんおだてても何も出ないよー。そうですね帰ったらお菓子でもおごってあげましょうか」
いや出す約束しちゃってるしサリー。っていうかカイラって呆けているんだか上手なんだかよくわからない。まあ、呆けている分、こういうのが生存能力なんだろうけど。
とりあえず私はお兄ちゃんに言った。
「ほら、すぐ謎も解けたし私にわからないってほどじゃないでしょ」
するとお兄ちゃんは笑顔のままで言った。
「ほら、やっぱりアリスはわかっていないよ」
もう一階段、私は苛立ちの段を登った。腕組みしてお兄ちゃんを睨みつける。
「今日のお兄ちゃん、意地悪だ。っていうか屁理屈言うの格好悪いよ」
するとようやくお兄ちゃんは真面目な表情になり、腰を屈めて私と目線を合わせると、慎重な声で言った。
「なぜ三人衆は、大魔王リルを自らの手で倒しておきながら、復活前提の、それも人が変わる前提の仕掛けを、大金をかけてまで作ったんだろうね」
私は息を飲む。振り返ると他の全員も目を丸くしていた。
「例えば落書きが偶然残っていたなら、ただの悪戯かもしれない。でもこの魔法には、国の予算がかかっているとしか思えない。なぜそうまでして、仕掛けたのだろう」
「私が、転生することを、知っていた?」
「そして、人格までもが変わってしまうことも期待していた。いや、それよりも」
お兄ちゃんも興奮した面持ちで最後の言葉を吐いた。
「もしかしたら、今のこの世の中全部が、大魔王リルを変えようとした仕組みかもしれない」
大げさすぎる話。でもお兄ちゃんは言う。なぜここまでこの国は善良なのだろうと。子供を大切にするのだろうと。転生すれば子供としてやり直しの期間がある。だから。
私はまだ、彼ら三人衆の罠の内側に留まっているのだろうか。薄ら寒い気分になってくる。でもお兄ちゃんは明るい調子で言った。
「それならそれでいいんじゃないか。そのまま罠の中で、普通にアリスとして生きていけば」
ぎゅっ。お兄ちゃんの腰に抱きつく。頬ずりする。私は、リルはリルのままでいたいのだろうか。アリスだって私。私はアリスだから、普通に学校に行って、アデリーヌやアデルと山で遊んで、ちょっと面倒な魔法を勉強して、そしてもしかしたらあったかい恋をして。
アリスはそんな人生を考えていた。覚醒する前なら、大魔王リルのお伽話にあるような大冒険もほんの少し、思ったことだってある。でもそんなのやっぱり怖くて。実際、そんなお話を読んで寝られなくなってお兄ちゃんの部屋に飛び込んだことだってあって。
私は、私の十歳のちっちゃな手の中にあるキラキラした幸せを逃したくなくって。
その幸せはきっと、元の大魔王リルは到底手にできるものじゃなくって。
だから私は今、もしかしたら罠かもしれないこの世の中を、アリスは絶対に壊すことを許さない。そして、それを壊せるかもしれないリルも罠を食い破られず、でもその幸せが崩れる日を、無邪気なアリスの隣で恐れている。
背中がそっと優しく撫でられる。お兄ちゃんの手の感覚だって罠かもしれない。
でもそれが罠なら、なんて甘美で優しくて幸せな罠なのだろう。
「謎は解かれるべきだと思うよ、お兄ちゃん。でもね」
私は言って全員の顔を見つめ、照れながら言った。
「でもこの謎は持ち帰りだし、みんなと一緒にずっといられる方法の方が、ずっと大切な謎だと思う」
レティーナが調子っ外れな歌声で私に乾杯、と言う。カイラとセーラは臆面なくありがとうと言い、案外とサリーだけが背中でも痒そうにそわそわして赤くなる。
アリス偉いな、というお兄ちゃんの声に、私は当然だよ、と頷いた。