起きてお兄ちゃん
「私の師匠だけあって、変人だけど医師としての腕は確かだから大丈夫だよ」
「変人だけど、は余計だ。奇人エルフのサリー」
駆けつけてくれたお医者様は桜花寮きっての知恵者にして変人エルフ、サリーさんとそのお師匠様だった。
最近、遺物退治の仕事が本当に必要なのか、騎士の利権だといった市民の声がある中であの魔石が出てきたので、多少強引に騎士団が自分の管理にしてしまったそうだ。魔導師会も魔石が一見、それほど何かの力があるようにも見えなかったので、厄介ごとを拾う奴がいた、といった体ですぐ手を引いたそうだ。
その後、表面に見えていた魔法陣の一部に危ない文言があることに気づいたサリーさんとそのお師匠様は、万が一に備えて勝手に控えていたそうだ。
曰く「何か起きたら魔法学校幹部に自慢できちゃうじゃない。被害歓迎」というさすが、奇人変人の考えることはろくでもない。正直、人としては私と違う方向で最低の部類だと思う。
そう、私は最低だ。
ほんの少し、気をつけていたら。
丁寧に転生後の体をわかっていたら。
もっと真面目に訓練していたら。
慢心していなかったら。
お兄ちゃんを傷つけずに済んだはずなのに。
「アリスちゃんは頑張ったよ。というか頑張りすぎて何を発動したのかも私には理解不能だけど」
サリーが無理に落ち着いた笑顔をつくって私に語りかけた。お兄ちゃんは気を失ったまま診察を受けている。厄介な呪いまで絡んでいると怖いから、気を失っているのはむしろ幸いだ。
そんな冷静な判断もできないほどに。
私はあの場が怖くて。お兄ちゃんを喪うことが恐ろしくて必死に泣きながら叫んでいた。
リルは、攻撃されるか、むしろ泣かせる方しか知らなかったんだ。
喪う怖さを、生まれて初めて知った。
誰にも言えないけれど。
何が大魔導師だ、大魔王だ。大切なものを守る方法は先手必勝で攻撃することしかできなくて治すことは何一つできなくて壊すことしかできなくて完全な欠陥品。
それが私で。
そんな私の側にいて、優しくしてくれるのがお兄ちゃんで。
「大丈夫だ、軽い火傷だが、顔は跡も残らんだろう。厄介な毒はお嬢ちゃんが水壁の中で大方壊してくれていたから、簡単に消せる毒が少し残っていただけだったよ」
ほう、と私は安堵の溜息をついてお兄ちゃんの顔を覗き込む。ちょっと赤くなっているが、肌の表面を薄桃色の何かを混ぜた氷がうっすらと覆っている。
「サリーちゃん特製、美肌化粧水入りの氷だよ。火傷の皮膚にも効果あるんだ」
「それ、人体実験じゃないよね」
「アリスちゃん目が怖いよ。大丈夫、うちの師匠から太鼓判を貰っているし、私はもちろんセーラとかも既に使っているから安心だよ」
ようやく本気で安堵の溜息をつく。改めて私はこっそりとお兄ちゃんの体を魔力走査した。確かに変な呪いもない。何か掠ったような跡はあるけれど、一応はそれも丁寧に消しておく。
「後で警備官がアリスちゃんから魔法の件を聞きたいって言っていたけど、今日一日はカンヴァス君のこともあるし、桜花寮で預かるってことにしたから、今日は二人、すぐ戻って。ビアンカが警備官へ説明に行ってる」
サリーさんの説明に私はうなずきながらお兄ちゃんの顔をじっと見つめる。良かった。お兄ちゃんと一緒にいられるなら、全然問題ない。
「じゃあ、カンヴァス君に起きてもらうか。アリスちゃん、目覚めのキスを」
はい、と言ってお兄ちゃんの顔をさらに覗き込んで。
「って、サリーさん何をやらせるんですか!」
「いや何かそういう雰囲気漂っていたしいいかなとか」
「私とお兄ちゃんは兄妹です!」
「道ならぬ恋。研究し甲斐がありそうだ」
「私たちを実験材料にするなー!」
「恋については否定しない系」
「まず実験材料は嫌だと言ったんでしょ!」
「アリス、誰かに恋したの?」
ずきんとする別の声が足元から聞こえた。目をこすりながらお兄ちゃんが起き上がる。サリーさんはすぐにお兄ちゃんへ向き直ると悪戯っぽい声で言った。
「いやね、アリスちゃんにカンヴァス君へ目覚めのキスを応援していたところだよ」
「たぶん助けてくれたみたいなので、ありがとうと言いたいところですけど、まずはアリスの教育に悪いことは止めてもらえませんか」
お兄ちゃんが真顔で言いつつ、私の頭を優しく撫でる。ふわふわと力が抜けそうになってくる。そして。
「アリス、僕はもちろん、みんなを助けてくれてありがとう」
お兄ちゃんの言葉に。
私は嬉し涙を流しそうになって必死で笑顔だけ向けた。




