侵蝕
お出かけ先については、結局は私が決めることになった。お兄ちゃん、私より早く帰宅してもとにかく勉強していると思ったら、本当にろくに街歩きもせずに勉強しているみたい。
お兄ちゃんは元々が頑張れば入学できる、と言われて勉強して入学したぐらいだから、しばらくは学校の勉強についていけるか不安らしい。私についてはお兄ちゃん、途中で遅れても飛び級だから良いかと言ってたけど、でもやることはやるようにと釘を刺された。
まあそんなこんなで、私たちのいる場所は。
「無理しなくて良いんだぞ、アリス」
優しい言葉をかけながら含み笑いをするお兄ちゃん。試食後に慌てて水を飲んで舌を出す私。
私が誘ったのは、最近王都で有名な「ファンタジー・スパイス」という飲食店兼薬局というお店。香辛料を使った料理が売りで、さらにこの香辛料で薬も出すし、療養向けの保存食まで作ってくれる。
剥き出しの梁の一部には贅沢に香木を使い、仄かに香る甘く刺激的な香りがちょっと大人のムードある店、ということで王都では若い層に大人気、というカイラからの受け売り。
カイラの口車に乗った私が莫迦だった。さらに裏取りしたのが、ワインを満たした桶で泳ぎ飲みながら食堂を空中浮遊していた酔っ払い人魚のレティーナだった。きっとあれ、酒のつまみ探してたんだと思う。実際、メニューには「甘いワインと激辛のハーモニー」とか書いてる。これなら紅茶好き戦闘狂のセーラに訊けば良かった。
ああ確かに大人のムードですよ。お子様なんていませんよ。
辛くて食べらんないから。
店員さんが「これが無理なら普通のメニューはちょっと」と言って私の口に放り込んだ一口サイズの揚げ芋は、私のお子様な口を燃やすには十分だった。料理できない味音痴なのに、辛いのはお子様だから無理。甘くないと無理。
「じゃ、アリスはこの『あまあまお子ちゃまランチ』でね。僕はこっちの『カレイの香草煮』にするかな」
お兄ちゃんは、ハート型の型抜きパンとプリンやオムレツをネコさん型の皿にあしらったセットと、カレイに刻み唐辛子とバジルをあしらった料理を指差す。お子ちゃまランチ。
お兄ちゃんと同い年程度のカップルが私たちを見た。男が怪訝な顔でデート、と呟く。ここまで来て子守してるんでしょ、と女の方が吹き出した。
「アリスもたまに冒険したいんだもんね。あとでちょっぴりだけ僕の料理も分けてあげるから。それとも冒険して交換してみる?」
お兄ちゃんまで笑い出した。カイラと酔っ払い人魚め覚えてろ。カイラにテスト対策のノート貸してやんない。人魚には二日酔いの長引く呪いをかけてやる。あ、ダメか漁業実習の日、二日酔いだと迎え酒を飲む楽しみとか言ってた。
そんなこんなで口を尖らせていたけど、料理は素早く出てきた。お兄ちゃんは水を飲んで汗を拭きながら旨いと言って食べてたけど、私が一応つまみ食いした感じではやっぱり口、燃えた。ムードなんてかけらも無いお子ちゃまランチなのに、残念なほどに美味しかった。
食べている最中に、隣りのカップルが遺跡の話をしていた。この近所に新たに見つかった魔王リルの遺跡があるんだとか。何を設置したんだっけ。私がいた頃の王都だと、確か侵略防止の城塞施設だった気がするけど、街並みが変わりすぎて自信は無い。
お兄ちゃんも遺跡の話は学校で噂に聞いていたそうだ。
「見学できるそうだから、アリスも興味あるなら行ってみる?」
私は二つ返事でうなずいた。
お洒落な小物や焼き林檎、巻貝の網焼きなど屋台が立ち並ぶ中、ぽっかりと開けられた空間に衛兵が立っていた。衛兵の背後には、カラスの羽のように黒々とした、石の巨大な球が埋まっていた。球の表面には複雑な魔法陣が描かれており、地中部が見えないので何なのかわからない。
何でも屋台の土台を作ろうとしたら地中から出てきたらしい。やたらと重く馬で引いても動かないし港湾工事で防波堤の石を動かしている魔法使いでも動かせないので、とりあえずこうやって衛兵で守っているそうだ。
「こうやって見学して大丈夫なのかな?」
「僕も遺物処理を目指している先輩から噂で聞いただけなんだけど、発動条件が魔王リル本人だけなんだってさ。だから起動するはずないって。アリスは魔法学校で聞いていないの?」
遺物処理と言えば開発魔法コースだけど、どこかでボロを出すと怖いのでそっちの先輩とはあまり話をしていない。でもまあ、リルが発動条件なら大丈夫か。
お兄ちゃんと一緒に石に近づきかけ、気づいた。
私が発動条件。そんなものは、少なくとも王宮にしか置かなかった。
だとすればこれは、まさか。
「おい、何か魔法陣が光った気がしないか」
衛兵が呟いた。
「お前らどけ! 危険だ!」
私が叫ぶ。は? という感じで衛兵が私と石を交互に見る。と、石がいきなり土から浮き上がった。唖然として動かなくなる衛兵。慌てて金とありったけの道具を抱えて逃げ出す屋台。悲鳴をあげる女たち。私の手を握り締め、私の前に立とうとするお兄ちゃん。
でも私はお兄ちゃんの手を振りほどいて腰から魔法杖を抜いた。普段は封印していた魔力を解放する。やばい。これは誰かが私を殺すための魔導装置だ。
球が青色に染まり、次いで表面の魔法陣が赤く輝いて天空に映し出される。狂ってるこんな呪文を放ったら。いつもは口の中でしか呪文を唱えないようにしているけれど、今回はそんな余裕は無い。
「歓喜せよ恋人の号泣を 怨嗟せよ同胞の幸福を
祝え海洋の破滅を 呪え大地の恵みを
四は死に通じ愛は哀に通じ今日は狂に通じる道を」
私の謳う言葉とともに、石が描いたものと同数、四つの魔法陣が浮かび上がる。衛兵が四つん這いで私と石から逃げ出した。石が真っ赤に輝くと同時、私は掲げていた魔法杖を振り下げた。
魔力衝突。衝撃波で衛兵と屋台が吹き飛ぶ。沸騰水の毒雨を、大地から吸い上げた水で作った氷の傘で受け止め、そのまま石があった陥没に雨を流し込む。
石の浮かんだ真下の大地から土の杭を立ち上がる。そのまま石球を貫いた。破壊完了。
と。石が再び輝いた。私の体を赤い光が目指す。まずい。これが本攻撃か。
先ほど溜めた毒雨を呼び出し、それで毒氷の壁を張った。ぎりぎり間に合う。光が溶けていく。やっとこれで。まずい。魔力はまだまだあるのに体力が。子供の体じゃ。
と、毒雨壁の高いところが融けて跳ね、私の頭を飛び越した。熱い、と声が聞こえる。
「お兄ちゃん!」
私は叫ぶ。
お兄ちゃんがその場に倒れこむ。苦悶の声が聞こえる。
石は砂になり沈黙する。
人々も呆然と沈黙する。
私は叫ぶ。
「誰か! 誰か早くお医者さんを! お兄ちゃん! お兄ちゃん! お兄ちゃん!」
私は叫ぶ。




