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始原の魔法姫

「アリス、誕生日明けだからって寝坊し過ぎだぞ」

 少年の声が聞こえ、私は眠い目をこすって起き上がった。腕の中のクマちゃんにおはようして、少年を見上げる。

 栗色の髪と、ちょっと垂れ目な栗色の瞳。こざっぱりとした麻のシャツを着て、片手に木製の武術練習用ナイフを握っている。彼はぼんやりとした私の隣に腰を下ろし、私の頭を撫でて言った。

「アリス、まだ寝ぼけているの?」

 カンヴァス。中等学校三年生。平凡な顔立ちで、武術は中の上程度の成績、勉強は中ぐらいらしいけれど、努力家で優しい、ちょっとお人よしという評価。私の大好きなお兄ちゃん。

 私はお兄ちゃんの手に満足してまた幸せにまどろみかけ。

 違うだろ。

 やっと私は再び覚醒した。

「アリス、ようやく起きたみたいだね」

 お人よしな笑みを向けるカンヴァスを見て、私は何を寝ぼけていたのだろうと思い返す。自分の頬を撫で、尻から胸を撫でて確認する。

 夢ではない。やっぱり少女になっている。

 何度も夢かこんなのは現実じゃないなんて現実逃避するほど私は暗愚ではない。少なくともこの少年なんか。

「アリス、何を難しい顔してぶつぶつ言ってるの?」

 カンヴァスはひょいと私をお姫様抱っこした。わーい、お兄ちゃん力持ち。

「お兄ちゃん大好き」

 へへっと笑って頬をお兄ちゃんの胸に埋める。今、何考えてたんだっけ。そーだ! 朝ご飯は何かな。


「なんか今日のアリス、浮いたり沈んだり、風邪でもひいたの?」

 カンヴァスが私の顔を覗き込んでくる。私は慌てて顔を背けた。

 何が「わーいお兄ちゃん」だ。抱っこなんてされなくたって空だって飛べるのに、何が嬉しいのだか。私の魔力があれば、男なんて幾らでもはべらせられるのに。例えば。

「いつまでもぼんやりしているな。しっかり食べるんだぞ」

 お父さんの言葉に頷いてパンを慌てて口に入れる。おいしーな。今日はラズベリーのジャムにしようかな。お母さんのスクランブルエッグは甘くてふっわふあで美味しいな。

 じゃ・な・く!

 そう、男をはべらせることさえ可能だという話。そう、父のような大の男でさえ、私の足の甲に口づけするだろう。

 ……絵面を想像して具合が悪くなる。十歳の女の子にはべる後宮の男たち。どうみても変態の集団。いやだそんなの組織したくない。男なんてお兄ちゃんがいてくれたら何でもしてくれて優しくて嬉しいな。

 じゃ・な・く!

 私って客観的に見てブラコンとかいう気があるかもしれない。いや十歳なんてこんなものか。

「ねえアリス、具合が悪いなら正直に言いなさいよ? あなた強情張りだからお母さん、心配」

 お母さんの言葉にはっとなり、家の中を見回す。両親とお兄ちゃんが心配そうに私を見つめている。そしていきなりお兄ちゃんは私のほっぺを両手で挟んで顔を近づけてきた。

 何? 時代が変わって兄妹はそういう関係になったのだったか? いやアリスとしてそんな知識は!

 ぴと。額をくっつけてきた。なんだそっちか。

「熱は無いみたいだよ。でも」

 再びほっぺを押さえて私の顔をじっと見つめてくる。顔が熱くなってくる。

「アリスの瞳、真っ赤になってる。高魔力の魔女みたいに」

 慌てて私はカンヴァスの腕を振り切り、椅子から飛び降りた。

 嫌だ。また昔のように強制収容される。魔道研究所送りにされる。

 そして虐待される。

 殺すしかない。

 全員殺して逃げて魔法軍を組織して悪意のある奴は全員を排除して君臨して支配してまた排除して生き残るんだ。

「おめでとう、アリス。憧れの魔法使いになれるんだね」

 はて。兄がのんきなことを言い出した。

「お父さん、アリスの学費、貯めておいて良かったでしょう」

 お母さんが胸を張って、お父さんが頭をかいている。何だこのアットホームは。

「アリス、どしたの? 魔法使いになれるんだよ?」

「私を恐ろしく、感じないのか?」

 お兄ちゃんがぷっと吹き出して私の頭を撫でた。

「何だよその口調。もう大魔法使い気分かな、アリスは。赤い瞳は魔法使いの証。伝説の魔女・リル様が定めた教えでしょ」

「伝説の……魔女」

「そう、伝説の魔女。今から五百年前の魔女で、二百歳まで魔法使いを導いた魔法のお姫様」

 五百年前。何を言っているんだ。いや私のはずがない。お姫様なんて私は大魔王として恐れられて。

「ほら、僕の教科書。まだアリスには難しいかな」

 お兄ちゃんが教科書を開いて一枚の絵画を示した。そこには、私が全てを蹂躙して君臨した際の戴冠式の様子が、思い切り可愛らしい色使いで描かれていた。

 いつも黒い革の戦闘服に身を包み、全てを蹂躙していた私。その私が唯一、政治戦術として身につけた戴冠式の純白のドレス。その姿が「始原の魔法姫(大魔王)リル」と明記されていた。

「これって……なん……だっけ」

 私のかまをかけた問いかけに、お父さんは吹き出した。

「そういやアリスって、魔法使いになりたいって言うくせにリル様の昔話を聞かせようとするといつも逃げていたな」

 お父さんが意地悪な顔で私を見つめてくる。私は頬を膨らませて言った。

「だから、何なの」

「だからね、この国の基礎を作った魔法のお姫様がリル様。なぜか最後は急死なされたんだって」

 何が急死だ殺害だ。言いたいのをぐっとこらえてお兄ちゃんの話を促す。

「リル様は偉大な魔法使いで、リル様と同じ赤い瞳の人は魔法の力が強いから、きちんと教育して立派な魔法使いになれるようにするよう、リル様が亡くなるときに決めたんだって」

 そんなことは決めていない。ただ、私と同じ瞳の人間を解放し、私たちを実験動物のように扱っていた連中を皆殺しにしただけだ。五百年の間で、話が変わってしまったのだろうか。

「でもねアリス。気をつけて」

 お母さんはしゃがんで腰を屈めて私と視線を合わせると言った。

「リル様は凄く恐ろしい魔法使いで、大魔王って言われていたんだって。だから偉大な業績があるのに尊敬する人は少ないの。そんな人になっちゃ駄目よ」

 目の前がかっと赤くなる。この無礼な女を今、ここで。

「僕は言い過ぎだと思うな。たぶん違うよ」

 魔法を唱えかけた私の手を、何も気づかないはずのお兄ちゃんがそっと抱きしめた。

「何が、違うのだ」

 リルの論理だろうか。アリスの感情だろうか。また生意気な口調、とお兄ちゃんは私の額を指でつついた。それでも私は無視してお兄ちゃんを下から睨みつける。

「だって他にリル様の物語を読んだけど、何だかリル様って独りでばっかりで、寂しそうだよ。三人衆の大英雄の子孫は今も王様たちで幸せそうだけど、リル様はきっと、寂しいお姫様だったんだよ。寂しくて魔王になっちゃった。優しい友達かきょうだいがいたらよかったのに」

 何を。言うのか。私は。寂しくなんか。

 独りで暴走し独りで捕えられ独りで拷問され独りで脱走し独りで組織し組織は私独りの判断で動かし強大な呪文は私が独りで稼働させて全ては上手くいったし戦い抜いて。

 そして今、私の生きた時代を知る者は私、独り。

 私のちっちゃな十歳の心の器ではもう、二百年分の想いなんて到底、支えきれずに溢れ出しちゃって。

「アリス!」

 涙が溢れてきた。わんわん泣いてお兄ちゃんに抱きつく。

 私は本当にすっかり生まれ変わって。

 私はもう。

「アリス」

 お兄ちゃんが私をぎゅっと抱きしめてくれる。何も言わず何も聞かず。

 お兄ちゃんの胸があったかい。

 お父さんお母さんも寄ってくるけど、たぶん私の孤独をわかってくれるのは。

 お兄ちゃんしかいない。

 私はもう。

 お兄ちゃん無しでは生きられない。

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