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十歳アリスちゃんは元大魔王でした  作者: hiroliteral
学園ときどきお兄ちゃん
19/76

薔薇の花びらのジャム

「こーわーかーったー」

 私はいきなり力が抜け、カイラに抱きついて泣き始めた。なんだこりゃ。でも怖い。怖いんだから仕方ないの。だってさっきの上から降ってきた氷が怖かったんだもん。

 そっか。緊張の糸が切れて一気にアリスの心に切り替わっちゃったんだ。恥ずかしい。もっと格好良く場を締めたいのに。私は涙と鼻水でべとべとになってカイラの胸に顔を埋めちゃう。ふわふわ、気持ちいい。

「アリスって本当に不思議な子だね」

 ビアンカさんがカラカラ笑って私の頭を撫でた。シリルも私の頭を撫で、僕が不甲斐ないばかりに、と謝罪の言葉を口にする。そんなことないよ、シリルも格好良かったよ。うちのお兄ちゃんほどじゃないけど。

「とりあえず面倒臭いの嫌だから、あのバカには口止めしといてやんよ」

 ビアンカさんが軽い調子で断言する。さっきの様子からして、アドルフォはたぶん、ビアンカさんには全く逆らえないはずなので一安心。やっと少し落ち着いてくる。

「この武勇伝、カンヴァス君にも自慢できるんじゃない?」

「止めて! お兄ちゃんには話しちゃダメ!」

 私は慌ててカイラから離れビアンカさんに飛びつく。ビアンカさんは笑って私の頭を撫でて答えた。

「格好良いと思うんだけどな。隠したいものかな」

「お兄ちゃんに叱られる! 嫌われちゃう! そしたら私、生きていけない!」

 みんながどっと笑う。カイラとルイーザが揃って、大げさだよと言いながら私の頭やほっぺたを撫でる。ペットじゃないよ私。でも撫でられていると気持ち良い。またカイラがぎゅっと私を胸に抱く。さっきの不安がまだ治っていないせいか、もうどうでもよくなって、そのままカイラに甘えちゃう。

「やっぱりアリスちゃん、可愛いよねー」

 カイラの言葉にルイーザもうなずき、でも周りの何人かが魔力だけは可愛くないな、と悪口を言った。でも気にならない。その悪口もほんとに軽い言葉で、あったかくて。

「止めて良かっただろ」

 いきなり耳元で囁かれる。慌てて顔を上げるとビアンカさんが悪戯っぽい視線を私に向けていた。私も目だけでうなずく。カイラは首を傾げ、ぎゅっと私をまた抱きしめた。

 やっぱり今の私は。

 戦いなんて意味がないって思いたいんだ。

 私はカイラに抱きしめられるまま、ゆったりと甘えていた。


 本当にアドルフォとの一件は無かったことになるようだ。とくにアドルフォ自身、十歳の女の子に完敗したなんて知られたくないから、絶対に口外はしないだろうというのがビアンカさんの予想。卑怯なぶん、自分の評判を守ることには頑張るそうだ。その努力を他にしろと思うけど。

 放課後も少し気持ちが落ち着かなかったので、カイラと散歩した後ゆっくりと寮に帰った。

「カイラさんと仲良しになったんだね」

 部屋に戻るといきなり、お兄ちゃんが笑顔で言う。首をかしげるとお兄ちゃんが窓を指差した。

「アリスが帰ってくるの、窓から見えたよ。カイラさんと一緒だったでしょ」

 お兄ちゃんは嬉しそうだ。

「変わった人だけど、結構良い人だったんだね」

「でもアホだよ」

「そういうこと、言わない」

 お兄ちゃんは私の額を人差し指でつついた。でも目が笑っている。私とカイラのふわっとした関係を何となく察しているのかもしれない。

 と、部屋の扉がノックされた。開けると、そこにはフリルだらけのドレスをまとったセーラさんが立っていた。寮の歓迎会で筋肉さんをぶっ飛ばしていた、お嬢様戦士だ。

「アリスちゃん、ごきげんよう」

「ごき、げん、よう?」

 咄嗟に反応できず変な返事をしてしまう。大魔王だの魔道王だの言われていたくせに、血筋や育ち抜きで単純に魔法の能力でのし上がっていたし、貴族は丸ごと排除していたせいで宮廷風の礼儀なんてリルでも知らない。

 でもセーラさんは怒るどころか、笑顔のまま言った。

「挨拶は気持ちのあることが最も大切ですの。形を覚えるなんて、後でよろしくてよ?」

 なんか、意外。いかにも形から入りそうな見た目なんだけど。

「だって私、この姿でこの趣味ですのに『滅殺のセーラ』『暴虐のセーラ』と呼ばれるとか、形では決まらないですわ」

 それはどうなんだろう。歓迎会のときにぶっ飛ばされていた筋肉さんならまだしも、セーラさんには。だが彼女は目を細めて嫌な笑みを浮かべた。

「アドルフォの莫迦にお灸を据えてあげたんですって? 良いことですわ」

 私は慌てて唇に人差し指を当て、しーっとやる。でも私の両肩をお兄ちゃんが強い力で押さえた。

「アリス、何かすごいことを学校でやったのかな。お兄ちゃん、アリスの学校生活が知りたいな」

 ぎぎい、と壊れかけの馬車みたいな動きで首を動かすと、お兄ちゃんが厳しい顔をしている。ぐりん、とセーラさんを振り向いた。

「私、戦闘と聞くと心躍って仕方ありませんの。三度のお紅茶より殴る蹴る斬る方が好みといいますか。なので魔法学校にも色々と情報網を持っておりますの。ビアンカさんは知らないと言うので残念ですわ」

 絹の手袋で両頬を押さえ、きゃっと可愛い声を発する。全身で悪人だと喧伝(けんでん)していたアドルフォの方が、ある意味まともな気がする。とりあえず「暴虐のセーラ」の名前は正しい気がしてきた。

「そんなわけでアリスさんともお手合わせをどうかと」

「私、戦いたくないもん」

 私は本心から言った。リルとしての高揚感が、緊張の糸が切れた途端に恐怖に変わったあの瞬間。不安と寂しさとやり場のない怒りがぐちゃぐちゃになって一気に覆いかぶさってきた、吐きそうな空気。

 私はなぜ、得意気にあんな時間へ身を投じていたのだろう。最初は生きるためだったとしても、なぜ、大魔王と呼ばれるまで戦っていたのだろう。

 それはたぶん。

 戦うという言葉からは最も縁遠い言葉。大魔王リルには似つかわしくない感情。

 アリスになるまで、目を背けてきた事実。

 私は、怯え続けていたんだ。

「ごめんなさいね、アリスさん。あなた本当に、戦闘は好きではなさそうね」

 セーラが慌てた声を発し、初めて言葉を交わしたときと同じ、上品で優しいお姉さんの顔になった。お兄ちゃんは安心したように私の頭をぽんぽん、と撫でる。

 セーラは急に部屋を飛び出し、少し経って再び銀色のカートを押しながら現れた。今度は紅茶のポットとスコーン、そして薄黄色のジャムがカートに乗っている。

「ごめんなさいね、アリスさん、カンヴァスさん。あなたたちとは、こちらの方が楽しめそう」

 彼女は火を熾してポットの湯を沸かし始めた。しゅんしゅん、と音が鳴り、次いで茶葉を投入する。少しして良い香りが室内に漂い始めた。

 セーラさんは私とお兄ちゃんの前にスコーンを並べ、そして紅茶を高級なティーカップに入れる。次いで悪戯っぽい表情で自分のカップに紅茶とジャムを入れた。途端、室内に鮮烈な薔薇の香りが広がる。

「これ、薔薇の花びらのジャムですの」

 そんなのあるんだ、と私とお兄ちゃんは顔を見合わせ、二人でジャムを紅茶に入れ、スコーンにも乗せる。口に含んだ途端、鼻腔を薔薇の香りが突き抜けていき、先ほどの不安な気持ちが吹き飛んでいく。

「これからもよろしくね、お二人さま」

 セーラが優しく微笑んだ。

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