ばかにしないで
ここ数日は戦争の経験なんて役に立たないいらなかったもの、なんてやさぐれたことを思ったりしていたんだけど。今日はその経験が生かされてしまった。
突如、教室の扉を突き抜けた炎の矢が襲った。棒立ちになったカイラを蹴り倒し、前面に飛び出て背後の生徒たちの前に氷壁を現出させる。一部の炎は私が直撃、その場で解呪して効果を霧消させた。
「アリスちゃん、痛いの」
「生存本能低くて棒立ちしてるカイラちゃんが悪い」
にべもない私の言葉にカイラがむー、と言って引き下がる。アリスちゃんと仲良しで良かったですね、とカイラの周りの男子が呼びかけた。
何となくだけど、漁業実習が終わったあとカイラとはよく一緒に歩くようになった。相変わらず莫迦だし露出多いし世間知らずだけど、ちょっとしたときに見せる真摯な態度に私は惹かれていた。
で、あほカイラは私の肩に手をかけて一緒に構える。彼女は魔法の構えではなく武道の構えだ。魔法より武道の方が戦闘に向くという、本当に魔法学校の生徒だか疑いたくなる。
「何だ、全員ぴんぴんしてやがる」
失礼な男子の声に続き、扉が開いて野蛮そうな男子が入ってきた。
魔法戦闘コースの二年生だ。魔法杖代わりに呪文を編み込んだグローブを嵌め、趣味の悪い骸骨のアクセサリーを首からぶら下げている。
細身の体型で剥き出しの二の腕には刀傷がひっつれており、狼似の顔はいかにも退屈しているような表情を浮かべてカイラを見つめた。
「可愛い女がいるじゃねえか。俺と付き合ってみる?」
教室の男たちがざわつき、だがこの男の一睨みで黙り込んでしまう。英雄の男の子がこういう場面で出てくるのは童話の世界だけだ。カイラが私の手をぎゅっと握る。私も、大丈夫だよと握り返す。
「こんな小さな女の子に目をつけるなんて、あなた変質者なのね!」
なんかカイラが叫んだ。はて。小さい女の子。カイラちゃん、あなたはとくに胸の辺りが大きい女の子ですよ。脳みその性能は幼女以下かもしれませんが。
「俺が言ったのはそっちの藤色チンチクリンじゃねえよ。お前のことだよ!」
「チンチクリンとは何のことよ! ってかカイラも自覚しなさいよ!」
「だあってこの学年でアリスちゃんより可愛い子いないじゃない!」
「「「可愛いの意味が違う!」」」
野蛮人込み、この場にいるカイラちゃんを除く全員の心が一つになった。
「とりあえずチビっ子はもう七年経ってからにしてくれ。俺はその、ジュピターのお嬢さんがいい」
野蛮人がカイラちゃんを見つめて舌なめずりした。背筋をぞくっと悪寒が走る。このままいきなり燃やしてやりたい。カイラはおろおろして私の背中に隠れようとした。無理でしょあんたの身長だと。
「君は何者なんだ?」
エルフのシリルが努めて冷静に声をかけた。男はシリルを上から下まで眺めて鼻で笑う。
「魔法戦闘コースの二年生、アドルフォ。挨拶がてら一年生の様子を見に来ただけだよ。生意気な奴がいたらちょいと教育しておこうかと思ってさ」
「僕たちは先輩たちに失礼なことをする気はありませんよ」
私は失礼な奴には失礼で返したいけどね。でも今はシリル君の舌先に任せることにする。アドルフォは首に提げた髑髏をいじりながら再び鼻で笑った。
「それなら俺たちの言う通りにお使いとか、ご馳走してくれるとか、可愛い女の子が相手してくれるとかの礼儀が必要じゃないかな」
「そんなのは礼儀と言いません」
シリルはまだ声を荒げることなく、静かに返答する。カイラが何か言いかけたけど、他の生徒が慌てて口を塞いだ。みんな賢明だよね。アドルフォは首を傾げて笑顔を浮かべた。
「そっか、僕も失礼だったね。謝るよ」
言って、いきなり髑髏が光を発した。シリル君が魔法杖を振る。でも間に合わない。私は防護壁を張る。
でも先に、みんなを振り切ったカイラがあろうことかアドルフォの髑髏に飛びかかった。
そのままカイラの腕に火柱が走って煙が上がる。皮膚の焦げる臭いが漂った。
「なんてことするんだ!」
叫んでシリル君が習いたての治癒呪文を全力でカイラにかける。幸い、皮膚の表面だけを火が走っただけで軽い熱傷で済んだようだ。
「ねえ莫迦男、謝りなさい」
シリルの後を継いで私が言う。でも他の生徒が私を抱き上げて後ろへと押し返そうとする。
「アドルフォ! 話中に仕掛ける卑怯者!」
それでも私は叫んだ。でも今度はさっきのカイラのように口を塞がれた。悔しいでしょ、逃げるのみんな。
「アリスちゃんは黙って。危ないでしょ!」
仕切り屋の女生徒、ルイーザが赤い髪を振り乱して私を叱り、そしてアドルフォに向かった。
「あなた、先生に言って懲罰を受けてもらいます!」
「先生に言いつけるしかできないのか、魔法使いのほんと、卵ちゃんたちだ」
明らかな挑発に、でもクラス全体が怒りを起こす。するとアドルフォは右手に炎弾、左手に雷弾を握って私たちを睨みつけた。
「お前ら俺に勝てるつもりか? 俺、二年生の魔法戦闘コースでトップだぞ」
全員の動きが固まる。アドルフォが鼻で笑って言った。
「結局、仇討ちならずってか」
「仇討ちとかいらないですよ、危ないこと、止めましょうよ」
アドルフォの言葉にカイラが真っ先に答えた。全員の頭が冷め始める。でも苛立ちは止まらない。そしてシリルが口を開いた。
「僕は、あなたとの対決を申し込みます」
「やめなさいって!」
ルイーザが悲鳴に近い声を上げた。カイラが大丈夫、もう痛くないから、と無理な笑顔をシリルに向ける。
苛つく。
アドルフォの笑みも、シリルの決心も、そしてカイラの優しすぎる思いやりも。
そして何より、ただの子供として抑え込まれている私にも。
ふと私を抑える手が緩んだ。展開についていけず気が緩んだようだ。私は即座に飛び出して言った。
「ねえアドルフォお兄ちゃん、強いなら、私と勝負してよ。私に勝てたら謝るよ」
「アリス!」
全員が私を押さえようとする。でも今度は魔力壁で自分を覆い、手を出せないようにした。ついでに五月蝿そうなシリルの周囲に防音壁を張り、アドルフォへ声が届かないようにする。
「じゃあ、やってやるよおチビちゃん」
「もし私が勝ったら、アドルフォお兄ちゃんは呼び捨てにするし、私のことをアリス様、って呼んでね」
「ああ呼ぶ呼ぶ。お子ちゃまの教育は楽しいよな。代わりに俺が勝ったらカイラちゃんをいただくぜ」
言ってアドルフォは舌なめずりする。
「あいつは悪人だよ。アリスちゃんは魔力が高いかもしれないけど、戦闘訓練は受けてないでしょ」
「ちょっと心得あるの。大丈夫だよカイラ。仇はとってあげる」
私はにっこりこんと笑顔を向け、泣きそうなくせに私をかばおうとするカイラの腕をそっと撫でてやる。
莫迦が。
私はアドルフォを睨みつけ、こっそりと舌なめずりした。
全員で戦闘訓練場に行くと、何故かビアンカさんがにやにやしながら床に胡座をかいて座っていた。私たちよりも驚いていたのはアドルフォだ。
「先輩、なんでこんな場所に。今日はアルバイトがあるって」
「暴れん坊が面白いショーを演るって聞いたんだよ。野次馬な立会人ってとこで気にしなくて良いよ」
クラスのみんながビアンカさんへ声を荒げ、アドルフォがさらに怪訝な顔をする。ビアンカさんは目を細めて低い声で言った。
「先生に言ってルール通り収めることだってできたのに、対決にしたのはお前ら全員だろ。責任持って約束果たせよ」
言って私を愉快そうに見つめる。嫌だこの人、やっぱり何かに気づいている。
「じゃあ始めますか」
言っていきなりアドルフォは床に魔法で水をぶちまけ、次いで爆炎を放つ。水が一気に蒸発して濃霧が発生し、視界が全くなくなる。と、頭上から氷の槍が落ちてきた。
「破砕」
私の言葉で槍は粉々になる。だが同時に四角から電撃が襲った。でも私は既に床下の土に呼びかけ、私自身を金属の箱で覆って電撃を逃がす。
『かたつむりちゃんかな? 亀ちゃんかな? 隠れんぼは剥がしちゃうぞ』
声が天井、足元、そして四方から響く。方向が掴めない。
そう思っているんだろう。私は魔力の方向を探る。天井に張り付いて両手を擦りながら呪文を編んでいる。蝿だなこいつ。
私を覆っていた金属箱が暴風で吹き飛ばされた。でも私は足元を土で固めているので全く飛ぶことはない。
私は急速に気温を下げ、濃霧を水滴に変えて集約してアドルフォの頭を覆ってやる。もがきながら魔法を放とうとするが、その手足ごと氷で固める。天井に磔にする。アドルフォが作ったのと同じ氷の槍を五本現出させて両手足と心臓にぴたりと合わせた。
そして私は笑った。
「死ね」
けれど氷の槍が、一筋の爆炎で溶かし尽くされた。
「はい勝負あった勝負あった終了だよーアリスちゃんの勝ちだよー」
軽い調子でビアンカさんが立ち上がって叫んだ。私はアドルフォの頭から水を外し、そのまま風を操ると床にアドルフォを叩きつけた。私はアドルフォの頭を蹴りながら呼びかける。
「ごめんなさいは?」
「アリス様、ごめんなさい」
また私は頭を蹴る。
「私にじゃないでしょ。誰に謝るのさ」
ふらふらしながらアドルフォは這いつくばり、床を舐めそうな姿勢のまま泣き声で叫んだ。
「カイラさん、ごめんなさい」
しん、と静まり、そしてクラス全員の歓声が響いた。