寮生、正体を現す
「ごめんなさい、お兄ちゃん」
扉の向こうの光景に、この寮を推した私は自然と謝罪の言葉があふれ出た。
何だこいつら。
まず手前の、白衣を着て何か実験やってる女エルフ。美形のはずが髪はぼさぼさで黒いサングラスらしきものをかけ、うわいきなり七色の閃光だ!
私は本能レベルで私とお兄ちゃんの前に闇の霧を張って視力を保護する。
「またやりやがったな! サリーは人のいるところで実験やるな!」
「ごめーん、せっかくの歓迎会だから綺麗な虹でも見せてあげたかったの」
怒鳴っているマッチョは一応人間のようだが、馬でも殴り殺しそうなむっきむきの筋肉がぴっちりのシャツから浮き出ている。顔立ちもよく言えば精悍、悪く言えば野蛮人のそれだ。棍棒が似合う感じなのに、レイピアを腰に差している。
左に視線を移すと、タライに水を張ってパシャパシャしている半裸の人魚族が美しいと思ったが、タライの水をコップですくって飲んではきゃはははと奇声をあげている。つか酒臭い。
その向かいに座る髭面のドワーフは膝を抱え、アデリーヌがよく読んでいた少女小説を読みふけっている。人魚に酒を薦められて休肝日なの、と怒鳴り返した。その隣りのいかにも魔法使い然とした髭のお爺ちゃんは、バスタードソードと言っただろうか、とてつもない大剣を構えて素振りをしている。
他もまあ、そんな感じの好き勝手な奴らばかりだ。その混乱の渦の奥、一人優雅にピンクのフリル傘をさし、丸く広がったスカートのフリルだらけのドレスを着た銀髪のお嬢さんがいる。人魚が飛ばす酒の雫を傘で器用に受け止めていた。
「てめえら! 歓迎会始めっぞ! 寮長様のお言葉を聞きやがれ! 聞かない奴の耳は不用だから、即座に切り取ってディナーの一品にしちまうぞカボチャども!」
ビアンカさんが凄まじい怒号を発し、次いで一枚の紙をニヤニヤしながらお兄ちゃんと私に示した。読みたくないような小さい文字で書かれた契約書だ。
「ところで只今の時間をもって、寮変更手続時間を終了しました。よろしくー」
お兄ちゃんは赤い線を引かれた箇所を読み上げた。
「一週間の寮変更期間を超えた場合、一年分の寮費は三割増となります」
お兄ちゃんは、あーあ、と乾いた笑い声をあげる。私はお兄ちゃんが無茶なことを言い出す前に言った。
「私は大丈夫だよ。みんなと楽しくやろうよ」
思いっきりの私の笑顔に、お兄ちゃんはありがとう、と言って私の頭を撫でた。
「アリスちゃんかーわいーいねー。大きくなったらお姉さんとお酒飲もうねー」
酔っ払い人魚のレティーナが酒臭い息で私の頭を撫でようとするので、私はさっと逃げる。水ならまだしも、白ワインで頭をべちゃべちゃにされたくない。
お兄ちゃんはとりあえずの話題振り、という感じでレティーナに質問した。
「レティーナさんは何の、勉強をなされているのですか?」
「では、二つほど見てみる?」
言ってレティーナさんはポンと手を打った。ふわりと浮くタライ。そのまま食堂の中を自由自在に飛び回る。席まで戻ってきて手をぽんとまた打つと、美しい赤い鱗の足鰭が消え、人間の足に変わる。
酒の中に沈めてあったスカートを履くと、なぜか立ち上がった時点でスカートは完全に乾いていた。タライから出てきてふらりとなり、慌てて私は手で支える。胸の二つが邪魔っけに重い。
「ごめんねー。やっぱり人魚だから、歩くの苦手なの」
「酒抜けてワイン買いに行くとき、普通に街歩きしてるだろ酔っ払い」
筋肉むきむきの言葉に、レティーナはてへっと頭を自分でこつんとやる。無駄に可愛い酔っ払いだ。
「そのスカート、どういう仕組みなんですか? 魔法の品ですか?」
お兄ちゃんの言葉に、ぼさぼさ頭エルフのサリーが割り込んできた。
「それね、私の発明品なんですよ。ところで『濡れる』ってどういう現象のことを言うと思いますか」
お兄ちゃんは真面目な顔をして考え込む。私もぴんとこない。魔導的には水の魔力がその他の魔力に強く干渉する状態のことを言うけれど、あのスカートにはほぼ他の魔力が無い。
「はい時間切れー。濡れるとは、水が物質に付着した状態をいいます。なぜ付着するか。水が物質と弱い力で結びついているか、単に乗った状態にあるか。つまり」
サリーはテーブルの上にガラスの玉を乗せて転がした。
「水が引っかからないよう、布を細かいレベルでツルッツルにして滑らせてしまえば良いわけです」
「でも、ツルツルしていても引っつくんじゃありませんか?」
お兄ちゃんはミネストローネスープにフォークを立てて引き上げ、フォークの櫛状の隙間に溜まったスープを指さした。だがサリーはますます嬉しそうに手を叩く。
「君、騎士学校ですぐに気づくとは賢いね! どこかの筋肉ダルマとは大違いだ」
うるせー、と筋肉さんが言うが、どう見ても既に筋肉さんは話についてこれていない。
「物にはね、そもそも水と仲良しな物、仲の悪い物があるの。それを一つ一つ比べ、魔力でツルツル加工もして、さらにちょいとツルツルより違う見えない模様を編み込んで作ったのがこの濡れないスカート」
「すごいです、ほんとに。それ勉強したい」
私は思わず言葉をこぼす。見た目変だけど、サリーはすごい。
「そっか、仲間になりますか」
うひひ、とサリーが指をわきわき動かして寄ってきた。やっぱ危ないかも。
「その実験狂エルフの仲間になったら、気づいた頃にはそっくりな残念ファッションセンスになりますわよ」
また違うのが来た。奥にいたお嬢様傘女だ。と、筋肉と大剣の爺が取っ組み合いを始めた。お嬢様は傘を畳むと銀髪を素早く縛り、かつかつとピンヒールを鳴らして二人に近づき。
傘で二人を空中にぶっ飛ばした。
「だからセーラを怒らしちゃ駄目だってのに」
ビアンカが寄ってきて笑う。私とお兄ちゃんは何が起きたかわからず目をしばたかせる。
「セーラは騎士学校二年生、最強の剣士だ。趣味がこれだから舐められるが、喧嘩を売ったら生きて帰れないぞ。カンヴァスも気をつけろ?」
「僕、財務コースなので荒事をする気はそれほどでも」
くすり、とセーラは上品に笑い、お兄ちゃんの腰にある算盤に目を向けた。
「セーラです。アリスちゃん、今度一緒にお茶でもいかがかしら。カンヴァス君、その算盤に戦闘練習の傷が増えた頃、一度可愛がってあげてよ?」
「いえ、僕もお茶の方が良いかな、とか」
「そう? お行儀の良い子は私も好きなのよ」
私とお兄ちゃんは声を揃えてはい、と答える。なんか実力者は多そうだが、とんでもない奴らばかりだ。ビアンカはかかか、と笑って言った。
「改めてアリス、カンヴァスようこそ。我らが愛する最強の魔窟、桜花寮へ」