雪よもっと
村へ帰郷した途端、両親から熱烈なお祝いをされた。王都に住むオババの旧友が、私たちの合格を魔法でオババに伝えてくれていたそうだ。帰宅した時点でご馳走が準備されており、街での経験を両親に話した。
お兄ちゃんはすぐに買い物や今後の学費についてお礼をしていたが、お母さんは算盤を見ても高いものなのね、とよくわからないような顔をしていた。
「お前たち二人が入居する『桜花寮』って、本当に大丈夫か」
お父さんはお兄ちゃんの報告を聞いて首を傾げた。学生寮は魔法学校、騎士学校が各々男女別に有しており、さらに魔法学校と騎士学校合同の桜花寮を加えて五寮体制となっている。
私たちの入寮する桜花寮は元々、他国からの留学生や人間族以外の種族向けに用意された寮なのだが、空きが多いため一般学生でも入寮できる。
「留学生や他種族がいるから自由が利くんだよ。他の寮だと十歳のアリスでも色々と当番が当たるし、何より一人で入れなきゃならないんだ」
「でも、他種族とか大丈夫か? 男性もいるわけだし」
「大丈夫だって。女性の寮生もいるし、他種族はむしろ人間より優秀な人が多いから見聞を広められるよ」
お兄ちゃんは私がおねだりした際の話を受け売りでそのまま話した。私の話、信じてくれてる。もちろんお兄ちゃんに言った話に嘘は無い。
でも本音は、単に私がお兄ちゃんと離れたくなかっただけだ。男女別の寮はどちらが訪問しても立入許可が必要だそうだし、夜はすぐに帰らせられる。ちょっと寂しいからお兄ちゃんの部屋にいたいなとか。朝早く行って悪戯してやれとか。そういう王都に行く上で一番楽しみにしてたことが他の寮ではできなくなっちゃう。
いや目的はそっちじゃなくて。リルとしての理性が油断をすると、すぐに方向を見失う。
「アリスが甘えん坊なだけじゃないんだな? カンヴァスはちょっとアリスに甘いからな」
お父さん、鋭い。私は何のことかわかりません、といった風に首を傾げてにこにこ笑みだけ返す。一方、お母さんはお兄ちゃんの持参したパンフレットを眺めながら言った。
「留学生は年齢の高い人もいるのね。一緒になってお酒を飲んだりしてはだめよ? あと変人が多いってオババが言っていたから、おかしいものはちゃんと断れる?」
「大丈夫だよ母さん。僕の行く財務コースは、腕力じゃなく意志力と計算力と交渉力の学校だよ?」
お母さんはお兄ちゃんへろくに視線も向けず、私に強い言い方で迫った。
「カンヴァスは大丈夫だろうけど、アリスは? わかっているの?」
「大丈夫。私も立派な魔法使いになるんだから」
「カンヴァスに何でも任せちゃ駄目なのよ? お洗濯とかちゃんとお手伝いしないと」
「だから大丈夫だったら。そのうち私がお兄ちゃんの家事を全部してあげるの」
「アリス、学校に行くのよ? それじゃお兄ちゃんのお嫁さんじゃないの」
お母さんが吹き出してお兄ちゃんは赤くなる。私もすごく恥ずかしくなって手で顔を隠した。
何を言ってるんだろ私。というかリルの能力は魔法と戦闘、政治に全部偏ってしまっていて、美味しいご飯とかお洒落も考えたお洗濯とか、生きていくだけじゃない人間らしい家事能力となると、アリスとしての十歳までと大して変わらないことをすっかり忘れていた。
いや、そういう能力じゃなくて。何だろ今の全部してあげるって。いやもちろん、何でもやってもらってる今の私はどうかと思ってはいるんだけど、それにしても何だか急に。
「そっか、アリスはお兄ちゃんをお婿さんに連れて行くのか」
今度はお父さんが笑った。遠く離して大丈夫か、仕事を変えて付いて行きたいなどと阿呆なことを言ってお母さんにどやされていた人とは思えない。
「お兄ちゃんっ子のうちは変な奴に引っかからないから安心だな」
お母さんが深い溜息をつき、お兄ちゃんが苦笑しながら私の頭を軽くつついた。今日はほんと、みんな私を寄ってたかって子供扱いしてくる。でも。
その子供扱いが。その甘い空気があまりに心地良くて、王都に行くことがほんの少し、寂しくなってしまった。
初雪の日に道路が白くなったと思ったら、そのまま降り積もって根雪となり村は雪に閉ざされた。昨年のアリスの気持ちなら、村に閉じ込められてつまらないと思ったはずだ。リルの目的が焦っていたのなら、閉鎖された道路を魔法で払って突き進んだはずだ。
でも今の私は違った。お父さんお母さん、アデリーヌや学校の友達と過ごす最後の季節。その残された大切な時間を、雪がしっかりと確保してくれたようにさえ思える。
私とお兄ちゃんの合格は、村へ戻った翌日には学校に伝わっており、アデリーヌからはおめでとうの言葉を、アデルからはさっさと行っちゃえブス、という憎まれ口をもらった。当然、アデルは言った直後に氷の礫をアデリーヌから食らっていたけど。
他のクラスメイトや先生からもお祝いの言葉をもらった。先生からは残りの期間をきちんと過ごすように、と念を押された。アリスとしてはまだ十歳の知識しかないし、リルとしての知識も古すぎて、例えば物語の読解とか算数の記号とか、まして国内産業や歴史に至ってはすっぽ抜けているから、おさぼりはあまり出来ない。
そんなわけで淡々と、でも毎日を案外と真面目に勉強してきたら遂に冬になってしまったわけだ。
「アデルがね、昨日頑張ってかまくら作ったんだよ」
アデリーヌはちょっと自慢げに言いにきた。アデルが後ろで胸を張りながら続ける。
「魔法も使ったから、三人入っても余裕あるぐらいなんだ。遊びに来いよ」
「アデルが優しいとか珍しいな。何か仕掛けてる」
「たまには気が向くこともあるんだよ! それに、なんだ、色々とさ」
アデルは鼻の頭を引っかきながらよくわからないことをぶつぶつ呟く。アデリーヌはアデルを横に押しやって話を引き取った。
「今日はブルーベリージャムと、裏山から採った綺麗な雪でシャーベット食べるの。あとお母さんがね、温かい生姜入りの蜂蜜湯もかまくらに届けてくれるの」
へえ、と私は言って喉を鳴らす。甘いシャーベットと甘い蜂蜜湯。甘々で素敵。私は二つ返事で二人の家に寄ることにした。
「アデルにしてはなかなかだね」
「アデルにしては、は余計だぞ」
私の褒め言葉に、アデルは鼻を鳴らしてそっぽを向く。でも本当に立派なかまくらだった。いや、これはかまくらと言って良いのだろうか。正面から見れば普通のかまくらだけど、屋根には氷の花が咲いている。
私の大好きな藤の花だ。それも、氷が淡く藤色に染まっているんだ。花の脇には夏祭りの時の私とアデリーヌらしき二体の女の子の小さな像が踊っている。
「この藤の花とか、夏祭りとかって、アデルが?」
「このぐらいちゃちゃっとやれるよ」
「一昨日、夜中まで魔法で氷を削っててお母さんに怒られたくせに」
アデルはアデリーヌの暴露に慌ててしーっ、と唇に指を添える。私は小さく吹き出した。
「何だよ、俺は魔力が小さいから慎重にやるんだよ。アデリーヌみたいな力任せじゃないんだ」
アデリーヌがむくれる。私はまた笑ってしまいつつ、アデルのしもやけができた手を取ってさすった。
「アデル、ありがと」
「お前は忘れんぼだからな。このぐらいしないと何でも忘れちゃうだろ」
「忘れないよ、アデルのことも、アデリーヌのことも」
アデルはどうだかな、と言ってかまくらの中に潜ってしまった。慌てて私とアデリーヌも後を追う。
中は見た目通りの広さで、内壁は滑らかに整えられており、真ん中には氷の椅子とテーブルがあった。椅子の上にはきちんとクッションもあった。
「クッションは私が用意したの。こういうとこ、男子って駄目だよね」
アデルは早くシャーベット、と急かす。アデリーヌがはいはい、と答えて氷の器に入れたブルーベリーのシャーベットを三人に配った。
山の雪は村に降る雪よりはるかに肌理が細かく、アデリーヌはその上等な状態を魔法で保ったまま出してくれた。おかげで冷たいのに全然舌に引っかからず喉に流れていく。ブルーベリーのほんのりした酸っぱさは、お母さんのジャムよりちょっとだけ刺激的だった。
「もう少し食べたいかもしれないけど、お母さんがお腹冷やすからこれだけ、って」
アデリーヌはちょっとだけしょんぼりした顔をする。でもすぐに顔を上げ、箱からグラスを三つ取り出すと、やかんから蜂蜜湯を注いだ。
「さっきのシャーベットを冷やしておくために奪った熱を、そっくりそのままやかんに送っていたの」
私は内心感嘆する。魔法で温めると言えば炎の魔法に行ってしまうのが常識だけど、奪った熱を使えば効率的だなんて、アデリーヌの賢さにリルとしても感心した。
「これ、私が自分で考えたの。こんなことを考えることができるんだから、きっと私も、アリスの後を追っていける。追っていく。そして一緒にまた遊ぼうよ」
「じゃあ、俺も職人としてアリスの杖でも作ってやるよ」
二人の言葉が胸に刺さる。私はまた、小さい声でありがと、と呟いた。
「じゃ、アリスとアリスの兄ちゃん合格を祝って乾杯!」
アデルの声に合わせ、三人でグラスをぶつける。甘く温かい液体が口の中に広がり、次いで生姜の香りが鼻を抜けていく。ほんのりとお腹まで温かくなってくる。
私は、本当に王都に行きたいのだろうか。やっぱり、みんなと一緒に。
「一緒に大人になろうな」
ぶっきらぼうにアデルが言ってそっぽを向いた。何だか今日のアデルは、ちょっとだけ大人に見える。
「雪が止むまで、ここでゆっくりしていってよ」
アデリーヌの言葉に私は黙ってうなずいた。
雪よもっと。
私たちをもう少しの間、このまま閉じ込めていて下さい。




