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古代遺跡と麦粥

 魔道具店を出たあと、お兄ちゃんの買い物に向かった。

「騎士学校なら鎧? 剣? それとも財務の計算用紙とペンとかかな」

「筆記具は今のものを使うし、鎧や剣は学校で貸与するってさ。僕の買い物は」

 お兄ちゃんは一軒の店を指差した。金属製の枠の中に何本もの柱を立て、それに串焼きの肉みたいに何個も玉を並べたものを店先に並べている。アリスはもちろん、リルの知識にも無いものだ。

算盤(そろばん)、って言って、これを使うと何十倍も早く計算できる優れ物。ずっと欲しかったんだ」

 こんな技術が五百年もの間で発展していたのか。お兄ちゃんは鼻歌を歌いながら店に入っていく。私は慌てて後を追った。

 店の中には色々な算盤が並んでおり、玉や柱の数も異なるようだ。材質もかなり種類が多く、材料で価格が違うことはわかるが、用途の違いはもちろんお兄ちゃんに最適なものは全くわからない。

 とりあえず私は手近にある商品の玉を指先で弾いてみた。かちん、と軽く動く。指先で横に撫でると、じゃあっと鳴って玉が整列する。何だか面白い。手に取ってふるとちゃかしゃかちゃかしゃか。

 ぱちん、じゃっ、しゃかちゃかちゃかしゃかじゃっぱちん。

「アリス、楽器じゃないよそれ」

 私は苦笑したお兄ちゃんに首根っこを掴まれて引っ張られた。

「アリスも欲しくなった?」

 お兄ちゃんが何かを期待する視線で私をじっと見る。確かに魔力計算に便利そうではあるけれど、お兄ちゃんはたぶん、計算そのものを一緒に楽しみたいとか思っていそう。お兄ちゃんとお揃いっていうのにはすごく惹かれたけど、流石に計算ばっかりやる気はないよ。

 私はてへへ、と曖昧に笑って手に持った算盤をお兄ちゃんに返す。お兄ちゃんは私を離して再び算盤を探し始めた。お兄ちゃんの性格だと木製の安いものを選ぶと思っていたんだけど、金属製で高めのものを並べて唸り始めた。

「お兄ちゃん、結構こういうの、贅沢する方なんだ」

「違うよ。騎士学校の財務コースはね、襲撃された際の防具や武具にも算盤を使うんだ」

 防具? お兄ちゃんが算盤を構え、私を抱き上げながら暗殺者をばっさばっさと倒し続ける姿を思い浮かべた。うん、何か変な気もするけどお兄ちゃんなら何でも格好良いよ。

 結局、お兄ちゃんはお店推薦の軽くて丈夫が謳い文句の戦闘算盤なるものを買った。算盤に浮かれるお兄ちゃんは、ちょっとかわいい気がした。


「せっかくだから地下遺跡に行ってみないか?」

 宿に戻ると、お兄ちゃんは新品の算盤を鞄にしまいながらご機嫌で持ちかけてきた。現代の王都は、私の支配していた帝都を潰す形で建てられたそうで、当時の一部が残っているらしい。中でも人気のスポットが「大魔王の食堂」で、当時の食堂で当時の料理を食べられるという観光地だそうだ。

 当時の料理になんて未練は全く無いというか、リルは味覚を楽しむ嗜好が無かったから、今のお母さんのお食事の方がずっと美味しいような気がする。

 私は買ってきたばかりのワンピースに袖を通すと、お兄ちゃんに背中のリボンを締め直してもらう。一回転してふわりとスカートが膨らみ、すぐに私の細い足にまとわりついてくる。

「その藤色、やっぱりアリスにお似合いだね」

 お兄ちゃんの言葉に私は笑みがこぼれた。お兄ちゃんにワンピースを着た姿を見てもらって、褒めてもらってくすぐったいような気持ちになって。部屋の温度が急に上がったかのように暑く感じてしまう。心の奥までほんわかとした幸せを感じて、何だか涙がこぼれそうになる。

 当時の食事については、味も何も考えずに仕事の合間に何かを食べていた感覚なので、何を食べていたかも曖昧だ。今、アリスと統合された中で考えると、魔道王、大魔王と言われるようになっても私は。

 私はアリスになるまで、何一つ幸せなんて知らずにいたと思う。

「地下遺跡は、お父さんも観てきたら良いよって言っていたんだ。お父さんは謎とか好きだし」

 せっかくお父さんが勧めてくれたなら観てみるのも一興かもしれない。現代に、私の時代がどう見られているのかも見てみたい。何より、お兄ちゃんと一緒なら当然どこでも嬉しいわけだし。

 私はお兄ちゃんの腕を取ると、勇んで宿の扉を開ける。お兄ちゃんは算盤を入れた鞄を背負い、私に引っ張られるように歩きだした。

 地下遺跡の入口は魔法学校のすぐ隣りにあり、入口から地下に潜って中央広場の地下まで続いている。私たちは少し慣れ始めた魔法学校までの道のりを歩いて到着した。

「学生さん一人とお子さん一人ね。足元に気を付けてね」

 入館料を払い、お兄ちゃんは受付で借りた魔法照明灯を掲げる。冒険の雰囲気をつくるため、わざと照明をつけていないそうだ。

「アリス、怖くない?」

 大丈夫だよ、と私は笑みを向けつつお兄ちゃんと手をつないだ。私にとって暗闇は恐怖の対象ではなく馴染んだ空間、安堵する世界だ。呪文を唱えることすらなく、私の目は無意識に暗闇の中でもわずかな光を捉える魔法を発動してしまう。

 だからお兄ちゃんと手をつながなくたって私は平気だ。平気なはずだ。

 恐れることなんてあるわけがない。

 怖いなんてあるはずないのに、私はお兄ちゃんの手をぎゅっと握ってしまった、私は何を恐れているのだろう。薄々わかってはいるけれど、それでも私はその何かと正面から向き合う勇気はない。

 私はお兄ちゃんの優しい手のぬくもりに気持ちを預けて奥へと歩き始めた。


「渦巻き道路って、何だか難しいね」

 お兄ちゃんはパンフレットを見ながら旧大通りを進んでいた。現代は都市でも田舎でも、こんな渦巻き型の道路整備は行われていないので、道路の方向感覚が掴めないようだ。

 私も残骸となった建物跡のみでは元の状況を把握するのに一苦労で、おまけに学者が勘違いしたらしい解説看板まで立っているから逆に混乱する。

 でも大通りの道幅。歩く足に感じる坂道。広いあの空間は軍の訓練施設跡か。あそこには公安施設があって、こっちは開拓事務所だったか。ああ、何か楽しい街並みもあったはずなのに、私は知らないまま戦うか研究するかだけだった。

 お兄ちゃんが私の顔を覗き込み、黙って頭を撫でてくれる。表情に出てしまったんだろうか。大丈夫だよお兄ちゃん。ここはもう、過ぎ去った時間。今の私じゃない。

 私たちは言葉を交わすことなく、でも手のひらの温かさで気持ちは通じあわせながら道路をひたすら歩いていく。お兄ちゃんは建物の基礎で残った石積みや、復元された軍の防壁などを観ては感心の声をあげていた。私も少し気持ちが緩くなり、嬉しくなってくる。

「不思議だね、この角々にある石。何か魔法陣みたいなものを描いているよ。何のためにこんなに沢山置いたんだろうね」

「それは火災になったら自動で水を吐き出して火を消す魔法陣だよ。ちょっと操作すれば、水の攻撃魔法で包囲することも出来るよ。今は魔法陣に傷が入っているから機能しないけど」

「アリス、よくそんなこと知ってるね」

 言われて私は焦ってあうあう言ってしまった。調子に乗ってリルとしての記憶を話してしまった。横にある看板にも「未だ目的が不明の石碑」とある。私は適当な調子で、オババから聞いた気がするー、と言って誤魔化した。

 私たちは展示の中心となっている尖塔の真下へと向かった。ちょうど私の私室があったはずの場所だ。さすが目玉の一つなだけあって、進むにつれ観光客の数が増え、歩みも次第に遅くなってくる。

 遂に前が動かなくなった頃、施設の人が食事メニューを書いた手板を持って回ってきた。

「試食だってさ。何か食べてみる?」

 五百年前に帝城の尖塔で出された料理を再現、が売りのようだが、残念。私の時代には材料すら無かった料理がちらほら混じっている。私は苦笑しながら指で辿っていく。

 指先が止まる。忙しい中で簡単に食べられるからとよく食べていた麦粥が美味しくない、と注意書きを添えられて載っている。当時と同じ、私専用の器で。

 私の魔力を減じる毒を込められた、あの麦粥とそっくりな姿。

「食べたくない! 早く奥に行こうよ。ご飯は、ここのご飯は食べたくない!」

 思わず叫んでしまい、しまった、と後悔する。でもお兄ちゃんはちょっと不思議そうな顔をしただけで、私の頭を撫でてくれた。

「アリス。この場所は怖いのかな」

 恐れているのだろうか、私は。よくわからないけれど。

「だって美味しくなさそうだよ。お母さんのご飯の方がきっと美味しいよ」

 その場しのぎで言い訳をすると、お兄ちゃんはそっか、と言って、当時の配置のままの石で出来たテーブルを眺めながら食堂をあとにした。


 遺跡の最奥は私の私室だった。そう、私リルの最期の場所。お兄ちゃんと会うための、始まりの場所。ここも行列だった。何か恥ずかしいものを遺していなかっただろうか。そんなもの、あっても五百年も保つわけないか。

 遺跡となった私の私室は、布など経年劣化されるものは復元されたものだ。藤色の布団が懐かしい。ふと、周りの大人たちの視線が私の方にちらちらと向けられる。何だろう。

「あのベッドの布、アリスのドレスにそっくりだよ」

 言われて気づいた。藤色は昔も何となく好きな色だった気がする。戦争と政略以外にろくな記憶は無いけれど、寝室には少し気の緩んだものを使っていたような記憶がある。

 少しだけぬるい気持ちになったけれど、すぐに陰鬱になる。奥に見える、壁の石積みが高温で溶けた跡。私が最期を迎えた場所、裏切られた証拠。

 お兄ちゃんと繋いでいない空いた手の中に爆炎の魔力球がふと浮き上がる。

 このまま撃ちあげてしまいたい。この場所を埋めてしまいたい。ここにいる人間共々、(すべ)て破壊してしまいたい。

「何か怖い目をしているよ。大丈夫?」

 お兄ちゃんが私の肩を抱いた。魔力球が力を失って霧消する。

「お兄ちゃんがいるから、大丈夫だよ」

 私は満面の笑みを浮かべ、お兄ちゃんの肩に頬ずりした。

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