四
グレイシーは騎士に恋をしました。しかし、叶う筈もありません。また屋敷に来ると約束してくれましたが、社交辞令に決まっているのです。
彼のことを忘れようと、花を使って自身の記憶に魔法をかけようとしました。手が震えてうまくいきませんでした。庭や茶を褒めてくれた騎士のことを忘れたくありませんでした。万が一にも彼が尋ねてきたなら、丁重にもてなさなければなりませんし大変です。本当に万が一!
妖精たちは彼女が苦悩している姿を見て笑いました。
「あのグレイシーが恋をした!」
黒い森の枝先に桃色のつぼみがぽつぽつ。日当たりも心なし良くなったように見えます。
面白くなかったのが竜です。竜は何度も騎士はもう来ないから諦めるように言いました。グレイシーははっきりとした性格ですから、迷う訳がないのです。それなのに、彼女はジャムを焦がしたり、雨が降るまで洗濯物を干しっぱなしにしたり、へましてばかり。竜は見るに堪えず、それでも騎士が二度とやって来ないことを願っていました。全ては時間が解決してくれる筈でした。
ところが、騎士は再び馬に乗ってやってきました。彼は約束を守ったのです。
騎士は、あの後グレイシーがこしらえた薬を王女に献上し、軍に入隊で来たことを報告しました。グレイシーの見込み通り、王女は大変喜びました。騎士がグレイシーに会いに来たのも、王女が彼女に謝礼を届けるようにと、使われたからでした。グレイシーは謝礼なんかより、彼が再び屋敷に来てくれたことに喜びました。
「会うことはもうないでしょうが、あなたのご活躍を願っています」
そう言って、騎士にハーブティーの茶葉を祝いに贈りました。
しかし、騎士はその茶葉を持って、三度屋敷を訪れました。
「どうも、あなたが入れてくれないと、おいしくならないようです」
「世界一お茶好きの魔法使い直伝の入れ方ですもの」
騎士は休暇をもらう度に、グレイシーとお茶会を楽しむことで疲労した体を癒しました。彼は城の様子をこと細やかに聞かせました。見かけによらず茶目っけがあり、グレイシーは表情豊か身ぶり手ぶりに話す彼が楽しくて仕方ありませんでした。大臣のものまねを披露してくれた時には大笑い。こんなに笑ったのは、「茶好き」と「人形師」とのお茶会以上でした。
けれども、彼が帰ったあとはいつも虚しくなりました。どうして自分は醜い姿で生まれてきたのか、命を呪いました。彼に心から愛されたい願望に駆られました。
何度目かの騎士の訪問で、グレイシーは思いに耐えかねて言いました。今日限りで、屋敷に来ないようにと。彼女は彼が外の人間に自分のことを話しているのを知っていました。それも、森に住んでいるのは怪人ではなく、立派な花の魔法使いだと説明していることを。彼の口から一度も「醜い」という言葉は出なかったことを。相手が自分の風貌を貶せば、彼は困った顔で言いました。
「それは呪文ではなかろうか。きっと彼女は呪文を受けて、あんな黒い森を作ってしまったのではなかろうか。私は彼女の気持ちを理解し切れないが、あの庭にたどり着くまで、とても不安になるのは、彼女が不安を抱えているからだと思う」
騎士は心も美しい。彼は天に恵まれたのでしょう。グレイシーは彼が自分の元へ通うのは悪影響だと考えました。自分を擁護するほどに、周りが彼を怪人の手先であるかのように怪しむのは胸が痛みました。
彼女の心情を聞いて、騎士は沈鬱な表情で首を横に振りました。
「私はあなたと時を過ごすのが楽しみで仕方ないんです」
「お世辞は結構です。これはあなたの印象のために言っているんですよ」
「私の印象なんてどうだっていいじゃありませんか」
「王家に仕えているものとして、もっと気高い心を持ってほしいのよ」
「では除隊すればいつでも訪ねて結構ですね?」
「馬鹿なことをおっしゃらないで頂戴な!」
「まだ花屋敷の怪人と竜の恐ろしい噂は止んでいません。今後あなたを退治しようと森にやってくる者が現れるかもしれないじゃありませんか。私がお守りします」
グレイシーは騎士の熱意に圧倒されてしまいました。
「これからもここに来て頂いて構いませんから、除隊だけはやめてくださいな」
黄色い魔法使いが許されない大悪魔の呼び出しに失敗して死んでしまいました。どうやらこの魔法使いは、裏で禁じられていた魔法を何度も使っていたようでした。悪評が広まり、グレイシーは酷く落ち込みました。魔法使いたちが彼女に対しても罵倒したのです。空から汚い言葉や魔法を雨のように降り注がせ、竜が来る前に逃げました。何日も続きました。騎士はグレイシーにそっと寄り添いました。
騎士は王家に仕え続けましたが、屋敷に通う頻度が増え、しまいには屋敷から城に通うようになっていました。グレイシーはそれだけはやめた方がいいと説得したのですが、騎士の方が上手で言いくるめられたのでした。
海の向こうの悪い魔法使いが怪獣を引きつれて城を襲った時には、騎士は竜に乗って退治しました。彼の活躍は目覚ましいもので、王から勲章を与えられました。グレイシーは自分のことのように喜びました。
悪い魔法使いを倒した祝いで、城でパーティーが開かれることになりました。騎士の掛け合いで、王はグレイシーにも招待状を贈りました。当然、彼女は拒みました。これには騎士も予想済みで、姫は変わり種が好きな方であり、本パーティーは仮装で行なわれると言い聞かせました。素性を明かしたくないあなたにとっては都合がいい筈と説得され、グレイシーは渋々納得せざるを得ませんでした。けして名を晒さないこと、それらしい情報を漏らさないこと、あくまでその場で居合わせた風に装うことを条件に、彼女は承諾しました。
招待客は濃い化粧、不気味な衣装、仮面で怪物に扮しました。人々はこの偽りの化け物の中に本物がいると囁きました。パーティーという華やぎのせいでしょうか、不安ではなく好奇心がそそられ、怪盗を追う探偵のように探り合いました。けれども肝心のグレイシーには、彼らはまったく気が付きませんでした。
それもその筈です。背筋をぴんと伸ばした彼女の態度はつつましく、趣味は花の手入れ、ジャム作りと答える声には恥じらいがあり、相手の話には静かに耳を傾け、手頃な間合いで相槌を打ち、品良く笑い、相手が欲しがりそうな質問を口にして、よくぞ聞いてくれたとばかりに相手の気分は向上。花屋敷の怪人の名ばかりが広まり、得体の知れない存在と化していた影はそこにはないのです。まさに一輪の花でした。
彼女の周りには人が集まりました。誰もがグレイシーと会話をしたがりました。彼女を前にすれば、会場に怪人が紛れていることなど忘れました。植物学者といった話の合う者なら特に高揚させ、熱く握手を求めました。
グレイシーは戸惑いました。素性を隠しているとはいえ、どうしてこうにも人が寄って来るのでしょう? それはあなたが魅力的だからだと騎士は答えましたが、彼女には信じ難いものでした。全員が揃って自分を試しているのか、騙しているのかと目配せし、顔色をうかがいました。けしてボロを出さず、完璧な体裁を演じました。
久々の人前に疲労を覚えたグレイシーは、途中でパーティーを抜けることにしました。植物学者が後を追ってきて、是非お顔を拝見したいと懇願してきました。もうこのような社交場に来る機会はないだろうと、グレイシーは化け物探しに終止符を打つために素顔をさらけ出しました。植物学者は感嘆の音を漏らしました。
「やはり! グレイシー様であらせられましたか! 真に光栄でございます!」
彼は彼女の手の甲にキスをしました。声を聞きつけて男たちが押し寄せてきました。グレイシーは血相を変え、城の頂上で待機していた竜を呼び寄せ、逃げ出しました。
「ああ、何てこと。みんなどうかしているのだわ!」
火照った顔を夜風で覚ましながら屋敷へ帰りました。帰宅した騎士には、パーティーはこれっきりだと強く言いました。騎士も困ったように笑いました。
「その方が良さそうです。どうも、嫉妬しっぱなしは疲れますね。しかし、これでお分かりでしょう。あなたはもう恐怖の対象ではありません。怪人などと呼ばれることはなくなるのですよ」
この一件から、グレイシーは騎士に連れられる形で町に繰り出すことができました。店の主人は手を振り、婦人は会釈をし、抱かれている赤子は泣くのをやめました。誰しもが笑顔を向けました。子供たちは彼女を取り囲み、女の子なら花や妖精の知識を求め、男の子なら竜との冒険の物語を求めました。みんなが目を輝かせていました。男は花一輪を手にしていて、町を出る頃には花束になり、テーブルに飾りました。悪い気はしませんでした。
グレイシーは大人たちよりも子供たちの相手をしました。女の子なら妖精がこぼした涙でできた真珠の腕輪を、男の子なら竜の玉色の鱗を削って作ったブローチを贈りました。
誘われて町の祭りにも参加しました。町の女たちは一品ずつ料理を出すので、彼女はジャムとスコーンを用意しました。特に子供たちに喜ばれ、あっという間になくなりました。夜になれば火を起こし、音楽を奏で踊りました。彼女も子供たちに引っ張られながら踊りました。ここでも男たちが、次こそは次こそはと割り込もうとしました。これも悪い気はしませんでしたが、グレイシーは子供と騎士としか手を取り合いませんでした。




