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眼鏡をかけるアリアンナ

作者: 川崎 春
掲載日:2026/04/01

頭空っぽで読める話です。

 この世界は、異世界の『知識』を召喚する。

 本……文字……あらゆるものを召喚する。生物は死ぬから召喚出来ないが、それはなくてもいいのだ。

 そんな訳で、魔法で科学文明の利器を再現し、ほどよく楽しく生きているこの世界は、未だに民主主義に移行していない。理由は簡単。王族が神の加護を受け、その恩恵として魔法が使える世界だからだ。


 神からの魔力供給アンテナとして今日も王宮にいる、アリアンナ・ヴェルラ王女は、ヴェルラ王家の王女だ。王家は一子相伝。一人生まれるとその子が聖女か聖人、俗に言う神の愛し子なのだ。

 神に愛されているから、病気をしない。怪我も事故もない。一人しか産めないが生殖能力もばっちりだ。


 ただ、神は不倫や浮気を許さない。一子相伝で必ず生まれる代わりに伴侶も一人と定められている。

 そんな訳でアリアンナは夫となる男性を選びたい放題だ。

 アリアンナは二十五歳を迎え、婚約者を選定することになった。異世界知識に引きずられ、この世界も晩婚化しつつあるのだ。


「望む条件はありますか?」

 宰相であるジュストの言葉にアリアンナは答えた。

「眼鏡メン」

 短くそう答えると、アリアンナは手に持っている薄い本に再び視線を移す。

 雄々しい男同士がピーでピーなピーですと言う本を平然と拡げている様は、神が溺愛してダメな子にしたようにしか見えない。ジュストはこっそり指先に魔法の氷を出してみて、氷が出ることに安堵すると同時に複雑な気分になった。

「他には……」

「眼鏡メン」


 大きくため息を吐いた後、

「分かりました」

 と告げて、ジュストは眼鏡のブリッジをクイっとあげると背を向ける。

 その背中をこっそり頬を染めて見送るアリアンナにジュストは気づかない。


 ジュストは三十五歳になる。半年前に体調不良を理由に引退した前宰相の跡を継いだばかりだ。

 元政府官僚であるため、城ではよく知られている存在だが表に出てきたのが最近である上に政治家としては若いこともあり、支持が集まっていない。

 いきなりの指名だったが、拒まなかった以上、役職の仕事は果たさねばならないと必死だ。


 だからアリアンナからの願いで、前宰相が健康なのに早期に引退したことも、長年アリアンナがジュストに恋をしていることも知られている。ジュストだけが分かっていないのだ。


 神は愛し子に一つだけ試練を課す。それは恋の試練だ。

 周囲が善意で愛し子の恋の橋渡しをしたとしても、家門が滅びると言われる程に厳しい。だから、アリアンナの恋に誰も手出しできないのだ。

 だから、歴代の王族は恋で何度も失敗して伴侶を捕まえている。愛していないなら断る権利もちゃんとあるのだ。だからアリアンナの恋心に答えないジュストに危害を加えることも何も出来ない。それが城中の空気を何とも言えないものにしていたのだが、それにもジュストは気づかない。


 そんな鈍いジュストに魔の手が迫っていた。


 神がいるなら悪魔もいるのだ。セリナはジュストに差し向けられた悪魔の愛し子だった。

 神のルールに従わねば悪魔も危険だ。だから、神のルールの隙を突く方法でアリアンナの恋を壊さねばならない。


 セリナは城でメイドをしており、ジュストの隙を伺っていた。

(まずは眼鏡を壊す。そしてコンタクトレンズを勧める!)

 セリナの計画はこんな感じだった。しかし、城では眼鏡をかけっぱなしのジュストの眼鏡を破壊するのはほぼ不可能だ。


 しかしセリナは悪魔の愛し子だ。彼女が魔法陣に祈りを捧げると、スプーンを手にした渋い眼鏡メンが出てきて、彼女にひしゃげたスプーンを手渡した。そして満足気に頷くと再び魔法陣へと消えて行った。


 その日から、セリナはジュストに向けてこっそりとスプーンをこするようになった。そしてスプーンが曲がると、メガネのつるが曲がる。セリナの得た悪魔の力だ。


「む、また眼鏡が」

 しかしセリナが次に出会うと、ジュストの眼鏡は元通りだった。

 セリナは眼鏡のつるを曲げる努力をし続け、どんどん貧乏になっていった。

 金属のスプーンは高い。庶民は木のスプーンを使うのだ。しかし木のスプーンは曲がらない。契約で曲げられるのは金属のスプーンだけだからだ。城の食器が無くなれば犯人捜しが行われる。だからセリナは自腹でスプーンを買い続けていたのだ。

 

 魔法で直しているのかと思ったが、その手の魔法はとても難しい上に使い手の消耗が激しいと調べて知ったセリナは、ジュストの執務室に忍び込んだ。

「!!」

 そして、引き出しに同じ眼鏡がずらりと並べて入れられているのを発見してしまった。その下の引き出しにも、その下にも。あまりの光景にセリナは呆然として執務室を出た。


 翌日、何気ない話題を装ってセリナは同僚に眼鏡のことを聞いた。すると同僚は小声で言った。

「あれ、アリアンナ様が匿名で贈っているものよ」

「え……」

「ジュスト様は匿名だから家に持ち帰られないのよ。……どう考えてもあんな高価な眼鏡、バンバン送ってくる人なんて一人だけなのに鈍いお方よね」

 同僚があごをしゃくるので見ると、そこにビロードの布の敷かれた角皿を持った執事長が歩いているのが見えた。ビロードの布の上には眼鏡があった。

「最近、ジュスト様の眼鏡が頻繁に壊れるお陰で、贈り放題だとアリアンナ様は喜ばれているそうよ」


 セリナの心はばっきりと折れた。その日、セリナは実家に帰らねばならないと嘘をついて城のメイドを辞めた。

 セリナは悪魔の愛し子としての使命を果たせなかった。

(きっと、悪魔に消されるわ)

 幼い頃から、悪魔の声が聞こえた。従いたくないと思うと目の前で馬が暴走したり、近くの人が怪我をしたりした。だから周囲から親しい人を遠ざけ、悪魔の言うままに生きてきた。それも今回で終わりだろう。

 そんな風に思いながらとぼとぼ歩いていると、いつもスプーンを売ってくれていた行商人に声をかけられた。

「スプーン、今日は買わないの?」

「買わない。もういらないもの」

 そう声をかけて歩き出すと、行商人が慌てて追いかけて来た。

「元気ないね」

「私、もう長くないから」

 ぎょっとした男の前でセリナが泣きだした。


 行商人が自分の泊まっている宿屋に連れて行ってくれたので、弱っていたセリナは自分の事情を話した。すると行商人は笑った。

「逆じゃないかなぁ」

「どういうこと?」

「経典にも載っているけれど、悪魔の愛し子って、悪魔が使い捨てる人間なんだよ」

「……私、知らない」

「悪魔の愛し子は経典なんて読まないからね。……とにかく、取り返しのつかないことをする前に手を引いたから、長生きできると思うよ」

「それ本当?」

「うん。僕と一緒に行商人にならない?何かあったら僕が助けるよ」

 それを聞いたセリナは、真っ赤になってそっぽを向いた。悪魔の害を怖れ、ずっと人との交流を最低限に減らして生きてきた彼女は、若い男とこんな話をするのも初めてだったのだ。

「う、嘘ついたら、祟るんだから」

「必ず助けるよ」


 神の目として城下に潜伏していた使徒は悪魔の愛し子を見張っていたが、スプーンひとつ盗まない生真面目なセリナに絆されてしまっていた。神の赦しも得て、天寿を全うするまで悪魔の愛し子を見張ることが許された彼は、悪魔に二度と利用されないように、セリナを一瞬でかっさらった。

 セリナはこうして、行商人の妻にジョブチェンジして色々な国を旅する暮らしを始めたのだった。


 それからしばらくして……ジュストは自分の眼鏡が壊れなくなったことに安堵しつつ、かれこれ十年、自分で買ったことがないことに気付いた。

 完璧な角度。疲れ目を起こさない視力調整。どれをとっても一流の品。それを引き出しに大量に持っていることにようやく目が向いたのだ。


 何故今まで目が向かなかったのか。それはセリナがメイドとして勤め出した頃と、ジュストが官僚として城に出仕し始めた時期が同じだからだった。悪魔の愛し子は、ただ存在するだけで神の愛し子の求める流れを歪める。そういう存在だったのだ。

「眼鏡メン……」

 ぽつりとつぶやいたジュストは、少し固まった後一瞬で耳の先まで赤くなって口に手を当てた。


 側に控えていた侍従と護衛騎士が、

((やっとかよ))

 と同時に思ったとか思わなかったとか。

 結果、ジュストが計画していた『眼鏡メンコンテスト』『眼鏡メン舞踏会』『眼鏡メン御前試合』などが軒並み中止されることになった。


 東屋で、薄い本を開いてお茶をしているアリアンナのところに、ガチガチになったジュストがやってきたのは三日後のことだった。

 アリアンナが好む黒(薄い本の男がよく着ている)に、上品な刺繍の入った上着を着ているジュストを見て、アリアンナは目を丸くした。……ジュストが眼鏡をしていなかったからだ。


 驚くアリアンナの前でジュストは膝を付くと、ポケットから眼鏡ケースを出してぱかりと開けた。

「アリアンナ様、もしよろしければ、私に眼鏡をかけて下さい。一生」

 次の瞬間、アリアンナはぱさりと薄い本を膝から落として固まった。

「ジュスト……」

「十年前、あなたと約束したことを忘れていた私に愛想が尽きていないなら、どうか……」


 官僚になったばかりだったジュストは城で迷い、騎士の訓練場を覗いている令嬢に出会った。

 彼女は一人で、頬をバラ色に染めて騎士達の様子を見ていた。そこへ、騎士達のしていた模擬戦で弾かれた剣が彼女めがけて飛んで来ていたのだ。

「危ない!」

 ジュストはとっさに令嬢を庇って右腕に怪我を負っていた。幸い刃を潰した模擬刀だったので、大した傷にはならなかった。

 しかし令嬢は顔色が悪いままで、庇ったジュストに涙ながらに言ったのだ。

「もし腕が動かなくなったら、あなたの代わりに私が眼鏡をかけて差し上げます!」

 そこは腕の代わりになりますだろう!とジュストも手当てした御殿医も思ったが、混乱しているであろう令嬢を安心させるために言ったのだ。

「そのときはお願いします」

 と。


 傷はただの打撲で、ひと月もしない内に治り、騎士団から焼き菓子が届いて部署に配って終わりだった。以後、令嬢のことも思い出しもしないまま十年が過ぎていたのだ。

 あの当時、愛らしい容姿をしていた令嬢は、目に涙を溜めた美しい淑女になっていた。中身を知っていても、そんなことが些細に思えるほどに。


 アリアンナは涙をハンカチで拭くと立ち上がり、跪いたままのジュストの眼鏡ケースから眼鏡を取り出し、震える手でジュストにかけた。

 その光景は空から光が差し込み、護衛騎士や侍女達には祝福された戴冠式の如く見えたと言う。


『眼鏡をかけるアリアンナ』


 このモチーフは画家に大人気で、名作を残すことになるのだが……アリアンナの膝から落ちた薄い本を描くか描かないかは、未だに結論が出ないままだ。

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