矛盾した現実
遠征2日目。
春先未白は、朝の光が差し込む宿舎で目を覚ました。
昨日の遠征初日を終え、疲労は残っているはずなのに、胸の奥には少しの不安がくすぶっていた。
「今日も……リオンがいない」
その思いが、体の力を少しだけ緩ませる。
朝食を終え、広いグラウンドに立つ。部員たちは元気に声を掛け合い、監督も熱心に指導している。
未白は練習に集中しようとするが、どうしてもリオンのことを考えてしまう。
サインの出し方、ボールの受け方、声のトーン。
いつも隣にいてくれる存在がいないだけで、心は揺れる。
一度、キャッチボールをしていた瞬間、後頭部に衝撃が走った。
「うっ……」
視界が暗くなり、足元がふらつく。
次に意識が戻ったとき、未白は病室のベッドに横たわっていた。
ベッドサイドには楓が座り、少し涙を浮かべている。
「あ……先輩……」
未白は声を出す。
楓は涙を手で拭いながら微笑む。
「未白くん……起きた?」
「はい……僕、何かあったんですか?」
未白の声は少し震えていた。
楓は少し息を整え、優しく語りかける。
「後ろから飛んできたボールが当たったの……そして未白くんに当たっちゃって……」
未白は頷き、胸の奥のざわつきが少しだけ収まるのを感じた。
遠征3日目。
未白は練習に復帰した。
部員の名前もサインも、昨日の不安で揺れていた自分に比べ、どこか落ち着いて覚えている。
体は自然に動き、ボールも手になじむ。
監督の声も、仲間の掛け声も、耳に心地よく届いた。
夜、宿舎の部屋で楓と向かい合う。
「今日は、なんか変だったね」
未白は少し首をかしげる。
「え……変って、どういう意味ですか?」
楓は少し笑みを浮かべ、軽く肩をすくめた。
「みんなの名前も覚えてるし、サインもわかるっぽいし……バットの振り方だって」
「いや、そのくらいわかりますよ」
「……」
「もしかして記憶が戻ったの……なんちゃってぇ」
未白は驚き、少し戸惑う。
「え……僕、記憶なかったんですか?」
楓は頷き、問いかける。
「うん、そうだよ。覚えてる?記憶がなかった頃のこと」
未白はしばらく考え込む。
(……記憶がなかった頃……?)
頭を巡らせても、何も思い出せない。
そのことに、少し戸惑いを覚えた。
楓は少し柔らかく微笑む。
「記憶が戻ったってことは、君の彼女さんも喜ぶんじゃないかな?」
未白はキョトンとして言葉を返す。
「え……僕、彼女いませんよ?」
楓は驚き、少し口を尖らせる。
「マジ?」
「マジです」
「……そうなんだ」
少し拗ねたように楓は言う。
「あのリオンって子が彼女じゃないの?」
未白は首を傾げ、困ったように答えた。
「ただの幼馴染ですよ?」
楓はしばらく黙り、珍しく真剣な表情を見せた。
そしていつもより低い声で言った。
「……そうなんだ。そういうことね……」
未白はキョトンとしたまま、自分の不思議な感覚を整理する。
リオンが特別な存在なのか、それともただの幼馴染なのか。
でも確かなのは、リオンがいない遠征で感じた不安や、仲間と練習する安心感、楓の優しさの温もり。
その矛盾した感情が、未白の胸にぽつりと残ったまま、夜は静かに更けていった。




