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記憶がない僕には恋人がいるらしい  作者: 鳥魔莉沙


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2/10

慣れない日常

朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。


「……ん」


春先未白は、ゆっくりと目を開けた。

見慣れない天井。

でも、不思議と怖さはなかった。


「おはよ、未白」


隣から声がする。


顔を向けると、松崎リオンがいた。

寝癖のついた髪のまま、柔らかく笑っている。


「……おはよう」


そう返しながら、未白は胸の奥に小さな違和感を覚えた。

朝起きて、隣に女の子がいる。

それが恋人だから当たり前なのだと、昨日聞いたはずなのに。


「どうしたの? ぼーっとして」

「いや……その……」


言葉に詰まる。


リオンは未白の様子をじっと見つめてから、手を伸ばしてきた。


「まだ慣れてないんだよね。大丈夫だよ」

「……うん」


その手が、指を絡めてくる。


恋人繋ぎ。


「こうするの、前から好きだったよね?」


リオンはそう言って、嬉しそうに笑った。

未白は頷くしかなかった。


登校中、二人は並んで歩いていた。


「制服、ちゃんと着れてるね」

「……前から着てたはずなんだけど」


言ってから、自分で変だと思う。

はずなのに、確信がない。


「無理しなくていいよ」

「うん」


校門が近づくと、リオンは少しだけ距離を取った。


「学校では、あんまりベタベタしないほうがいいかも」

「そうなんだ」

「うん。色々あるから」


理由は教えてくれなかった。


昼休み。

未白は一人、席で弁当を広げていた。


周りのクラスメイトは楽しそうに話している。

名前も、関係も、誰一人として分からない。


(……俺、ここにいていいんだよな)


そんなことを考えていると、

机の横に影が落ちた。


「未白くん。一緒に食べる約束、忘れちゃった?」


声をかけてきたのは、知らない先輩だった。

ジャージ姿で、首にはネックレスをつけている。


「……え?」


未白は箸を止めて、相手の顔を見上げた。

誰だろう。

どこか親しげな口調なのに、記憶に引っかかるものが何もない。


「どうしたの、その顔」

「あの……すみません。どなたですか?」


先輩の表情が、一瞬だけ固まった。


「……冗談、だよね?」

「いえ、本当に……」


数秒の沈黙。


先輩は小さく息を吸ってから、笑顔を作った。


「そっか、忘れちゃったか」

「……?」


「私、野球部マネージャーの榎本楓えのもとかえで。いつも一緒に昼食べてたでしょ」


その言葉を聞いても、何も思い出せなかった。


「すみません……」

「謝らなくていいよ。いつものことだし」


楓はそう言いながらも、未白の様子をじっと観察していた。


「未白くんさ」

「はい」

「私のことだけじゃなくて……他のことも、覚えてない?」


未白は、少しだけ迷ってから頷いた。


「……正直、ほとんど何も」


楓の表情から、笑みが消えた。


「そっか……」


それ以上、何も聞いてこなかった。

ただ「無理しないでね」とだけ言って、その場を離れていった。


未白は、背中を見送りながら胸の奥がざわつくのを感じていた。


(……僕、あの先輩とそんなに仲良かったのか)


放課後。


校門を出ると、リオンが待っていた。


「未白!」

「リオン……」


その顔を見た瞬間、ほっとする。

知っている人がいるという安心感。


「どうだった? 学校」

「……正直、疲れた」


未白がそう言うと、リオンは少しだけ眉をひそめた。


「誰か、変なこと言ってきた?」

「え? いや……」


昼休みの先輩の顔が浮かぶ。


「野球部のマネージャーの先輩が話しかけてきた」

「……へぇ」


リオンの声が、ほんの少し低くなった。


「その人、なんて言ってた?」

「前から一緒に昼ごはん食べてたって……」


沈黙。


リオンは立ち止まり、未白の前に回り込んだ。


「未白」

「どうしたの?」

「その人のこと、気にしなくていいよ」


にこっと笑う。

でも、その笑顔はどこか硬かった。


「未白は今、リオンのことだけ考えてればいいの」

「……そうなの?」

「そうだよ。だってリオンは……」


リオンは未白の手を、ぎゅっと握った。


「未白の恋人なんだから」


その言葉に、胸が少しだけ締めつけられる。

でも、反論の仕方が分からなかった。


夜。


布団に入って、天井を見つめる。


今日一日で出会った人たち。

知らないクラスメイト。

知らない先輩。

そして、恋人の幼馴染。


(……僕の世界、こんなに狭かったっけ)


考え込んでいると、隣から声がした。


「未白、起きてる?」

「……うん」


リオンが、未白の方を向く。


「不安?」

「……ちょっと」


正直に答えると、リオンは少しだけ安心したように笑った。


「大丈夫だよ」

「ほんと?……」

「うん。だって未白には、リオンがいるでしょ?」


その言葉は、優しいはずなのに。

なぜか、逃げ場を塞がれたような気がした。


「思い出せなくてもいい」

「……」

「約束は、リオンが覚えてるから」


リオンはそう言って、未白を抱き寄せた。


慣れない日常は、

ゆっくりと形を整えながら、

未白の選択肢を減らしていく。

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