断罪された悪役令嬢は、悪名高い悪役令息とともに、汚名を晴らす
学園の広いエントランスホールに呼び出されたマリーヌは、婚約者である王太子エミール・オーフレイによって、一方的につるし上げられていた。
「マリーヌ・クラヴィエ! 貴様は国にとって大切な聖女であるミオに数々の嫌がらせをした! よって、私との婚約は破棄するものとする!!」
「お待ちください、エミール殿下!」
隣でニヤニヤと笑うミオを侍らせて、あらぬ罪を弾劾される。
真っ青な顔色で、慌てて弁明を、と口を開いても、マリーヌの言い分など右から左に流される。
「わたくしはミオ様に嫌がらせなどしておりません!」
「ではお前はミオが嘘をついているというのか!」
必死に口を動かしても、上から言葉で押さえつけられる。
エミールによって集められた他の生徒たちは、困惑した様子で顔を見合わせていたが、マリーヌを庇ってくれるものはいない。
マリーヌがミオを見上げると、平民ながらに聖女の力で学園の特別枠を利用し、優雅に暮らしている彼女はしくしくと顔を覆った。
「わたし、マリーヌ様に頭から水をかけられ、教科書は捨てられ、階段から突き落とされました……! 一人で抱えて我慢しておりましたが、もう無理ですっ!」
わっとエミールに泣きつく姿は、哀愁を誘う。
確かにミオの右足と左腕には白い包帯が痛々しく巻かれていた。
だが、マリーヌから言えば、隣を通りすぎようとした際に、勝手に階段から滑り落ちただけだ。
しかし、エミールはそうは思わないらしい。
泣きつくミオを抱きしめて、マリーヌを睨みつける。
「殺されかけるまで我慢したミオに感謝するんだな。罪の重さを自覚するため、自宅で謹慎処分とする」
「冤罪ですわ! エミール殿下!」
「大人しく罪を認めればよいものを……! 誰か! その女を連れていけ!」
仮にも先ほどまで婚約者だったマリーヌを「その女」呼びだ。
心臓が嫌な音を立てる。
ここで無実を証明しなければ、侯爵令嬢の彼女は、この先一生冤罪を擦り付けられたままになる。
けれど、焦れば焦るほど言葉が出てこない。
周囲がひそやかにかわす「ミオ様を殺そうとした?」「彼女は聖女だぞ」「いくらなんでも……」そんな会話が耳朶に響いて仕方ない。
騒ぎに駆け付けた王太子付きの護衛たちに取り押さえられる。
無理やり膝をつかされたマリーヌは、屈辱に顔を歪めることしかできない。
「さようなら、悪役令嬢。お前と別れることができて、清々する」
「っ」
圧倒的強者による、見下した笑みと共に告げられた言葉に、マリーヌは奥歯を噛みしめる。
嫌な笑みだ。人を蔑む、最低の笑み。
前から立場に驕ることのある人だと知っていたが、こんな最悪の形で露呈するとは。
足音高く去って行く二人の背中を、マリーヌはなすすべもなく見つめるしかなかった。
実家に強制的に送還され、自室で謹慎を言い渡された。
突然のことに両親は酷く驚き戸惑っていたが、王太子の沙汰は国王の次に絶対だ。逆らうことは出来ない。
謹慎して一か月がたつ頃、マリーヌの元に少しやつれた父クーベルトが訪れた。
「マリーヌ、大丈夫かい?」
「はい、お父様。部屋からは出られませんが、不便はしておりません」
学園で問題を起こした、としか伝わっていないだろうに、父も母もマリーヌを労わってくれる。
中々眠れない夜を過ごしているせいで、青白い顔で微笑むマリーヌに、クーベルトがそっと視線を伏せた。
「……お前の新しい縁談が用意された」
「エミール様の差し金ですね」
された、という言い回し、憔悴している様子から、予想は簡単にできた。
婚約が破棄されているのだから、侯爵令嬢であるマリーヌに新しい縁談の話がくるのは時間の問題だった。
だが、国の宝である聖女を害した女に求婚する物好きなどいないだろう、と諦めてもいた。
クーベルトは懐から一通の手紙を取り出す。上品な白い封筒は一度開けた形跡があった。
渡されたそれを受け取り、中の便箋を取り出す。
「マリーヌ、お前の新しい婚約者はベルトラン・クローデル公爵令息だ」
「……酷い噂がある方ですね」
ベルトラン・クローデルと言えば、学園でも滅多に姿を見せない男子生徒だ。
整った容姿にこそ恵まれているが、性格が悪いことで有名でもある。
曰く、憂さ晴らしに女子生徒の髪を風魔法でずたずたに切った、通りかかっただけの男子生徒に喧嘩を吹っ掛け退学に追い込んだ、彼に歯向かった平民の女性の顔を焼いた、など耳を疑うような噂が山ほどある問題人物だ。
「ああ。……すまない、力が及ばなかった」
「……悪役令嬢には、悪役令息がお似合いだ、そういうことですね」
「マリーヌ」
自嘲的に笑うマリーヌに、クーベルトが痛ましげに名を呼ぶ。軽く頭を振って、マリーヌはまっすぐな目で父を見上げた。
「受けます、この婚約。逃げるわけにはいきませんわ」
「……顔合わせは三日後だ。あちらの屋敷に行くことになる。新しいドレスを手配した」
「はい。ありがとうございます」
貴族令嬢らしくふんわりと笑う。いままで王太子妃教育を始めとして、様々な難しい教育を受けてきた。
その一環で、虚勢を張るのは得意だ。
誰にも弱みはみせてはいけない。たとえ実の父親だとしても。
人形のように綺麗に微笑み続けるマリーヌを、クーベルトは痛ましげに見つめていたけれど。
「公爵家ともなると、さすがに広いですわね」
馬車から降りて、そびえたつように建てられた屋敷を見上げ、マリーヌは感嘆の息を吐く。
新しく仕立てられたドレスに袖を通したマリーヌを、老齢の執事が出向かえる。
「ようこそ、マリーヌ様。こちらへ」
案内されるままについていく。広い玄関を抜け、応接室に通される。
マリーヌの家も侯爵家で身分としては高い方なのだが、公爵家と比べると少しだけ見劣りするのだな、と感心した。
この国に公爵家は一つしかない。
王太子から婚約を破棄されたマリーヌにとって、身分だけで言うのであれば、悪くはない話だった。
けれど、それは公爵令息であるベルトランの性格次第でもある。
ソファに腰を下ろし、少しだけ落ち着かない気持ちを抑えるように浅く息を吐く。
二回ほど繰り返して、気持ちを落ち着けさせたマリーヌは扉の開く音に反応して顔を上げた。
そこには何度か学園で見かけた姿がある。
端整な面立ち、文句なしにカッコいいと呼べる顔、切れ長瞳と、小さな鼻と口がバランスよく収まっている。
ベルトラン公爵令息は、静かにマリーヌの対面のソファに座る。
彼女は優雅に立ち上がって、ドレスの裾をつまみカーテシーをした。
「初めまして、ベルトラン様。わたくしマリーヌ・クラヴィエでございます」
「ああ。聞いている。……運がなかったな、王太子の寵愛を受けていたというのに」
「寵愛なんて、そんな」
皮肉には聞こえなかった。恐らくベルトランの目にはマリーヌは寵姫として映っていたのだろう。
「座ってくれ」
「はい」
許可を得てソファに座りなおしたマリーヌの前で、ベルトランが膝を組む。
優雅な所作で様になっている。
「知っているだろうが、俺には様々な悪評が経っている。そんな僕に結婚の打診がきたんだ。君も相当に問題児なのだろうと、少し調べさせてもらった」
「はい」
きっと聖女を虐めていた、という冤罪が耳に届いている。
訂正したいが、しても大丈夫な相手なのか。内心で思案するマリーヌの前で、ベルトランが笑う。
「どうせ、君の件も根も葉もない噂に過ぎないんだろう」
「わたくし、も?」
引っかかる言い回しだった。
目を見開いたマリーヌの前で、ベルトランが肩をすくめる。
「僕に立っている悪評と、元をたどれば同じだろう、という意味だよ」
「詳しい事情をお聞かせいただけませんか?」
胸がざわつく。
マリーヌが静かに問いかけると、ベルトランは一拍ほど沈黙してから、平坦な口調で語りだした。
「僕には妹がいるんだが、ずいぶんと病弱なんだ。だが、外見は美しい。目を付けた王太子が、無理に妹を手に入れようとしたことがある」
ベルトランの妹なら、公爵令嬢だ。
本来、マリーヌより王太子妃に相応しい。
だが、彼女が跳ねられマリーヌの元に婚約の話がきたのは、きっと彼女が病弱だからなのだろう。
「……わたくしとエミール様の婚約は、互いが七歳の時に結ばれたのですが」
「ああ。だから、あいつは君という婚約者がいながら、俺の妹に手を出した。なんとか俺が間に合って助けたが、その際にずいぶんと怒らせてな。決闘沙汰に発展した」
「っ」
貴族の間で行われる決闘。それは、互いの了承の上で、魔法や剣の使用を許される。
どちからが敗北を認めるか、死ぬまで終わらない過酷なものだ。
「幸い、僕は剣も魔法も得意だった。王太子など赤子の手をひねるように地面に転がした。あいつは命乞いをして、そこで決闘は終了だ。こちらも王太子を殺すつもりはなかったから。……それからだ、ありもしない噂がまことしやかない囁かれるようになった」
「そんな……」
マリーヌの前でのエミールは、まさに理想の王子様だった。
断罪されるあの日まで、エミールは確かに優しかったのだ。
フォークやナイフより重いものをマリーヌに持たせなかったし、爽やかな笑みをいつだって忘れなかった。
少しだけ信じられない気持ちがある。
けれど、ベルトランが嘘を言っているとも感じなかった。
王太子妃教育を受けてきて、人の嘘には敏感だ。
視線を伏せる。膝の上で握りしめた拳に力が入った。
エミールは最低な人だったのだと、断罪のあの日、冤罪だと訴えかけても虫けらを見る目で見られたことを含めて、実感するしかなかった。
「噂がより過激なものになったのは、聖女からの求婚を断ってからだ」
「ミオ様の……?」
話はさらに続くらしい。驚き顔を上げたマリーヌに、淡々とベルトランは言葉を紡ぐ。
「妹の病気の治癒のために、屋敷に呼んだことがある。あの聖女は、妹を癒すことなく、ずっと僕に付きまとい結婚だと騒ぎ立てた。我慢の限界になって屋敷から追い出したら、学園での噂はより酷くなった、というわけだ」
「……納得いたしました」
ミオは『未来を見通せる』――そううそぶいて聖女になった女だ。
だが、聖女として教会に認められ、彼女が学園に通うようになってから、マリーヌはミオの力に懐疑的だった。
彼女は確かに人心掌握は上手かったが、実際に見通してみせた未来は酷く限定的だったからだ。
むしろ、甘い毒で人々を惑わせているようにマリーヌの瞳には映っていた。
「すまない。僕が彼女を無下に扱ったから、おそらくターゲットを王太子に変えたんだ」
「……お似合いの二人、ということにしておきましょう。わたくしも結婚する前に本性が知れて良かったですわ」
本来の性格を知った以上、もう未練など欠片もない。
そう告げるマリーヌに、ベルトランは目元を優しく和ませた。
「来てくれ。妹に紹介したい」
「ありがとうございます」
先ほどまでの会話で、ベルトランが兄として妹を心底可愛がっているのは伝わっている。
その妹に合わせるというのは、最大の敬意を払われている。
マリーヌは穏やかに微笑んで、ベルトランについて応接室を後にした。
「シルヴィー、起きているかい」
「はい、お兄様」
扉をノックして声をかけたベルトランに、室内から返事が返る。
ガチャリと軽い音を立てて扉を開けたベルトランの後ろからついていくと、白いベッドに埋もれるようにして、一人の少女が上体を起こしていた。
同性のマリーヌから見ても、儚げで美しい少女だ。
エミールが手を出そうとしたのも、よくわかる。
「体を起こして大丈夫なのか?」
「お兄様の婚約者の方に、失礼は出来ませんもの」
からころと鈴の音が転がるように笑う少女は可愛らしい。
ベルトランが大切にする気持ちがよくわかる。
マリーヌはベルトランの隣に並んで、ドレスの裾をつまむ。
カーテシーをして、挨拶を口にした。
「シルヴィー様、初めまして。マリーヌ・クラヴィエと申します」
「初めまして、マリーヌ様。シルヴィー・クローデルです」
少し聞き取りにくい小さな声で挨拶が返ってくる。
ドレスの裾を降ろして、マリーヌはシルヴィーを見た。
彼女はなにかを訴える眼差しで、マリーヌを見上げている。
「マリーヌお姉様、お兄様を誤解しないでくださいませ」
「と、もうされますと?」
「お兄様は、とても優しい方なのです」
主語は隠されているが、必死に訴える姿に胸を撃たれる。
マリーヌはベッドサイドに膝をついて、シルヴィーの細い手を取った。
「大丈夫です。わかっておりますよ」
「よかった……」
心底安堵した様子のシルヴィーにもう一度笑いかける。
青白い顔で嬉しそうに笑うシルヴィーに、決意が固まった。
自身に掛けられた冤罪も、ベルトランの根も葉もない酷い噂も。
(必ず撤回させてみせます)
王太子妃教育で培った仮面で穏やかに微笑みながら、心の中でマリーヌは覚悟の炎を燃やしていた。
学園への復学が許された。
支度を整え登園したマリーヌは、周囲の白い視線に負けることなく凛と背筋を伸ばし続ける。
母は「無理に学園に行かなくても、これからは家庭教師でもいいのよ?」と気遣ってくれたが、負けたまま逃げるのは嫌だった。
幸い、エミールとミオとはクラスが違う。直接的な危害を加えられる可能性は低いと判断した。
「……どうしてベルトラン様がいらっしゃるのです?」
「僕もこの学園の生徒だからだよ」
教室に入ると、一番後ろの窓際の席にベルトランが座っていた。
クラスメイトから遠巻きにされるのも気にせず、窓の外を見ていた様子の彼は、マリーヌが教室に入った瞬間、微笑みながら話しかけてくる。
「君ならきっと、学園に来ると思った。一人で戦わせたりしないよ」
こそ、と耳打ちをされる。その言葉が、なにより力強い。
「見通しなのですね」
「ふふ、君は目立つから。よく見ていたんだ」
悪戯気に笑うベルトランの言葉には困ってしまう。
苦笑をこぼしたマリーヌは、ベルトランの隣に座って、何気ない雑談のように話を続ける。
クラスメイト達は二人のことが気になって仕方ないようだが、あからさまに注目をすれば後が怖いと思っているのだろう。
遠巻きにささやきあっているから、会話が聞かれる心配はあまりしていない。
「情報を集めたいのです。中立派の生徒たちがいるはずですから」
「そうだね。そこからはじめよう」
こくんと頷いたベルトランに微笑むと、彼は頬を赤くしてそっぽを向いてしまう。
婚約者だったエミールにはそんな反応をされたことがないので、驚いてしまった。
ぱちぱちと瞬きをしている間に、教師が入ってきて授業が始まった。
一日かけて学園の目立たない場所で、中立を保つ令嬢や令息に手分けして話を聞いて回ったマリーヌとベルトランは、生徒の憩いの場所の一つである裏庭のガゼボで情報を交換していた。
「やはり噂の発生源は王太子と聖女か」
「正確には、エミール様が流した噂を誇張しているのがミオ様ですわね」
二人を懲らしめない限り、学園にも将来的には貴族社会にも居場所はない。
考え込むマリーヌに、ベルトランがにっと笑う。悪い顔だ。
「僕に一つ案がある。乗ってみないか?」
「案?」
「僕もね、なにもただ指を咥えていたわけじゃないんだよ」
自信満々に笑うベルトランが、ひそやかに一人で奮闘して集めた話を打ち明けてくれた。
話を聞くほど目を見開いたマリーヌは「それを使いましょう」と即断する。
「ちょうど、僕の所に王宮のパーティーの誘いがきている。きっと、人前で恥をかかせようというんだろう。パートナー必須とあるから、君のことも標的にしているはずだ」
「ええ。罠だとしても、飛び込まなければならないこともありますわ」
「いい返事だね。出席で連絡をしておこう」
「はい」
そのあと、作戦を煮詰めて、マリーヌとベルトランは別れた。
今まで面倒で仕方なかった王宮でのパーティーが、心底楽しみだ。
新しいドレスに袖を通し、ベルトランのエスコートで王宮の広間に足を踏み入れる。
二人が入場した途端、周囲は水を打ったように静かになった。
一拍おいて小声でひそひそと囁かれても、痛くも痒くもない。
マリーヌもベルトランも凛と背を伸ばし、まっすぐに歩む。
二人を避けるように人々が退いていくので、歩くのがとても楽だ。
「おや、悪役令息と悪役令嬢ではないか」
楽しげな声がかかる。
意地の悪い言葉を使っているのはエミールだ。
人ごみから出てきた彼は、隣に派手なドレスでしな垂れかかるミオを同伴していた。
胸元を大きく開けた下品なドレスに、マリーヌは一瞬眉を潜めたが、すぐににこやかに微笑む。
「お久しぶりです、殿下、ミオ様」
「馴れ馴れしくするな。私はもう、お前の婚約者ではない」
不愉快そうに鼻を鳴らすベルトランにも、心は動かない。完全に心は離れていた。
自分の感情の揺らぎを正確に把握し、マリーヌは微笑み続ける。
「相変わらず、可愛くない女だ」
吐き捨てるように言われた言葉だけが、少しだけ痛かった。
きっと、高潔に振る舞うマリーヌはずっとそう思われていた。
だから、エミールはわかりやすく媚びるミオに靡いたのだ。
けれど仕方ないではないか。
将来の王妃たるマリーヌに求められたのは、誰かに甘え媚びることではなく、いつだってまっすぐに背を伸ばして、高嶺の花として微笑み続けることだったのだから。
「エミール様ぁ、本当のことだからって、口にしたら傷つきますよ~」
間延びした声でエミールを咎めるようにしつつも、追い打ちをかけてきたミオの言葉は無視する。
ベルトランが不快そうにピクリと肩を揺らしたが、それだけだ。
「今日は確認したいことがあって、こちらの夜会に出席させていただいた」
静かに、打てば響くような声で告げたのはベルトランだ。
エミールが露骨に眉を潜める。
「ほう、なにを確認しようという。お前たちの罪か?」
嘲る言葉にも揺らがず、ベルトランはミオに視線を注ぐ。
ミオが不快そうに唇を尖らせた。
「聖女ミオ、君は孤児だという話だが、それは嘘だな」
「なにをいってるんですかぁ?」
「君が過ごしていたという下町で話を聞いた。ミオという名の孤児は存在しない」
きっぱりと断言したベルトランの言葉に、ミオが鼻で笑う。
「孤児なんですからぁ、戸籍なんてないですよぉ」
「君は突然なにもない空間から現れた、と証言する者が複数いる。転移魔法で他国から送り込まれたスパイだな」
「はぁ?」
ベルトランの言葉に、ミオが鼻白んだ。わけがわからない、と言いたげな彼女に、さらに畳みかける。
「奇妙な衣服を着ていたらしいな。そのまま教会に足を運び――君は、教会の司教と寝た」
「はあ?!」
さすがの言葉にエミールもぎょっとしている。
ミオの方はと言えば、はしたないことに大声を出していて、すでにマリーヌはそれが可笑しかった。
「司教と寝た君は、この国での聖女の地位を手に入れた。小さな板を持っていたと証言がある。そこにはこの世界の未来が記されていた、と」
「ふざけないで! 変なこと言わないでよ!!」
激昂するミオを相手にすることなく、ベルトランはポケットから小さな板を取り出した。
片面が黒、片面がピンク色の見慣れないものだ。
「これは『スマホ』というのだろう? 学園で起こる出来事が、ここに記されている」
「ちょっとあたしのスマホ! なんであんたが!!」
慌てたようにベルトランに手を伸ばすミオに、彼は高く『スマホ』と呼ばれるものを掲げてニヒルに笑う。
「この魔道兵器はもう動かないようだが、最初のころはこれに頼って未来を予知していた」
「返して! 返せ!!」
「『わいふぁいがとんでないけど、だうんろーどしてあって助かった』君のセリフだ」
「なんで!!」
わめき続けるミオに、マリーヌは一歩前に出る。
ついていけずに呆然としているエミールを前に、綺麗に微笑む。
「知らないのですか? 司教が不正を働かぬよう、王家はいつだって教会を監視しています。貴女のみだらな行為は、魔法石に記録されていました」
「そんな設定あるはずないんだけど!」
大声で叫ぶミオは矛先をマリーヌに変えたらしい。
詰め寄ってくるミオに怯むことなく、マリーヌは微笑み続ける。
「ここで披露してもよいのですよ。貴女が司教を始めとした大勢と寝た記録を」
「ふざけないで!!」
「ふざけてなどおりません。全て事実です。――そして、エミール様」
びく、とエミールが肩をすくめた。
真っ青な顔色をしている彼に、マリーヌは優雅に笑む。
「貴方がミオ様の誘惑に負け、ベッドを共にするために国家機密を喋った裏もとれております」
「なにっ?!」
狼狽えたエミールから肯定の言葉を引き出して、マリーヌは笑みを深めた。
「貴方は仮にも王太子です。王太子妃の私と共に、数々の『眼』がついておりました。彼らが私の無実を証明し、貴方の不貞を陛下に報告しています」
「っ」
知らなかったはずがない。『眼』の存在は幼い頃からすぐそばにあった。
マリーヌにとっては、エミールと婚約を結んだその日から、どこに行くにも付きまとっていたものだ。
けれど、欲に目がくらんだエミールは、彼らに金を握らせ、権力をちらつかせて黙らせようとした。
そんなことで、彼らが国を裏切るはずがないのに。
『眼』となるものは、自身の全てを捨てて、国に仕えるものだ。時の国王ですら、引きずりおろすことが可能なほどの情報を握ったうえで、『国』だけに仕える存在。
権力でゆすり、金を握らせたところで、彼らが口を噤むはずがない。
「エミール殿下、貴方は権力に物を言わせ、たくさんの令嬢を毒牙に掛けた。それらはまだ黙認されていましたが、国家機密を喋ったのはまずかったですね。貴方の廃嫡が決定しています。王太子の座は第二王子に移る、と」
「?!」
大きく目を見開いたエミールが咄嗟に背後を振り返る。
高い位置に座している両陛下が、こちらを見ていた。
マリーヌが優雅にカーテシーをすると、陛下が立ち上がる。
「愚かな息子よ」
「っ」
「前々から伝えていたはずだ。お前がその地位にいる意味を考えろ、と」
「それは……!」
狼狽えているエミールに、さらに陛下が言葉を重ねる。
「不出来なお前が王太子の座に居続けられたのは、優秀なマリーヌという婚約者がいてのこと。マリーヌを切り捨て、他国のスパイに情報を売ったお前の罪は許されぬ」
「父上!」
悲鳴を上げたエミールは、いつの間にか騎士たちに囲まれていた。それはミオも同じだ。
「つれていけ! 極刑に処す!」
「父上! 話を!!」
「あたしは聖女よ?! こんな展開おかしい!!」
最後まで散々に抵抗しながら、二人は連れていかれた。
その後、マリーヌとベルトランは功績をたたえられ、一足先に来たばかりの夜会を辞したのだった。
「……大変な一日でした」
帰りの馬車の中で、マリーヌはぽつりと零した。
ベルトランが送っていく、と言ってくれたので、同じ馬車で帰っているところだ。
隣に座っているベルトランが、くすくすと肩を揺らしている。
「ああ、だけどとてもすっきりした。ありがとう」
「どうして今までなにもしなかったんですか? あれだけの証拠を握っておきながら」
今日提示した証拠は、全てベルトランがこつこつと時間をかけて集めていたものだ。
今までにも糾弾する機会は山ほどあっただろう。
疑問を口にしたマリーヌに、ベルトランが軽く肩をすくめた。
「僕一人に矛先が向いているのなら、別にいいかなって思っていた。正直、貴族社会は面倒だったから」
エミールと決闘したのがいつなのかは知らないが、もし早い時期だとしたら、ずっと彼は日陰で生きてきた。
公爵令息に相応しくない立場は、彼の自己肯定感を削いでいたのかもしれない。
視線を伏せたマリーヌの手に、ベルトランの手が重ねられる。大きくて暖かい手。
そっと視線を上げて、ベルトランの瞳を見つめるマリーヌに、彼は優しく笑う。
「ずっと君を見ていた、といった。あれは本当で、最初はあんな王太子の婚約者なんて、どんなひねくれたやつだろうと思って観察していたんだ」
思わぬ言葉に目を見開いたマリーヌに、ベルトランは穏やかに続ける。
「けど、君はいつだって高潔だった。身分にとらわれず善悪を判断し、泣きつかれれば真摯に対応して、ああ、素敵な人だなって思った。同時に、悔しかった。こんな素晴らしい人がどうしてあの人でなしのものなんだろうって」
ベルトランがマリーヌの手を持ち上げる。ちゅ、と手の甲にキスを落として、笑み崩れた。
「君は僕たちの婚約が王太子の――ああ、元、だけど。彼の差し金だと思っているようだけど、僕が父に伝えて打診してもらったんだ」
「そ、れは」
「マリーヌを、ずっとみていたから。好きだったんだ」
ストレートにつたられた愛の言葉に、頬に熱が集まる。
顔が赤いのがわかっいてても、こればかりは王太子妃教育をもってしても平常心に戻れない。
「君が好きだ。僕と本当の意味で婚約してほしい」
「――はい。喜んで」
上辺の言葉ではない。それが理解できたから。嬉しくて跳ねるような声が出た。
満面の笑みで笑ったマリーヌを、ベルトランが抱きしめる。
「!」
「これで、君は本当に僕のものだ!」
無邪気にはしゃぐ子供のような態度が愛らしい。
そっと背中に手をまわすと、さらにぎゅうと力を入れられる。
それが、嬉しくて。幸せで。
マリーヌは幸福を噛みしめて、微笑んだ。
読んでいただき、ありがとうございます!
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