希と桜井君
幽霊である私たちが触れることで生身の人間に悪い影響を与えるかもしれない、
そう朋美さんに言われてから私は希と距離を置いていた。
申し訳なさと切なさが胸を突き破りそうだったから。
でも、それが間違いだったと知って私は心から安堵した。
そして、思う存分希にまとわりつくようになった。
朋美さんの彼氏の昭雄さんは目を覚まして順調に回復していったのだから、
むしろ良い影響があるかもしれない。
そうじゃなくても悪いことはないだろう。
だから私は、生身だったら気持ち悪がられるくらいに希にじゃれついている。
でも、最近少し居心地が悪い日々が続いている。
希が片想いしている桜井君との関係が近づいているのだ。
最近、希と桜井君が2人でいる時間が増えている。
2人はとても良い雰囲気だ。
私は応援したい気持ちと妬ましい気持ちを抱きながら、少し離れたところから2人を見ている。
この間までは私のことばかり考えてくれてたのに。
……コラコラ希の幸せを願うんじゃなかったのか?
それに、私からすればとても興味深いことでもある。
妹の恋愛模様がどのように進んでいくのか、
私は特等席で眺めることができるのだ。
とは言っても、やっぱりすぐ近くにいるのは気まずい。
2人の話を聞いていいのか、どうせ幽霊だしと思いながらも、
それは姉として人として幽霊としてやっちゃいけないことのようにも思える。
そうして遠慮している間も、2人はどんどん関係を深めているようだ。
あーめっっっちゃ気になる。
恋を知らずに死んでしまった私は、やっぱり決定的なシーンは近くで見ていたい!
うん、妹が変な男に引っかからないように見守ることは必要なことだ。
そう大義名分を見つけた私は、恐る恐る2人に近づいてみる。
……そこには、私が見たことのない表情を浮かべている希。
うわあ、恋をすると人はこんな顔をするようになるのか。
家に帰ったら普通の顔に戻るのかな?
だってこの表情を見たら、誰だって恋をしていることに気が付くよ。
この私でさえ。
でも、やっぱり希が幸せそうな顔をしていると私も嬉しい。
私のことで泣いている時にはなかった、とても温かい気持ちが胸の中に貯まってくる。
朋美さんが言っていたのは、これのもっと大きい奴なのかな。
これはとても心地良いけれど、まだ成仏には程遠く感じられた。
同じ吹奏楽部員の希と桜井君は、部活が終わると2人きりで帰るようになった。
他の人に冷やかされないよう、学校から少し離れたところで待ち合わせをして。
桜井君を見つけた時の希の笑顔ったら。
見ているこっちが恥ずかしくなるほど、まさにこぼれるような笑顔だ。
あの顔を見れば希の気持ちなんてバレバレだろうに、
同じ笑顔を浮かべている桜井君は少し照れ臭そうにややぎこちない会話を交わしている。
これは完全に恋する2人ですなあ、などと思ってにやにやしていると、
突然桜井君が足を止めた。
そして、振り返った希の瞳をじっと見つめる。
桜井君は赤い顔をしている。
その後、桜井君は希に向かって「つ、つ、付き合って下さい」という言葉を口にした。
……うわあ、これは。
とてもとてもとてもとても大事な場面に巡り合ってしまったのではないだろうか。
これはさすがに生きていたらお目にかかれるものではない。
私と希は部活が違うから別々に帰ることも多かったし、好きな人と一緒なら絶対に時間をずらすだろう。
でも、幽霊だからこんな場面を見ることもできる。
それにしてもいきなり刺激が強過ぎる。
私も希も顔を真っ赤にしてしまった(私は血が通っているかどうかわからないから実際に赤くはなっていないと思うが)。
私はムネノコドウ(そんなものはない)が早まるのを感じながら希の顔を見る。
希は真っ赤な顔の中央下辺りにある可愛らしい口を震わせながら「はい」という返事をした。
うおおおおおおおおおおおおっかわいいぞ希!
小さい声で「ありがとう」などと言っている桜井君をよそに、
私は希に抱きついた。
それは桜井君がするべきことかもしれないが、まだこの二人には早過ぎる。
それからぎくしゃくと手を繋ぎながら帰る希と桜井君を、
私は微笑ましい気持ちで眺めていた。
ああ、今日はとても幸せな気持ちだ!
でも、明日から2人はどうなるんだろう。
見ちゃいけないことをし始めたりしたらどうしよう。
希がいけない子になってしまう……でももう高校生だし普通なのかな?
の、希はもうキスなんかしたことが……?
え、でもそんなことがあったら、姉の私に言ってくれるよね?
もし自分だったら、希に言う?
ええ、そんなの恥ずかしいよ。じゃあ希も言ってくれないか。
え、え、え、私の知らないところで希は大人になっちゃってる?
そんなことになってたらどどどどどどどどどうしよう。
その日の夜、私は希の顔を見るのが恥ずかしいのでお父さんとお母さんのいる部屋で悶々としながら過ごした。
あなた達の娘がいけないことをしようとしているわよ、などと噂好きのおばちゃんのようなことを考えながら。
それでも気になって希の部屋を覗きに行くと……
希は私の写真が入った写真立てに真っすぐ向かい合っていた。
そして、少し恥ずかしそうに「お姉ちゃん、私、彼氏ができたよ」と報告してくれていた。
それから希は桜井君のことをいろいろ話してくれていたけれど、私の耳には入ってこなかった。
希は、私なんかにはもったいない妹だ。
こんながさつな姉に、律儀に報告してくれる希を愛おしく思った。
希が妹であることを、心から嬉しく思った。
その報告を、生身で聞いて、一緒に喜んであげられないことを、申し訳なく、思った。
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