第59話 剣の谷へ
山深き森を抜け、岩の裂け目を進むと、世界は一変した。
そこには、白い霧に包まれた静寂の谷――“剣士の谷”があった。
周囲を切り立つ山壁に囲まれ、自然の迷宮と呼ばれるこの地は、外界との行き来を拒む天然の要塞。かつて“隠者の里”とも呼ばれ、剣を極める者たちが集まり、修行を重ねたという伝説が残っている。
蒼真と凛花は、クロエの遺した封筒に記された地図と紹介状を頼りに、谷へと足を踏み入れていた。
「……ここが、“剣士の谷”か」
蒼真は霧の向こうに広がる集落を見つめた。
木造の家々が段々に連なり、どこか時代の流れから取り残されたような静謐が漂っていた。風の音もなく、霧の中で人影すらぼんやりしている。
凛花はというと、霧に手を伸ばしていた。
「ふわふわ……。なんだか、お布団みたい……」
「でも気をつけて。ここはただの霧じゃない。さっきから、同じところを何度も通ってるような……」
そう、剣士の谷を守る霧には“結界”のような力があるらしく、内部の構造を外部から簡単には認識できない仕組みになっていた。地図がなければ、すぐに迷っていたことだろう。
二人が足を踏み入れて間もなく、突然――霧の中から音もなく一人の剣士が現れた。
銀の髪に黒い装束。背には巨大な剣を背負い、瞳は鋭く光を宿している。
「止まれ、よそ者。ここは部外者の立ち入りを禁ずる地」
凛とした声。その人物は、明らかにただの住人ではなかった。
蒼真が一歩前に出て、クロエの遺した紹介状を差し出す。
「僕たちはクロエ・ルヴァンの紹介でここに来ました。この手紙を見てほしい」
剣士は目を細め、慎重に封筒を受け取る。開き、中の文を確認すると――わずかに目を見開いた。
「……クロエの名を口にするとは。あの女が……紹介を?」
わずかに表情が揺れたその男は、手紙を懐に戻すと、態度を変えた。
「いいだろう。案内する。剣士の谷へ。――俺の名はヴァイス。谷の外れに住む者だ」
蒼真と凛花は顔を見合わせた。クロエが遺した唯一の道しるべは、この男へと繋がっていたのだ。
谷の中に入ると、霧は徐々に薄れ、幻想的な光景が広がった。
滝が流れ、清らかな水音が静けさを引き立てている。
石畳の小道を進みながら、凛花は小さな声で呟いた。
「なんだか……安心する場所だね、ここ」
「うん。でも、油断はしないようにしよう。ここにいる人たちは、剣の使い手ばかりだと思うから」
やがて、ヴァイスはふたりを自分の住処へと案内した。
それは小高い丘の上に建てられた、石造りの古い屋敷だった。
中には木製の床と、簡素だが手入れの行き届いた調度品が整っていた。
「お前たちの話は、あとでゆっくり聞かせてもらおう。今日は霧が濃い。休んでいけ」
その声には、ほんの僅かな優しさが滲んでいた。
そしてその夜。
ふたりが眠りについた頃、ヴァイスは独り、屋敷の裏手の剣の間で古びた剣を見つめていた。
「クロエ……あの子たちに、あの“記憶の剣”を託したのか……」
彼の言葉は、やがて霧の中へと消えていった。
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『星の守り人 〜妹と歩む異世界の旅〜』は別の小説投稿サイトにて初めて投稿したものです。
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