7.学園での一場面
サリエラは、学園ではあまりライオットと一緒にはいない。ふたりの婚約は周知の事実である為、周りが気を使ってしまうのだ。
先のヘレネー侯爵夫人の茶会で話題になったように、学園は小さな社交場。
学生という爵位の垣根が低いうちに人脈を広げておくことが重要であり、学園内で婚約者同士で過ごしてもなんの意味もない。
そんなものは卒業してから、もっというなら結婚してからでもできることであり、今は積極的に他者とかかわるべきだ。
もちろん婚約者とふたりきりで過ごす者もいる。
それが間違っているとは思わないが、少なくとも、次期ユシベル侯爵夫人に抜擢された自分に望まれている姿ではないとサリエラはわかっていた。
サリエラは、ルシアが入学しても必要以上にライオットと共に過ごすつもりはなかったが、彼の言動を見る限り、彼はルシアのそばにいるつもりなのだろう。
そしてその予想通り、ライオットはルシアの入学後、彼女とべったり過ごしている。
しかし予想外だったのは、
「サリエラ、ルシアが食堂で待ってる。早く行こう」
それにサリエラも巻き込まれたことであった。
そう、ルシアの入学以来、ライオットはルシアとのランチを強行しており、それにサリエラも同席させるのだ。
もちろんサリエラは彼の誘いを断った。
「学園でルシアとわたくしが一緒にいても、なんの利もございませんわ」
「慣れない学園で戸惑う妹を助けることは年長者として当然だろう」
ルシアが頻繁に集まりに出てきたのは学園に通う前に友人を得るためだった。
慣れない生活というのは間違っていないが、彼女は決して戸惑ってはいない。
今までに知り合った多くの友人に囲まれた学園生活が、ルシアには約束されているし、それを応援するならむしろ姉の存在は邪魔にしかならない。
しかしライオットは義妹のサポートという口実を持ち出して、ルシアに最も近い位置に立つ男性でいたいのだろう。
そして社交界からのあらぬ疑いをかけられないようにする為には、彼女の実姉であり自身の婚約者であるサリエラの同席が必須なのだ。
婚約者がふたりの交流を好意的な目で見守ることで初めて、義兄が義妹を気にかけているだけだ、という構図が成り立つ。
ライオットは有能だ、きっとそこまでを視野に入れてサリエラに同席を迫っている。
だが、夫となる予定の男が目の前で他の女、それも実の妹に愛を囁く姿を好意的な目で見守れる女性などいない。
「申し訳ございませんが、わたくしは同席できません。失礼します」
サリエラはそう言って一方的に会話を終わらせ、呼び止めるライオットを無視して立ち去ったのだった。
これで話がついたと思ったサリエラが甘かった。ライオットのルシアへの情熱はもはや執念と表現していいかもしれない。
「サリエラ、ルシアが食堂で待ってる。早く行こう」
午前の講義を終えたサリエラのもとにライオットは突撃し、周囲に聞こえるような声量でルシアとランチを共にすることを公言したのだ。
この場でライオットと揉めることは外聞がよくない。
そして彼はサリエラがそう判断すると分かっていてやっている。
ライオットの美しい顔をひっかいてやりたい気分になりながらも、サリエラはそれをおくびにも出さず、
「かしこまりました」
と応じたのであった。
「ライオット様、こちらですわ」
食堂に入ってすぐ、ルシアに声をかけられた。どうやらルシアへの根回しは済んでいたようだ。
さすがは優秀な次期侯爵というべきか、愛の成せる業というべきか。
「遅くなってすまない、講義が長引いてね」
ライオットの言い訳にルシアは微笑んだ。
「卒業試験に向けて大変ですね」
ふたりが会話をしている間、サリエラは黙って食事を進める。
これだけでも苦痛な時間なのに、やがてルシアのテーブルに彼女の友人たちがやってきてしまう。
「ごきげんよう、ユシベル侯爵令息様、カガル子爵令嬢様」
彼女らは礼儀正しく上級生のふたりに挨拶をし、それからルシアに時間だと告げる。
「楽しい時間はあっという間ね」
ルシアはそう言って、お先に失礼します、と席を立った。
新入生の教室は食堂から離れているため、午前の講義は少し早く終わるのだが、午後の始まりは他の学年と変わらず、そのためランチは早めに切り上げなければならない。
それは十二分に理解しているが、それでも彼女が去ったあとのこの居心地の悪さをわかってほしい。
テーブルは共にしていても会話をしていたのはライオットとルシアだ、彼女がいなくなった後には沈黙だけが残される。
周囲の学生たちは見ていないようで実はしっかりと観察している。
沈黙のテーブルを目撃した彼らはライオットとサリエラの不仲を噂し、直接、それをサリエラに問いただしてくる者も出始めていた。
「ユシベル侯爵令息様はルシア様と婚約を結び直されるご予定なのですか?」
学園は小さな社交場、誰もが最新の動向を把握したいと考えている。
広大な領地を有するユシベルと提携事業を持つ貴族は多い。その次期夫人がサリエラからルシアに変わることを歓迎しない当主は多いだろう。
ルシアは決して愚鈍ではないが、ユシベルという土地を治めるにはいかんせん時間が足りない。
ライオットの爵位継承は学園の卒業と同時と定められており、今からルシアに詰め込めるだけの知識を詰め込んだとしても、侯爵夫人としての教育はとても間に合わないだろう。
そのルシアを夫人に据えるライオットでは事業に不安がある。
だから彼らはサリエラに事の真偽を問うているのだ。
そのたびにサリエラは令嬢らしい微笑みを浮かべ、
「それはお父様と侯爵様のお決めになることですので」
と言ってきた。
中にはサリエラを、実の妹に婚約者を奪われた令嬢だと決めつけて、
「次期侯爵夫人ともあろう方が情けないことね」
と意地悪く揶揄う者もいた。
それは大抵、サリエラより爵位が高く、自らがライオットの婚約者になりたかった令嬢たちで、彼女らの敵意に満ちた視線にサリエラは気づかぬふりをして過ごすしかできなかったのである。
ルシアとの会話を優先させていたライオットはいまだ、食事が終わっておらず、すでに食事を終えたサリエラは彼が食べ終わるのを待つしかない。
食事中の高位貴族を残して席を立つなど、マナー違反どころかともすれば不敬を問われる可能性もあるほどの無作法だからだ。
間を持たせる為、サリエラは今までは食べていなかったデザートに手を出すようになった。
おかげで最近は少し太ってきた気がする。
もっともライオットとルシアが親密になって以降、サリエラは食欲がなくなっていたから、これくらいがちょうどいいのかもしれない。
一口大に切ったフルーツタルトを口に運ぶサリエラにライオットが声をかけた。
「ルシア嬢は普段、どんな風に過ごしているのかな?」
重苦しい空気の中、会話を始めるのは決まってライオットだ。
それも必ずルシアの話題を持ち込む。
もっとも黙って座っているよりはずっとマシで、サリエラは彼の質問に答えた。
「最近は知りませんが、学園に入るまではいろいろな集まりに参加していたようです」
「どんな集まり?」
「そこまでは、わたくしは存じませんが」
サリエラの回答が気に入らなかったのか、彼は顎に手をあてて考える仕草をしている。
事細かに把握しておきたいとは、彼のルシアへの執着は相当なものだ。もはや周囲の言うように婚約者を入れ替えたほうがいいのではないだろうか。
普通、貴族の婚姻による結びつきは、家同士の結びつきと直結している。
業務提携であったり、資金提供であったり、そういったものを血縁関係になることによって解決するのだ。
だから、その家の直系同士であれば誰が誰と結婚しても、少なくとも家という単位からみたら問題はない。
しかし、サリエラとライオットの婚約はそうではない。
ユシベル家がサリエラという能力を欲した結果の婚約であるため、サリエラとルシアが入れ替わってしまっては意味がないのだ。
それはライオットも充分にわかっているはず。
となると、彼にできることはルシアを自身の愛人として囲う程度。
確かに愛人を持つ高位貴族は男女問わず一定数いるが、姉妹同時に手を出すなどという悪趣味なことをすれば、社交界から爪弾きにされることは目に見えている。
つまり、彼は未来永劫、ルシアと義兄妹として接するしかないのだ。
ルシアがサリエラの妹でなければ、彼はルシアを愛人にできただろう。
それがルシアの真の幸せに繋がるのかはともかく、少なくともライオットは幸せになれた。
ルシアとライオットが対面したあの日までは、サリエラとライオットはそれなりにうまくいっていたと思う。
政略結婚だとしても、互いを支えあえる良い夫婦であり、良い領主夫妻になれたかもしれないと思うのだ。
間もなく午後の講義が始まる時間だ。
サリエラは座学、ライオットは剣術を受講する。
サリエラは立ち上がりながら、ライオットに言った。
「ルシアの出席していた集まりのことでしたら、我が家の家令が知っていると思います」
彼に聞いてみてください、とサリエラは言い残し、講義室へと向かった。
一日の講義を終え、帰宅したサリエラを家令が出迎えた。
「おかえりなさいませ」
基本的に家令は当主に付く。だから彼がサリエラを出迎えることは珍しく、ということはなにか用があるのだろう。
案の定、家令は、
「ご相談したいことがございまして」
と切り出した。
「ライオット様ね?」
サリエラの言葉に家令は驚いている。
「では、ライオット様の従者がおっしゃることは本当だったのですね」
「彼はなんと?」
「サリエラ様の許可は得てあるから、ルシア様について知っていることはなんでも教えてほしい、と」
なんでもとは言ってないが、彼はルシアのことならなんでも知りたいのだろう。
「ユシベル侯爵令息様のご希望です、そのお心に従いましょう」
それを聞いた家令は困っているような、怒っているような、あるいは呆れているのか、なんとも言えない顔をしている。
「サリエラ様はそれでよろしいのですか?」
彼の絞り出した言葉はサリエラの凪いだ心にさざ波を立てた。
それを落ち着かせるように小さく細く息を吐き、それから言った。
「これでいいのよ」
家令には、サリエラが自身に言い聞かせているかのように聞こえ、ただ黙ることしかできなかった。
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