26.ルシアとの面会
ユシベル侯爵はルシアを取り調べで使用した建物にそのまま置くことに決めた。
ユシベルとしてはルシアの使った呪術に対抗する術を研究しなければならなかったし、そもそも呪術を行使できる彼女を野に放つわけにもいかなかった。
彼女の世話係には、ライオットの従者のような呪術の影響を受けにくい者を配置した。
呪術というものが一般的ではない為、あまり知られていないことなのだが、呪術を受けにくい体質の者は一定数存在する。
それは血縁といったものは関係がなく、例えば、生まれつき左利きの者がいるという程度のものだ。
ライオットを救った元執事がそうであるように、ユシベル家ではそういった体質を見抜ける者を代々、教育している。
従者を選んだのは元執事だ、彼は呪術を受けにくい体質の者をライオットの従者に据えたのだ。
ルシアの身の回りの世話はそういった者たちの中でも、特に忍耐強い者たちに任せた。
というのも、今のルシアはすっかりおかしくなってしまい、自身が繰り返してきた人生を語っているのだ。
「王太子妃に選ばれたときはチャンスだと思ったのよ、これでライオット様のことを諦められるって。
だってそうでしょう?この国の誰よりも高い地位を持つ男性の傍にいられるのよ?これ以上の幸福なんてないわ。
でも現実は違ったわ、殿下は親切だったけど愛しては下さらなかった。一年経っても子に恵まれなくて、男爵令嬢の側妃を迎えることになったの。
その方が殿下の想い人だったのね、殿下はいつもその方を傍に置いていて、わたしはただのお飾りの妃になったわ。
そのお飾りのわたしにライオット様は当然のようにサリエラを伴って挨拶に来るのよ、妃殿下、ご機嫌うるわしゅう、ですって。
笑っちゃうわ、機嫌なんて良いわけがないのに。
だって、愛するライオットは永遠にサリエラの夫なんだもの!」
ルシアはそう言って持っていたカップを床に叩きつけるのだ。
給仕のメイドは慣れたように床に転がったカップを拾い上げ、またテーブルの上に戻した。
それは割れることのない粗末な木製のカップで、中にお茶は入っていない。
ルシアは度々激高し、物に当たり散らすため、いつの間にか彼女が使うカップは壊れにくい木製となり、茶も注がれなくなった。
中身の入ってないカップに口をつけているのに彼女には味がするらしい。
「このお茶、とっても美味しいわ」
さっきまで激高していたルシアは今度はまるで高貴な身分の婦人さながらの美しい笑みを浮かべていて礼を言う。
「お褒めに頂き、光栄です」
メイドはまた、慣れたように謝意を示し、それにルシアは微笑みを絶やさずに告げた。
「王太子妃のメイドに抜擢されるだけあって筋がいいわ、これからも精進なさいな」
その様子をのぞき窓から見ていたサリエラは思わず出そうになったため息を慌てて飲み込んだ。
こんなところにのぞき窓があると王太子妃になりきっているルシアが知れば先ほどのようにまた激高するだろう。
隣を見ればライオットも隣室の様子に困ったような顔をしており、サリエラの視線に気づいた彼は、外へ出るように目で合図を送った。
この日、サリエラはカガル邸を出てから初めてルシアに面会することができた。
面会といっても、部屋に設けられたのぞき穴から彼女の様子を見ることしか許されなかったのだが、それでもルシアの生存を確認できただけでもよかったと思う。
ライオットは約束通り、サリエラがカガル邸に行けるよう頻繁に時間を作ってくれた。
そして今日のルシアとの面会も、彼女を案じている両親に変わってサリエラが来たのだった。
ふたりはルシアのまじないの影響を強く受けている。
今でこそ正気に戻ったカガル夫妻だが、ルシアと対面した途端、また術にからめとられてしまうかもしれない。
「ルシア嬢からまじないの影響が消えるまでは、いや、消えてからも会わないことをお勧めする」
侯爵からそう言われている以上、夫妻からルシアに会いに行くことはできなかった。
それでも子を想うのが親というもの。
「よく来たわね」
「待っていたよ」
サリエラとライオットの訪問にふたりは笑顔で出迎えてくれるものの、その顔に翳りがあることはサリエラはもちろん、ライオットも気づいていた。
カガル邸からの帰り道の馬車の中で、サリエラは思い切ってライオットに願い出た。
「ライオット様、ルシアに会わせては頂けないでしょうか」
サリエラがいつかそう言い出すであろうことはライオットにもわかっており、彼は驚きもなくそれを受け入れた。
「そうだね。今、父上や護衛たちと調整をしているから、もう少し待ってくれるか?」
あまりにもあっさりと許諾されたことにサリエラのほうが驚きを隠せない。
「反対をされないのですか?」
彼女のつぶやくような物言いにライオットは微笑んだ。
「見ていればわかる。カガル夫妻も君も、ルシアのことが心配なんだろう?」
サリエラは少しうつむき、自虐的な笑みを浮かべて言った。
「愚かだとお思いでしょう?あの子から酷い仕打ちを受けたのに、わたしはまだ見捨てることができない」
「いいや、わかるよ。出会った頃から君たちは本当に仲のいい姉妹だった」
ライオットはサリエラの隣の席に移動し、彼女の冷たくなっている手をそっと握った。
「あの庭園を覚えてる?妹の癇癪に君は呆れていたくせに、決して見捨てようとはしなかった。
その華奢な体で妹をおぶっていくなんて言い出して。君だけ会場に戻ってメイドに任せたって良かったんだよ。
妹を大切にしている優しい子なんだと思った」
「覚えていらっしゃったのですか?」
思わずサリエラがライオットを見ると彼は微笑んで言った。
「覚えている、忘れたりしない。君との思い出は全て」
まっすぐに見つめられてそう言われ、サリエラはそっと視線をはずし、話題を変えた。
「ルシアはもうずっとあの調子なのでしょうか?」
サリエラの問いにライオットは暗い顔になった。
「この建物に入った者は解呪されるはずなんだが、彼女はうまくいかなかったようだ」
今、ルシアが住んでいる建物は外からの呪術を受け付けないばかりでなく、呪術を受けた者を正常に戻す効果もあるという。
それなのにルシアは相変わらず、繰り返してきた人生を語り、時にはその人生を生きているような態度を取る。
先ほどのルシアは王太子妃になっているのだろう、確かに木製のカップを持つ所作は格別に美しいものであった。
「サリエラ、残念だが彼女を外に出すことはできない」
ライオットの申し訳なさそうな決断に、サリエラは即座に頭を下げた。
「とんでもございません。本来ならルシアは処刑されてもおかしくないほどの罪を犯したのです。
こうしてこちらで生かしていただけるだけで、カガルは感謝しております」
ルシアはユシベル侯爵令息であるライオットを篭絡しようとしたのだ。そのうえ、今は王太子妃に望まれているなどという妄言まで吐いている。
これが王家に知られたら不敬罪を問われてカガル家ごと、取り潰される程の罪だ。
そんな罪深い妹を匿ってくれているユシベルに文句などあろうはずもない。
「ルシアはあの子の思い描く世界で生きていくほうが幸せなのだと思います。ユシベル侯爵家のお手を煩わせて申し訳なく思いますが、できることならどうか、あの子をこのまま、ここにおいてやってください」
「それこそ気にしなくていい。侯爵夫人となる君の妹をユシベルで保護することはなにもおかしなことじゃない」
ライオットの言葉にサリエラは返事をできないでいた。
サリエラは今、ユシベル邸に住んでいて既に実務を担っている。
学園は今、休暇期間だがそれが明けたらすぐに卒業試験が始まる。
試験にパスすれば事実上の卒業となり、婚約をしている者の多くは相手を伴って領地に入り、生活を始める者も少なくない。
そういう場合は王都で内々の式を挙げ、正式な夫婦となって旅立っていく。
次に会うのは三か月後の卒業式。その後に始まる社交シーズンの前に大々的な結婚披露パーティーを行い、当主夫妻から新婚夫婦を社交界にお披露目する、というのが一般的な流れだ。
そしてそのとき、なんらかの成果を発表できればさらに華々しい門出となる。
三か月間という短い期間で何かを成し遂げるというのは大変なことだ。
その為、この三か月はある意味、夫婦最初の共同作業となり、それを共に乗り越えることで絆も深まるのだ。
この慣例に則るのであれば、遠くない日、サリエラはライオットの妻にならなければならない。
サリエラはずっと、彼との婚姻、その後の生活を疑問に思ったことは一度もなかった。
しかしルシアの事件が起き、彼の心変わりを目の当たりにし、彼を全面的に信頼することができなくなってしまった。
事務的に彼と接することはできても、それ以上、踏み込むことにも、踏み込まれることにも、臆病になった。
そんなサリエラとは対照的にライオットは気持ちを素直に表すようになったと思う。
なにかにつけてはサリエラのそばにいたがり、話しかけては笑顔を見せる彼。
カガル邸での月に一度の茶会も互いに黙っているだけで、会話らしい会話などなかったように思う。
それでもサリエラは彼との未来を疑うことはしなかったのに。
ライオットは立ち上がり、考え込んでいるサリエラに手を差し出した。
「暗くなる前にここを出よう」
サリエラは顔を上げ、彼を少しだけ見つめてから、はい、と小さく返事をし、自身の手を彼の手に重ねた。
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