22.夢の終わり(ルシア目線)
数日後、ユシベル夫人が医師を伴ってカガル邸を訪問した。
「ルシアさん、体調はどうかしら?」
夫人は、カガル夫人と並んで彼女を出迎えたルシアを気遣うような言葉を吐いているが油断はできない、医師の再診を提案したのは他ならぬこの人物なのだ。
ちなみにサリエラはもうこの屋敷にはいない、彼女はすでにユシベル邸に送られている。
ユシベル侯爵夫人は優秀な女性が務めなければならない、今世のルシアは勉学に励んでいる姿を誰にも見せていないから凡庸な令嬢という評価が下されているのだろう。
ユシベルには膨大な執務をこなす女性が必要であり、それはサリエラが担うことが決まった。
「ライオット様にはルシアを娶っていただく、だが、あちらだけに責を負わせるわけにはいかない。誠意を見せる必要がある」
「カガルの誠意がサリエラというわけですね」
カガル子爵の説明にルシアは納得した。
ルシアの思惑通り、自分がユシベル侯爵夫人となり、サリエラはそのサポート役として働くのだ。
身内がサポートにつくことは貴族ではよくある話だ。
ライオットがサリエラと婚約しているのは周知している、それをルシアに挿げ替えた時点で悪しざまに言われることは百も承知だ。
『不出来な妹に代わって優秀な姉が執務を行うのだろう』
そんな風に揶揄されるのは腹立たしいが、ルシアが本気を出せばサリエラなど不要だとすぐに証明されるだろう。
ルシアは王太子妃になったこともあるのだ、サリエラ程度と比べてもらっては困る。
「でもお姉様は抵抗しないでしょうか、ライオット様と婚約していたのは彼女ですもの」
わざと不安を口にしてみればそこはカガル子爵が請け負うという。
「心配しなくていい、サリエラはわたしが責任をもってユシベルに送ろう。
お前は部屋にいなさい、体に障ってはいけないからね」
その言葉通り、子爵は使用人たちに命じて反論するサリエラを強引に馬車に押し込めると、屋敷から追い出してしまった。
怖いくらいにルシアの思うとおりにことが運んでいる。
今、目の前にいる侯爵夫人がルシアの最後の障害となるだろう。
ルシアは内心で気を引き締めると、彼女に対応した。
「ありがとうございます。ですが、つい先ほど少しお腹が痛くなって」
「それは心配ね、すぐに先生に診ていただきましょう。お腹の子になにかあってはいけませんもの」
ルシアの後ろで心配そうな顔をしていたカガル子爵夫人が自ら医師を案内し、診察の為に用意した部屋に入っていった。
そのあとをルシアはわざとゆっくりとした動作でついていき、それにユシベル侯爵夫人が付き添った。
ベッドにルシアが横たわり、ふたりの夫人は離れた位置からそれを見守った。
医師は手際よく診察を終えると、診断書を書くと言って部屋を出て行った。
ルシアはわざとつらそうにしてベッドから出るふりをしたが、狙い通りカガル夫人が駆け寄ってきて、無理をしないようにと言いつけた。
そして彼女はユシベル夫人に向かって、
「申し訳ございません、ルシアは疲れております。侯爵家にご無礼とは存じますが、このままベッドでの対面をお願いできないでしょうか」
と言い、夫人もそれに同意した。
「そうね、間もなく診断書が出来上がるでしょうから、ルシアさんにはベッドの上で聞いてもらいましょう」
「申し訳ございません」
ルシアの謝罪にユシベル夫人は小さく頷いただけでなにも言わなかった。
やがて静かな部屋にノックの音が響き、書類を手にした医師がやってきた。
「奥様、こちらが診断書になります」
医師は迷うことなく診断書をユシベル夫人に手渡した。
患者本人であるルシアより先にユシベル夫人がそれを改めるなどおかしな話ではあるが、医師を手配したのはユシベル家であり、彼女らがルシアの妊娠を疑っている以上、仕方のないことだ。
「ありがとうございました」
夫人は診断書を受け取るとさっと中を確認し、それからルシアに笑顔を向けた。
「ルシアさん、よかったですね、妊娠はしていませんよ」
それに真っ先にかみついたのはカガル夫人だった。
「なんてこと!赤ちゃんはダメになってしまったというのですか?
そんな、あぁ、ルシア。なんてかわいそうな子」
ルシアを抱き寄せてさめざめと涙を流す夫人の胸でルシアも泣いた。
「あぁ、神様。赤ちゃんを返して」
涙を流して悲しむ母娘にユシベル夫人は笑顔を絶やさずことなく言った。
「勘違いなさっておいでのようですが、ルシアさんは清いままですよ。そんな彼女が妊娠などするはずがありません」
それを聞いたカガル夫人はぱっと顔を上げた。
「清いですって?」
「えぇ、先生の診断書にはそう書いてありますわ」
「そんなはずは?」
納得のいかない顔をしているカガル夫人に診断書を見せる。
そこには確かに未通の文字が書かれており、ルシアが清い体であることが証明されていた。
「ルシア、これはどういうこと?」
困惑するカガル夫人にルシアは言った。
「そんなはずはないわ、わたし、確かにライオット様と閨を共にしました。ライオット様だってあの夜のことは覚えているはずです」
「ええ、覚えていましたとも。目が覚めた時、一糸まとわぬ姿のあなたと同じベッドにいた、ということはね」
「だったら純潔を奪ったのはライオット様だわ」
勝ち誇った顔で言い放ったルシアに、カガル夫人はわなわなと唇を震わせ始めた。
娘が純潔であったことは喜ばしいことだ、まだ彼女の嫁ぎ先をあきらめることはないのだから。
だが、ルシアが主張したライオットとの関係もなかったことが証明されてしまった。
となると、ルシアは侯爵家に虚偽の申告をしたことになる。
侯爵家をたばかるなど重罪だ。
平民なら有無を言わさず死刑、貴族だとしても重い罪からは逃れられない。
夫人は、ユシベル家がルシアに厳しい処分を求めるという恐ろしい未来を恐れたのだった。
彼女はルシアを放り出すとベッドから滑り降り、ユシベル夫人に気まずそうな笑顔を浮かべて言った。
「どうやら我が家の医師が誤診をしたようですわ、申し訳ございません。
ですが、誓って、ルシアがユシベル家を陥れようとしたということではございませんので」
医師の誤診ということで話を収めたいカガル夫人であったが、それを鵜呑みにしてくれるなら侯爵家の夫人など務まらない。
「判断するのはわたくしの夫であるユシベル侯爵です、沙汰は追って知らせます。では」
ユシベル侯爵夫人は、颯爽と、という表現がぴったりの仕草でドレスの裾を翻すと悠々と客間を出て行った。
「お待ちください」
カガル夫人は分かりやすく顔色を青ざめさせ、慌てて侯爵夫人のあとを追い、彼女に付き従うメイドたちも同じく部屋を出て行った。
静寂の中にひとり残されたルシアにはわけがわからなかった。
実はルシアに命じられて門番が用意したのは、女性が自身を慰めるために使うただの張り子だったのだ。
そんなもので破瓜などするはずもないのだが、どれほど人生を重ねていても結局は上品な貴族令嬢でしかなかったルシアにそれがわかるはずもない。
医師が未通だと診断してしまった以上、ライオットに責任を取らせることはもうできない。
それどころか、カガル夫人が心配しているように、ルシアがユシベル侯爵家をだまそうとした事実だけが論点になるだろう。
侯爵家というのは貴族の中でも大きな力を持っている。その当主に害ありと判断されたら、処刑されることもあるのだ。
その予感を裏付けるかのように、その日の夜にはユシベル家が所有する騎士団がカガル邸へと押しかけてきた。
「ルシア様の身柄をお引渡しください」
言い方は丁寧だったが、有無を言わせないものであった。
「わたしはユシベル侯爵家に害を及ぼすつもりなどございません、ただライオット様と結ばれたかっただけで」
「それは我が主が判断しましょう。さぁ、こちらへ」
「ルシアをどうするつもりですか!」
カガル子爵が間に入ろうとするも騎士たちに阻まれて近づくこともできない。
「事情をお聞きするだけです、ご希望でしたら子爵様も夫人もご同行いただいてかまいませんが、いかがなさいますか?」
騎士の言葉に子爵も夫人も二つ返事で承諾し、三人は馬車に乗り込んだのだった。
ルシアがやり直しをしているのは本当です、でもやり直しを知らない側は得体の知れない術(ライオットたちはまじないと呼んでいる)によるものだと考えています。
次回はライオットから見たお話になります(目線がころころと変わってすみません)。
お読みいただきありがとうございます




