16.王宮での夜会(ライオット目線)
華やかすぎる王宮が、ライオットはあまり好きではなかった。
それに侯爵令息程度の自分がここでの集まりに召集されるときは、たいていほとんどの貴族たちも参加する大規模な集まりとなる。
公式の場に婚約者を伴うことは常識で、それはつまり、自身の隣でひっそりとたたずんでいるこの美しい白百合を他者の目に触れさせることにつながってしまう。
今夜のサリエラは特別に美しく着飾っている。
ルシアが中心になり始めたカガル邸では、サリエラの世話をしたがる使用人がいなかったのだろう。
密かにユシベルが送り込んだ使用人たちは主のためにとサリエラを磨き上げ、今日の夜会へと送り出した。
子爵家でサリエラの出迎えを受けたライオットは彼らの思惑通り、彼女の美しさに見とれて挨拶の言葉も出ないほどだった。
「ライオット様?」
阿呆面をさらして何も言わないライオットは、ルシアだけでなくサリエラにまで怪訝な顔をされてしまった。
ライオットの送ったドレスはサリエラにぴったりだった。
明け透けだった肩口も、今はオーガンジーの下で密やかに息づいている。
それが逆に艶めいた雰囲気を醸し出し、今日のサリエラは清楚なだけの百合ではなくなってしまったのは完全に誤算だったが。
「どうかなさいまして?」
うっとりとサリエラを見つめていたライオットに、サリエラは首をかしげて疑問を口にしているが、その仕草すらもひどく愛らしく見える。
控えめな艶と愛らしさの両方を持ち合わせたサリエラにチラチラと視線を送っていた令息たちは、彼女が首を傾げた姿をみて、頬に朱を走らせている。
それを不快に思ったライオットはすこし眉をひそめて、なんでもないと首を振った。
だが、その言葉をサリエラはどう思ったのか、化粧直しをしてくるといい、休憩室へ行ってしまった。
念のためにと送っていったが、女性専用の部屋の前に男性が立っていては、あとからきた令嬢やご婦人が入りにくくなる。
仕方なくひとりで会場に戻ったのだが、そこでルシアに捕まってしまった。
「ライオット様、探しましたのよ」
さすがに、公的な場で姉の婚約者を愛称で呼ぶ非常識さは持ち合わせていなかったらしい。
それに安堵しつつ、ライオットはルシアに挨拶をした。
「こんばんは、ルシア嬢」
ライオットはルシアの手を取ることもなく、ただ挨拶を口にするだけに留めた。
ルシアが解呪を怪しんだとしてもここは王宮。まじないを発動し、それが誤って王族に影響を及ぼしでもしたら彼女は重犯罪者に落ちる。
罪を犯した人間をユシベルに迎え入れるわけにはいかないことくらいは、ルシアにもわかるはずだ。
王宮にいるうちは力を使わないだろうと判断した結果、ライオットは正しく義兄と義妹という関係で接したのだった。
「ごきげんよう、ライオット様」
ルシアは不審がることもなく、ライオットの挨拶に応じ、その後もごく一般的な会話を続けた。
やがて舞踏曲が流れ始めたところで、ルシアはわざとらしく言った。
「お義兄様、ダンスのお相手をしていただけませんか?」
ルシアの願い事にライオットはしてやられたと思った。
今夜の集まりにはデビュー前の令嬢、令息も数多く参加している。
デビュー前の彼らがこのような公的な場でダンスを踊る機会など滅多になく、こういった集まりは彼らの練習の場になることが多い。
練習ならばパートナーは身内に限られ、各所への挨拶に忙しい当主に代わって務めるのは、兄、姉だ。
異性の兄弟がいない場合は、義理の兄、姉がパートナーを引き受けることが多く、ルシアは今、義兄のライオットにダンスの相手をしてほしいとねだっているのだ。
それ自体は全くおかしなことではないのだが、残念ながらライオットはあまりダンスを好まず、彼が躍ること自体が珍しい部類に入ってしまう。
というのも、サリエラに触れているとどうしても思考がよからぬほうへと飛んでしまい、彼女を個別の休憩室へ連れ込んでしまいたくなるのだ。
ふたりは婚約して長いのだから、既にそういう関係にあってもおかしくはないのだが、そこはライオットの謎の意地で、彼女の全てを暴くのは初夜の寝台の上だと心に決めている。
政略結婚のくせにこんな思考に走るあたり、ライオットは充分にサリエラを愛しているのだが、残念ながら彼はまだ、それに気づいていない。
ライオットの思考はともかく、サリエラという婚約者がいるのに他の女性の手を取るなど彼がするわけもなく、よってライオットは、婚約者とすら踊ろうとしない令息、ということになってしまっている。
そんな彼が、デビュー前でまだ顔が知られていないルシアと踊ったら周囲はどう思うだろうか。
それでなくても、サリエラが子爵令嬢だという理由から、侯爵令息とは釣り合わない、という声は多い。
そういう輩は、自分たちの意見を尊重したライオットが別の女性の手をとったのだ、と都合よく解釈し、声高にサリエラを貶める言葉を吐くに違いない。
それが見当違いであると理解しているライオットでさえ、聞いていて気分のいいものではないのだから、サリエラが耳にしたらきっと悲しむだろう。
侯爵令息のライオットが子爵家の次女であるルシアの申し出を断るのは簡単だ、しかし彼女が義妹だと判明した時点で断ったライオットが狭量な男にされてしまう。
サリエラの手しか取らない男だと思われるのは一向にかまわないが、サリエラがそうさせていると誤解されるのは困る。
仕方なくライオットはルシアをエスコートし、ホールに出た。
そこではすでに多くの男女がダンスを楽しんでいる。ライオットとしてはルシアとのダンスを楽しむ気はさらさらなかった為、いかにも不服ですという顔をしていた。
しかし、
「あっ、ごめんなさい!」
「いや」
ライオットは何度もルシアに足を踏まれた。
彼女はその都度、謝罪を口にしたが、それが焦りを呼ぶのかうまくリズムに乗れずまた足を踏まれる。
忌々しく思うべき場面なのだろうが、この拙い様子がかつてのサリエラを思い出させ、つい、頬が緩んでしまった。
今でこそ人並以上の魅せるダンスを踊れるサリエラであるが、ライオットの婚約者になった頃はお世辞にも上手とは言えなかった。
「練習をしてくださる方が見つからなかったので」
ユシベル本邸の練習室でライオットと踊ったサリエラは、己が不出来を恥じるように居心地悪そうに言い訳をした。
カガル子爵は領地を持っていない為、王都住まいだ。
近くに親類は住んでおらず、サリエラの練習相手を出来るような異性が王都にはいないのだろう。
婚約してからも凛として隙を見せようとしなかったサリエラが、気恥ずかしそうに頬を赤らめ、幼子のするように口を尖らせている。
鉄壁の婚約者が初めて見せてくれた飾らぬ顔に、少しは距離が近づいたかと安堵の笑みを浮かべたライオットだったが、彼女は、馬鹿にするなんて、と、ますます不機嫌になった。
「誰にでも得手不得手はありますわ」
「すまない、そういうつもりではなかったんだ」
サリエラになじられたライオットは彼女に平謝りしたのを覚えている。
平身低頭させられたとはいえ、恋人らしいやり取りにライオットは内心で喜んだのだった。
胸によみがえったサリエラとの思い出にライオットは微笑みを浮かべるも、それをルシアに咎められた。
「笑うなんて酷いです」
拗ねた顔もサリエラを思い出させる。
しかし彼女はサリエラではなくルシアだ、それもユシベルに攻撃を仕掛けてきた人物。
気を抜いて、また取り込まれてはならない。
視線の端にサリエラが映ったことでライオットはルシアとのダンスを終わらせることにした。
婚約者が戻ったのだからその妹の相手をする必要は、もうない。
「ルシア嬢に夜会でのダンスはまだ早かったようだ」
ライオットはそう言ってダンスを打ち切るとルシアを伴ってサリエラのところに戻り、今度こそ、婚約者との息の合ったダンスを楽しんだのであった。
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