その6
1
大学生の松下美桜は、ラテン語で雨を意味する、プルウィアという名の白猫と同居している。「飼っている」と言わないのはこのプルウィア、一見すると普通の白猫だが、その正体は、人の言葉を話す化け猫なのである。加えて、確かめようがないので真偽のほどは定かではないが、『前世は異世界の王国の王女であった』と自称している。いずれにせよ、口調は確かにそれっぽい。
最近になって、美桜の妹で学部こそ異なるものの美桜と同じ大学に通う松下乃々花が、どこへ行くのにも懐中時計を持つようになった。
美桜やプルウィアを含む一部の者しか知らないことだが、その懐中時計は乃々花によってカイトと名付けられた付喪神であり、プルウィア同様、人の言葉を話すことができる。
二人とも、霊感や霊力が人よりずば抜けているとかそういうわけではないが、美桜はプルウィアを介して幽霊や怪異、あやかしやもののけ、妖怪といったこの世ならざる者たちと意思の疎通ができるため、彼女のウチは必然的に、そういった者たちの相談所(という名の何でも屋)と化していた。
乃々花もカイトを介して姉と同様にできるが、彼女の場合は自宅で相談に乗るよりも、彼女の方からカイトとともに相談者の元に出向いて行って相談に乗るケースが多かった。
2
河童。体格は子供のようで、全身は緑色または赤色。頭頂部に皿があることが多い。皿は円形の平らな無毛部で、いつも水で濡れており、皿が乾いたり割れたりすると力を失う、または死ぬとされる。口は短いくちばしで、背中には亀のような甲羅が、手足には水かきがあるとする場合が多く、肛門が三つあるとも言われる。体臭は生臭く、姿は猿やカワウソのようと表現されることもある。
「日本各地に河童にまつわる伝承や民話があるのは知っていたが、まさか実在しているとは知らなかったぞ」
乃々花のコートのポケットの中で、カイトが興奮気味に言った。
「そうなんだ。私は、お姉ちゃんとプルウィアが何でも屋を始めてまだ間もない頃に、近所の川に棲む河童が相談しに来るまでずっと、想像上の生き物だと思ってたよ」
ある日、美桜の家に一反もめんが、河童村の村長が相談したいことがあるという言伝を持ってやってきた。一反もめんが言うには、I県の奥地に、河童だけが住む村があるのだそうだ。しかし美桜たちの何でも屋は、人目につくわけにいかないので、いわゆる出張サービスはやっていない。そこで、乃々花とカイトに白羽の矢が立った。美桜の代わりに乃々花がそちらに行くという言伝を持って、一反もめんは帰っていった。
県庁所在地までは列車に揺られ、そこから路線バスに乗り換えて移動すること数時間。さらにはそこから先は徒歩でないと行き着くことはできない。圏外で、スマホも使い物にならない。一言で言ってしまえば「ド」がつくほど田舎な村なわけだが、徒歩で移動中に人目を気にせずカイトと会話ができるという点では、乃々花にとっては都合が良かった。
「その時はどんな相談事だったのだ?」
「それは知らない。「たとえ妖怪相手でも相談に乗る以上は信用が大事だし、守秘義務があるから」って、訊いても教えてもらえなかったんだよね」
「そうか……。しかし逆に言えば、今回の案件について、その内容を美桜たちに話す必要は無いわけだな」
「うん、そういうことになるかな。――さて、今の時点では私たちもそれを知らない訳だけど。一体どういう相談だろうねー」
――などと話しているうちに、村の出入り口と思しき場所にたどり着いた。
「…………嘘」
パッと見て、乃々花は自分の目を疑った。
「ここ、本当に河童たちの村?」
事前に調べた限りでは、河童は川や沼に棲むものと書かれていたが。ここから見渡したところ、村には普通に住居があった。河童たちの中には、川で魚を獲る者もいれば、畑で農作業をしている者もいた。
「人里とほとんど変わらないじゃない」
想定外の光景に、二の句を継げずにいるところへ、
「オイ、ソコノオ前」
「見ナイ顔ダナ。何者ダ?」
「コノ村ニ何シニ来タ」
三匹の河童が、粗末な作りの槍を構えて乃々花を取り囲んだ。
「私は、松下乃々花。あなたたちの長から、相談したいことがあると聞いて、少しでも、あなたたちの力になれればと思って、こうして、やって来ました」
乃々花は慌てず騒がず、両手を上げて、抵抗する意思のないことを河童たちに見せながら、噛んで含めるように言葉を短く切って、事情を話した。
「長カラ?」
「本当カ?」
「怪シイナ」
困ったな。と、乃々花は思った。いま一つ信じてもらえてないみたい。どうしよう……。
乃々花が次の手に詰まっていると。
「本当だ」
乃々花の前方にいる河童のさらに奥から、朗々(ろうろう)たる声がした。
「その者は私が呼んだ。乃々花 殿だ。皆の者、槍を下げろ」
「長ダ」
「長ダ、槍ヲ下ゲロ」
「下ゲロ」
言わば鶴のひと声。杖を持って、眉毛とあご髭が他の河童たちよりも白く長い河童の号令ひとつで、若そうな河童たちは槍を収め、警戒を解いた。
「ようこそ我が村へ、乃々花殿。しかし、若い者たちが無礼な真似をした。どうかお許し願いたい」
長はそう言いながら乃々花に近づき、頭を下げた。
「いえ、ただ槍で威嚇されただけで、危害を加えられたわけじゃないので、問題ありません。むしろ、長のおかげで助かりました。どうか頭をお上げください」
「かたじけない」
長はそう言って、頭を上げた。
「それはそうと、相談の内容を教えていただけますか? 私はこの村で、何をすればいいのでしょうか」
「そうですな……。乃々花殿は、我らが相撲を好んでいることは、ご存じですかな?」
長は、あご髭を撫でるようにしながら、乃々花に問いた。
「ええ。あなた方のことはここに来る前にあらかじめ、ある程度調べてきましたから。相撲好きであることは、存じております」
「左様か。それならば話は早い。実は、この村の隣に、最近まで無人だった集落がありましてな。つい最近そこに、人間たちが住み着いたのです」
「もしかして、その人間たちと相撲で勝負して、あなた方が勝ったらそれを追っ払いたいと?」
「早合点なさるな。いや、途中までは合っておりますな。しかし、勝ち取りたいわけでも、追っ払いたいわけでもありませぬ。相撲を通して彼らと交流して、勝ち負けに関係なく、ただ親睦を深めたいと思っているのです」
「そうでしたか。それは素晴らしいお考えだと思います。ですが、それでは私の役割は――」
「左様。乃々花殿にはぜひ、我らと彼らの仲を、取り持っていただきたい」
「やはり、そうですか……」
予想が当たって、乃々花の顔が曇った。
「頼まれてくださりますかな?」
「はい。うまく取り持てるように、善処します」
ここまで来て、今さら「ノー」とは言えない。乃々花は長に笑顔で返そうとしたが、うまく笑えずにこわばった顔になってしまった。
「左様か。では、集落があるのはその先です。よろしく頼みましたぞ」
長は集落の方向を杖で指し示し、乃々花に一礼して踵を返した。
その後、長を筆頭に河童たちが村の中へ引き上げた後に、乃々花は独り立ち尽くしていた。
「どうした。浮かぬ顔だな」
カイトがポケットの中から乃々花を見上げるようにして心配そうに問うと、
「そりゃ浮かない顔にもなるよ。人間と河童の仲介役なんてやったことないし、何をどうすればいいのか分かんないもの」
「ふむ。おそらく、今まで誰もやったことがないであろうな」
「そうでしょ?」
「うむ。しかし、それなら乃々花の思った通りにやってみればいいのではないか?」
「え?」
「今まで成功例も失敗例もないことをやろうというのだから、変に気負わず、試すつもりでやればよいのではないか。結果はそのあとついて来るであろう」
「…………そっか」
カイトの何気ない言葉に、乃々花は胸のつかえが取れたような気がした。
「うむ。少なくとも、我はそう思うぞ?」
「そだね。うん、そうだそうだ。その通りだ。私もそう思う。――ありがとう、カイト」
乃々花はポケットからカイトを取り出して、笑顔で礼を言った。今度はすんなり笑えた。
「礼には及ばん。我はただ、思ったことを言ってみただけだ」
「それでもありがとう。おかげで気が楽になったよ」
「そうか」
「うん。早速、集落の方へ行ってみよう」
3
全然「となり」じゃないじゃないと思いつつ、河童の長が指し示してくれた方向へ歩くこと六〇分。
「ここ、かな」
ざっと見渡したところ、民家が不規則に集まっているのが分かる場所にたどり着いた。あちらこちらに畑も見える。集落の中でも、塊村に近いかもしれない。
不意に、
「ちょっとそこのアンタ。何者だい?」
乃々花の近くで畑仕事をしていた女性に声をかけられた。
「あ、すみませんあの私、S県からこっちに来ました、松下乃々花といいます。M村の村長さんの使いでここに来たんですけど」
「S県から? M村? ああ、隣の河童村から。って、歩きでかい? そりゃご苦労さまだったね。それで、何の用だい?」
「近いうちに、こちらの人たちと相撲大会をやりたいって言うんですよ。この集落の長っていうか、代表の方っていませんか?」
「河童が人間と相撲を取りたいって? そりゃあ……、代表がなんて言うかわからないけど、まあ、訊くだけ訊いてみるんだね。石崎哲っていう爺さんがこの集落の代表だよ。大通りに出て、一番奥に住んでるから行ってみるといい」
「大通りの一番奥の、石崎さんですね。行ってみます。お仕事中なのにすみません、ありがとうございました」
「どうってことないさ。日中だったらだいたいあたしはここにいるから、また何かあったら訊きにおいで」
「重ね重ねありがとうございます」
そう言って、乃々花は女性と別れた。
「――親切な女性だったな」
ポケットの中から、カイトが小声でぼそっと言った。
「そうだね、名前訊いとけば良かったかな。――えーと? 大通りっていうのはこの道かな?」
間もなく、人が三人くらい横に並んで通行できそうな通りに出た。
「どうやらそのようだな」
「わあ、通りの両端に美味しそうな野菜や果物が売られてるよ。外国のマルシェみたい」
「青空市場に気分が上がる気持ちは分からんでもないが、当初の目的を忘れるなよ」
「分かってるよ。えっと、この道の奥っていうと――、こっちか。おお、確かに家が見える。他の民家に比べると幾分かだけど、立派な佇まいをしてるね。分かりやすい。ようし、行ってみよう」
そう言うと乃々花は、その家目がけて足を速めた。
4
「ごめんください」
目当ての家に着くと、玄関にはインターホンはおろかチャイムもついていなかったので、ドアをノックして住人に呼び掛けてみた。数秒ほど時間をおいて、中から老人が顔を出した。
「何用だ?」
「突然すみません。こちら、石崎テツさんのお宅で間違いなかったでしょうか」
「いかにも、石崎哲はワシだが。誰が何の用だ?」
「不躾にすみません。私は松下乃々花って言うんですけど。S県からこちらに来て、M村の長の使いでこの集落に来ました」
「河童村の長の使い?」
「はい。長は、ぜひこちらの方たちと自分たちとで相撲を取りたいと申しておりまして」
「相撲? 何のために」
「自分たちが好きなもので、この集落の方たちとの交流を図り、親睦を深めるのが目的だそうです。いかがでしょう?」
「ふむ……民話で、河童が相撲好きだとは知っていたが、実際にそうであったか……」
そう言うと石崎は、歯をむき出しにして笑った。
「面白い。その申し出、お受けしよう」
「本当ですか?」
「ああ。だが、詳細は何とする?」
「その辺は、私が村に戻ってからのことになります。まずはお返事を長に伝えてから」
「そうか。では自転車を貸し与えるので、それで村に戻るといい。徒歩の半分くらいの時間で戻れるだろう」
「ありがとうございますっ」
内心、またあの道を一時間かけて戻らなきゃならないのかと気持ちがなえていたので、石崎の気遣いは心底有り難かった。
5
「そうか、受けて下さったか」
実際、乃々花は自転車のおかげで、三〇分ほどで村に戻り、石崎からの返事を長に伝えることができた。
「はい。ついては詳細を知りたがっていました。仲介役の私に自転車を貸して下さったくらいですから、少しでも早くと思っていらっしゃるのではないかと思います」
「左様か。まず土俵の場所は――」
「あ、ちょっと待ってください」
と言って乃々花はポケットからICレコーダーを取り出し、マイク部分を長に向けて録音ボタンを押した。
「はい、もう一度お願いします」
「ふむ。まず土俵の場所は、客席の広さも含めて一辺が十三・四メートル以上の四角い空き地が集落内にあるのであれば集落の方でと考えておる。材料や道具はすべてこちらが用意する。土俵作りから始めるので、その作業には最低でも二~三日かかる。故に、開催は早くても三~四日後になる。土俵の作り手には三〇人ほど必要なので、そのうちの半分、十五人はこちらで手配するが、集落側からはもう半分、十五人ほど手を借りたい。それらの条件で問題なければ、承諾された日の翌日から、作業を始めたい。――と、伝えてもらいたい。よろしいか?」
乃々花はそこで録音を停止し、応えた。
「承知しました。条件の詳細な内容はいま録音しましたので、伝え洩れることは無いと思います。さっそく今一度、集落の代表者のところに行ってきます」
「うむ、頼んだぞ」
約三〇分後、乃々花は再び石崎の所にいた。早速、村で録音した内容を再生して石崎に聴かせた。
「――なるほど。本格的な土俵作りから始めようというわけか」
「はい。いかがでしょう。条件に、問題などありましたでしょうか」
「ふむ。ワシ個人としては何の問題もない。土俵や客席を作る場所も集落内に十分にある。しかし住民たちの中には、十五匹もの河童が集落に入り込んで作業することを快く思わない者が何人かいるかもしれん」
「確かに。その可能性は否定できませんね」
河童に関する様々な伝承や民話から、河童に対して良くないイメージを持っている人間は、少なからず居るだろう。
「が、そういう者たちについては、理解してもらえるようにワシの方からよーく話しておくので、心配せんでいい」
石崎はいわゆる強面で、一見すると気難しそうな印象を受けるが、そういったイメージを覆すほど、朗らかに笑ってそう言った。
「と、言うことは?」
乃々花が、期待を込めて訊くと。
「ああ。さっそく明日から、土俵作りに入ってくれていい。日ごろ農作業に勤しんでいる住民たちにとっても、いい気分転換なるだろう」
「分かりました。さっそく村長に伝えてきます」
石崎から、これ以上ないほど良い返事をもらった乃々花は、道中ずっと立ちこぎで、急いで村に戻っていった。
翌日から、乃々花が十五人(匹?)の河童を村から引き連れて集落に入り、集落の住人のうちの十五人と共に総勢三十人で、だいたい十五メートル四方の空き地において土俵作りが始まった。
河童たちが土俵作りに手慣れていたこともあってか、一辺が六・七メートルの正方形に土を盛られた土俵全体は三日で完成し。四日目は客席作りと、土俵を清めるための儀式である土俵祭にあてられた。
そして五日目。相撲大会当日。村長をはじめたくさんの河童たちが集落を訪れた。しかし、みな一様に人間の姿をしていたため、乃々花や集落の住民たちは最初、それらが河童だとは分からなかった。
眉毛とあご髭が白く長い、村長と思しき老人に乃々花が尋ねると、
「我らはシダの葉で頭を撫でることでこのように、人間の姿に化けられるのだ。覚えておくといい」
とのことだった。
河童にまつわる民話や伝承によって、彼らは怪力の持ち主だと知られている。そこでハンデとして、取り組みに出場する河童たちはみな、勝負する際に力の源である皿を潤している水を半分にして挑むよう、村長からお達しがあった。そのおかげもあってか、どの取り組みも、双方の力が拮抗する、見応えのある勝負になった。
果たして埋まるかどうか心配していた客席は満席となり、集落側と村側の、全部で二〇戦あった取り組みは、終わってみれば十勝十敗の引き分けで幕引きとなった。最後の、老人に化けた村長と石崎が笑顔で握手する姿が、乃々花には印象的だった。
6
「乃々花殿」
相撲大会翌日。会場では土俵の片付け作業が行われていたが、M村に戻って帰り支度をしていた乃々花の元に、河童の姿に戻った村長が現れた。
「この度は、本当にご苦労だった。労をねぎらうとともに、礼を言う」
「お役に立てました?」
「ああ、十分だとも。おかげで、この集落の人間たちともうまくやっていけそうだ」
「それは良かったです」
「しかしもし今後、我らと集落の住民たちとの間に何かあった際には、また頼りにさせてもらってもよろしいか?」
「それはもちろんです。その時は微力ながら、解決に協力させていただきます」
今回の成功が自信に繋がったのか、乃々花は仲介役を頼まれた時とは違って自然な笑顔で、そう言うことができた。
「そうか。頼もしい限りだ。では、達者でな」
「はい、村長もお元気で」
そのやり取りを最後に、村の出入り口からたくさんの河童たちに見送られて。乃々花はM村を後にした。
バス停までの道すがら。
「大成功だったようだな」
カイトが乃々花に話しかけた。
「うん。村長から相談事の中身を聞いた時は不安でしょうがなかったけど。案外どうにかなるもんだね。カイトの助言のおかげ。ありがとう」
「その時も言ったが、我はただ思ったことを言っただけだ」
「それが功を奏したんだから、やっぱりカイトのおかげだよ」
「そう……なるのか?」
「うん。なるなる。河童村に来るまでは、お姉ちゃんたちに相談の中身を話さないつもりでいたけど。今は話したくって仕方ないよ。ダメかな?」
「良いのではないか。乃々花が今回の事の顛末を誰かに話したくて仕方ない気持ちは我にもよく分かる。しかし話しても問題ない相手は、美桜やプルウィア以外にはほぼいないのだから」
「そうだよねー。――あ、ちょうどいい具合にバスが来たよ。タイミングばっちり♪ ここからしばらくは会話するわけにいかないから、カイトは眠っていると良いよ」
「そうさせてもらうか。黙っていないといけないというのは思いのほか気を遣うもので、正直、気疲れが半端じゃない。すまないが、美桜の家に着いた頃に起こしてくれ」
「うん、分かったよ。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ……」
乃々花がバスに乗り込むと同時に、カイトは眠りについた。だが、こちらも思いのほか気疲れしていたのだろう。起こし役を引き受けた乃々花までもが車中で眠ってしまった。そのため、彼女らが美桜の家に着ついたのは、予定よりも大幅に遅れてのことになったのだった……。