その5
1
「今も昔もこの世で怖いものの一つに、訳が分からないことが挙げられる。先人たちは、訳が分からないことについて訳が分かるように、妖怪を生み出した。小豆洗いや枕返し、家鳴りなんかは、その一例だ。理由のつかない現象をそういった名をつけた妖怪の仕業とすることで、訳が分かるようにした。正体と目的が分かれば、対処の仕方も分かってくる。逆に言えば、正体も目的も分からないものは、何をどうすればいいのか分からなくて怖がるばかりで、気が狂いそうにもなる。つまり人は、自らの心の平穏のために妖怪や幽霊の存在を信じたり作り出したりしてきたということだ」
松下美桜が大学で専攻している文化人類学とは、人間の生活様式全体(生活や活動)の具体的な在り方を研究する人類学の一分野であり、妖怪の存在論的歴史人類学なども、その中に含まれる。
いまこの場に居て黒井教授の講義を受けている学生たちや黒井は、まさか美桜が、妖怪が実在することを学問としてではなくその身をもって知っていることなど、夢にも思わないだろう。アパートに帰れば、プルウィアという一見普通の白猫な姿をした化け猫がいて。いろいろな妖怪や怪異、あやかしや幽霊などのこの世ならざる者たちが美桜のウチを訪れ、それぞれに様々な相談事を持ち掛けてくる。その代わり、相談者が人だった場合には、力を貸してくれたりもする。普通なら非日常的なそんな日々がいつの間にか、美桜にとっての日常になっていた。
2
付喪神。「九十九神」と書いたりもするが、長い年月(百年くらい)を経た道具などに精霊や霊魂が宿ったものをそう呼ぶ。現代の日本で言うならば、大正時代中期以前に作られて今でも使える器物や道具で、そこに精霊や霊魂が宿ったものがこれに相当するだろう。詰まるところ、今回の相談者はそれくらい古い懐中時計の付喪神だということだ。真鍮製で、落下防止のための本体とクリップを繋ぐチェーンが付いている。どうやって美桜の元へやって来たのかというと。プルウィアが散歩の道中、
『いつもと違うコースを歩こうと思って商店街の通りに入ると、骨董店の前に差し掛かったところで道端に転がっていたのを拾ったのだ』という。道行く人々が遠巻きに、懐中時計から距離をとって歩いているのを不思議に思いながら口にくわえ、さてこれをどうするか考えていると。懐中時計が勝手に、道端に転がっていた理由をしゃべり出した。
「我を拾って下さって、まことにかたじけない。そこの骨董店で我を購入してくれた人間に礼とあいさつをしたのだが気味悪がられて、我を投げ捨てて逃げるように走り去ってしまったのだ」
事情を聞いてプルウィアは、それは無理もない、と思った。現代の物であればまだしも、骨董品がいきなりしゃべり出したらそれは誰だって気味悪がるだろう。道行く人々が懐中時計を遠巻きにして歩いている理由にも納得がいく。どんな物であっても、しゃべり出したところで別に気味悪がったりしない自分は例外中の例外だ。プルウィアは、交番に届けるよりもウチに持ち帰ることにした。美桜のアパートに帰宅して懐中時計に自己紹介をし、もう一人の例外である美桜に事情を話すと美桜も、プルウィアと同じ感想を抱いた。プルウィアと同じように懐中時計に自己紹介をした後、
「困っていることがあるなら相談に乗るわよ。ここはそういう場所だから」
と美桜が言うと。当然ながら懐中時計からの相談は、
「それならばぜひ、我の次の持ち主を探し出して欲しい」
というシンプルなものだった。が、シンプルであると同時に難問でもあった。
3
衣服のポケットや懐などに入れて持ち歩く、小型の携帯用時計である懐中時計は、代表的な携帯時計として長い間、世界中で愛用されてきた。しかし腕時計が登場してからはその市場をほぼ独占され、さらに今日では携帯電話やスマートフォンの画面の時計表示にて代用する人も増えてきたことから、懐中時計を日常の携帯時計として使用している人口は少ない。ただでさえそのような現状であることに加えて、精霊か霊魂かが宿って付喪神となった懐中時計など、誰が持ちたがるだろう。
「参考までに、骨董店であなたを購入した人は、どんな人物だったの?」
「おそらくだが、鉄道関係の男だ。店内で何度となく、指差し確認を行っていた」
視認性の高さや耐磁加工を施しやすい特性から、鉄道関係者には、懐中時計を鉄道時計として使用する職員が多い。機関車や電車などの運転台には多くの場合、計器板の中央か、窓脇の時刻表立て付近に懐中時計に合わせたサイズの窪みがあり、運転士はここに懐中時計を置いて、計時しながら列車を運転する。しかし多くの場合、鉄道事業者が鉄道職員に貸与するため、わざわざ職員が自分で買う必要はまず無い。実際のところ、件の懐中時計を買ったのは、いわゆる鉄道ヲタクの男性だった。
「以前には、出入り口付近に設置された消毒液を手首にまでなじませる病院関係者らしい女が我を買おうとしていたことがあった。懐中時計は病院では、看護師が脈の測定などの際に時間を見るナースウォッチとして使われるからだと思われる」
腕時計だと腕が何かに引っかかったり手洗い時に手首まで完全に洗浄できず、バンド部分の下などが感染源になり得るため着用は避けて、ナースウォッチを付属のピンやクリップで白衣の胸ポケットや防護衣に留めて使用するのである。
「だがナースウォッチとして使われる懐中時計は、時計を持ち上げて見る際に見やすいように、普通の懐中時計と違って六時の部分にチェーンが取り付けられている。おそらくはそのことからであろうが、結局、その女が我を買う事はなかった」
美桜がスマホで調べてみたところ、他に腕時計では不都合があり懐中時計を用いている職業として、料理人や学芸員、アーキビスト(永久保存価値のある、写真、ビデオ、録音、手紙、書類、電磁的記録など様々な形式の情報を査定、収集、整理、保存、管理し、閲覧できるよう整える専門職のこと)が挙げられていた。
「昔ほどではないにしろ、今でも懐中時計を必要としてる人って意外に多いみたいね」
『問題は、その中でどれくらいの人間が、付喪神となり人の言葉を話せるようになった懐中時計を必要とするか、だな』
「人前や仕事中には口をつぐんでいることを徹底させるって条件付きなら、もらってくれる人もいるんじゃないかな。たとえば、プライベートタイムの話し相手が欲しい人とか」
『それ以前にまず、付喪神であることを伏せる必要があるのではないか? そしていかにも現代っぽく“AIが搭載されていて、話し相手になってくれる”という風にうたった方が、信憑性があり、獲得意欲を掻き立てられると思うが』
「確かに、今はいろんな物がしゃべるようになっているものね。出どころが骨董店であることも伏せておけば、そう信じてもらってくれる人もいるかも。試しに、フリマサイトに出してみる?」
「えーあい? ふりまさいと?」
初めて聞いた単語に懐中時計はその上にクエスチョンマークを浮かべたが、美桜もプルウィアも、それらのことを説明してはくれなかった。
『金をとるのか? 買い主が放っていった拾い物、拾得物だぞ?』
「そうだけど、仮にもAIがついた物がタダだと、逆に怪しがられる可能性があるじゃない?」
『一理あるが、後で拾得物だったとバレた時に、面倒なことになりそうな気がするぞ』
「無茶苦茶な高値をつけなければ大丈夫よ、たぶん。それとも、オークションサイトに出してみる?」
「おーくしょんさいと?」
このときも先と同じく。
『買い手側に値段をつけてもらうのか』
「そうそう」
『むぅ……そっちの方がまだ無難かも知れんがしかし……』
プルウィアは、眉間にしわを寄せて唸った。
「もしくは、試作品だってことにして、モニターを募ってみるとか」
「もにたー……」
『いや待て。いずれにしてもAI付きだとして誰かの手に渡った場合、何らかの理由で分解された時、そういった機構がないと分かったときに説明ができんな』
そう言って、プルウィアは自らの案に穴があることに自分で気付いた。
「精密機械の塊なので決して分解しないでくださいってあらかじめ伝えておけば?」
『それはおそらく逆効果だな。するなと言われると余計にしてみたくなってしまうのが人間の性ではないか』
「うーん。元・人間に言われると妙に説得力があるわね……」
真偽のほどは定かではないが、プルウィアは美桜に自己紹介する際、『元々は異世界の王国の王女であった』と自称していた。
「でも、だからと言って真実を公表したら、まずオカルト系の雑誌社が黙っちゃいないわよ? 《付喪神は実在した!》なんて記事にされて。そしてでっち上げではなく本当だと分かったら十中八九、大事になっちゃう」
「おかると……」
『それを言ったら、AI付きだと公表した場合も同じであろうな。サイエンス系の雑誌社が食いついてきて、最終的には日本国内のみならず、世界規模で騒ぎになるであろう』
「さいえんす。何がなんだかどれもさっぱりだが、今の日本には、我の知らない単語がたくさんあるのであるな」
自らの次の持ち主を巡っての美桜とプルウィアのやり取りに、懐中時計はそんな感想を抱いたが、それに応えてくれる声はひとつもなかった。
「そうよね。そしたら、付喪神であることも、AI付きだという嘘も言わないでネット上に挙げて。買い手には口止めを徹底させなくちゃ」
『しかし、他人の口に蓋はできないというではないか。それを考えれば、買い手は全くの他人よりも身内の方がよいのではないか?』
「身内って?」
『たとえば、美桜の妹である乃々花嬢とか』
「うーん、乃々花か……」
美桜は胸の前で腕を組み、難しい顔をして首を傾げた。
『何か問題か?』
「いやぁ、確かに口の堅い子ではあるけど、こういうの欲しがるかなぁ……」
『物は試しだ、訊くだけ訊いてみようではないか』
「付喪神になった懐中時計? 欲しいっ! いくら?」
姉の心配をよそに、オンラインを通じて事情を説明すると、ディスプレイの向こうにいる乃々花はテンション高く懐中時計を欲しがった。
「想定外に食いつきがよかったわね……。てっきり渋ると思ってたのに」
『代金は必要ない、拾得物であるからな』
「拾ったものなの? 0円ってこと?」
『ああ。その代わり、と言ってはなんだが、これが付喪神であることは私たち三人だけの秘密だ。よろしいか?』
「えー、さやかや未希にも言っちゃダメ?」
『以前、乃々花を通じて美桜を頼ってきた、一ノ瀬さやかと小野寺未希か? そうだな、その二人だけであればまあ問題無かろう』
「良かった、あの二人には嘘を言ったり隠し事したりしたくなかったから。ありがとうプルウィア」
『なに、礼には及ばんさ。しかし、他には絶対に他言無用で頼むぞ』
「うん、了解しました」
「良かったわね、懐中時計さん。無事に次のあなたの持ち主が見つかったわよ」
「本当か?」
「ええ、アタシの妹、松下乃々花。よろしくね?」
「そなたの妹君であるか。我の方こそ、よろしく頼みたい」
――そんな経緯があり。付喪神となった懐中時計はこの翌日、二人が通う大学のキャンパス内にあるカフェで美桜から乃々花に手渡されたのだった。
4
我は懐中時計である。名前はまだ無い。というか、絶対とまでは言わないが名前の付いた懐中時計など、世界中どこを探してもまず在りはしないだろう。完成してから百余年が経過して、たまさか、江戸時代からずっとこの世を彷徨っていた霊魂が宿り、付喪神となり自我を得たが、その霊魂も名無しだったこともあり、個を表す名前がまだ無かった。
申し訳ないが、我には自我を得る前の記憶はもちろんのこと、自我を得てから骨董店で商品として並べられるまでの記憶が一切ない。はっきりしているのは、日本で作られたわけではないということくらいだ。ではどこで作られ、どうやって日本にやって来たのかと問われても、それもはっきりしない。我は新たに我の持ち主になってくれた乃々花にそれらのことを、ところどころかいつまんで話した。
「そうなんだ……。他のことはともかく、名前が無いのは困るねえ……。せっかく新しくできた話し相手をいつまでも「懐中時計さん」と呼ぶのは他人行儀だしなあ……」
いまここは、乃々花の住まいだ。乃々花は大学で美桜と別れた後、自宅に直帰した。言うまでもないかもしれないが、我と乃々花以外には誰もいない。乃々花は自室の勉強机に向いて椅子に座っており、我はその勉強机の上で乃々花と相対している。
乃々花は口元に人差し指を置いて「んー……」と言って、宙空を見つめしばらく思案していた。そして唐突にはっとして、
「かいと」と口にした。
「ん? 如何した急に」
「名前だよ、懐中時計さんの。懐中の「懐」と時計の「時」をとってくっつけて「懐時」。それをカタカナにして「カイト」ってどうかな。安直?」
「いや、どこが安直なものか。カイト。良い名ではないか。少なくとも、我は気に入ったぞ。かたじけない」
「カタジケナイ?」
乃々花はカタコトに鸚鵡返しして、首を傾げた。現代ではあまり使われない表現であったらしい。
「様々な意味を持つが、今の場合は感謝の言葉だ」
「そうなんだ。じゃあ、どういたしまして」
乃々花はそう言って、はにかむようにして笑った。
「我の方からも、乃々花に訊きたいことがあるのだがよろしいか?」
「うん、もちろん。私に分かる範囲であれば何でも。なあに?」
「プルウィアや美桜が、我の持ち主を探すにあたって交わしていた会話の中で、我には分かりかねる単語がいくつもあったのだ。全部でなくても構わないが、それらについて教えてもらえると有り難い」
「お姉ちゃんたちは教えてくれなかったの?」
「話し合いに真剣になっていて、口をはさめる隙が全く無かった」
「なるほどね、意地悪して教えてくれなかったわけじゃなかったのか。でもその情景、目に浮かぶわ」
乃々花は苦笑いしてそう言うと、
「良いよ、いくつでも。たとえば?」
我からの一問一答に臨むにあたって、居ずまいを正した。
「まず「えーあい」について」
「それは、外国語の略語で、アーティフィシャル・インテリジェンスの頭文字「A」と「I」をとってくっつけた言葉でね。人工的に作られた知能のこと。コンピューターに、人間みたいに学習や分析や提案などの知的行動をさせる技術を指すの。コンピューターっていうのは、プログラムに従って複雑な計算をする機械のことなんだけど、たぶんプログラムも分かんないよね。プログラムは、「あれをこうしなさい」とか「これをああしなさい」っていう風に、コンピューターに理解できる言語で与える具体的な指示のことを言うの。つまりAIっていうのは、全部日本語にすると、「専門用語による具体的な指示に従って複雑な計算をする機械に、人間みたいな知的行動をさせる技術のこと」ってことになるかな」
といったように乃々花の回答は、簡潔で、回答の中で我が分からないであろう単語についてまで逐一教えてくれて、大変分かりやすかった。
「――では、「おかると」とは?」
「一般的には、科学では説明がつかない神秘的な出来事や超自然的なものを指す言葉。幽霊とか、もののけや妖怪もそう。付喪神は器物や道具が妖怪化したものって説明されたりもしているから、オカルトのひとつに数えられているの」
「なるほど、我もオカルトの一つなのか。これで最後だ、「さいえんす」とは?」
「それも外国語で、科学のことだよ。さっきも出てきたけど科学っていうのは――んーと、そうだな、これは言葉にすると難しいかもしれないから、今度一緒に近くの小・中学校の理科の授業を見学に行ってみようか。そういう動画でもいいけど。そこで何かしらの実験を見れば、「なるほどこういうことか」って分かると思うよ。百聞は一見に如かずって言うしね」
「そうなのか。いや、結局昨日分からなかったこと全部について教えてもらってしまったが、どれも大変よく分かった。勉強になった。本当にかたじけない」
「そう? それなら良かった。新しい友達のお役に立てて何よりです。ふふふ」
「友達? 我が、乃々花のか?」
「え? うん、そうだよ。え、もしかして嫌だった?」
「そんなことはない。むしろ、喜ばしいくらいだ。こんなにも博識で頼りがいのある友人ができてな。改めて、これからもよろしく頼む、乃々花」
そう言って我は、懐中時計の本体全体を使って乃々花にお辞儀した。それに対して、
「博識だなんてそんな、全部人からの受け売りなんだけど照れちゃうな。でも。こちらこそ、よろしくお願いします、カイト」
乃々花は我の本体を両手で持って、照れながらもこちらに向かって、笑顔でお辞儀を返してくれた。
その時。
根拠は何もない。本当に何の根拠もないが乃々花と我が後々(のちのち)、そう遠くない未来に、いまの美桜とプルウィアのような仲になれるような、そんな気がした。