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その3


              1


 妖狐(ようこ)というと日本では、人間や他の動物に化けて人に対して悪事やいたずらをする狐の(あやかし)全般をさしてそう言うが、中国の伝承を紐解(ひもと)くとそれらは野狐(やこ)と呼ばれる一部の妖狐のことであり、野狐より位の高い気狐(きこ)や、修行を積んで仙術を会得した仙狐(せんこ)のように、人間に害をなさない者もいる。

 いま女子大生の松下美桜(まつしたみお)が住むアパートを訪れたコ・ユンファ(胡 潤發)を名乗る男子大学生の正体もまた、そんな“良い妖狐”のひとりであった。

 ドアの前に立って、インターホンを鳴らす。


「はい、松下です」

「ユンファです」

「ああ。カギなら開いてるから、そのまま入って来て大丈夫よ」

「承知いたしました」


 彼は以前にも美桜の元を訪れて、悩み事を解決してもらったことがあるのだが。それ以来、彼は美桜を姉御(あねご)と呼び、また彼女の飼っている猫のプルウィアを(あね)さんと呼び、彼女らを一方的に(した)うようになっていた。


「いらっしゃい」


 ユンファがドアを開けると、不機嫌な顔をした美桜の姿がそこにあった。


「やや。これはこれは。姉御自らお出迎えいただけるとは、恐悦至極(きょうえつしごく)に存じます。本日はお日柄もよく、姉御や姐さんにおかれましては、ご機嫌麗(きげんうるわ)しゅう――」

「麗しくない」


 ユンファの過度に(かしこ)まったあいさつをさえぎって、美桜の不機嫌さが増した。


「おっと。まだ慣れませんか」

「全っ然慣れない。プルウィアだったら、王女だった頃が思い出されて懐かしむかもしれないけど。アタシは違うもの。百歩譲って、姉御って呼ばれるのは我慢するけど、お願いだから、可能な限り普通に接して」

「そうですか……。他ならぬ姉御の頼みとあれば仕方ありません。善処します」

「うん、そうして」

「ところで、姐さんはどちらに?」

「プルウィアだったらさっき散歩に出かけたけど。何か用事?」

「散歩ですか……いえ、用事と言いますか、姉御や姐さんでなければ解決できない案件を預かってきたものですから」

「困りごとの相談? だったらアタシが聞いて、後でプルウィアに伝えるけど?」

「それだと姉御にお手間をかけさせることになってしまい、こちらとしては本意ではないのですが……。

だからと言ってこのまま帰ったんじゃ、ガキの使いと変わりない。すみませんが、そうしてもらえますか」

「ええ、大丈夫よ。でもその前に」

「はい、何でしょう」

「玄関先で長話もなんだし、とりあえず中に入って? 依頼の中身はリビングで聞くわ」

「ああ、お気遣いありがとうございます。では、お邪魔します」


 繰り返しになるが、一介の男子大学生であるユンファの正体は妖狐であり、一介の女子大生である美桜はそのことをよく分かっている。


「コーヒーと緑茶、どっちがいい? 遠慮はナシでね」

「はい。ではあの、コーヒーを」

「ん、分かったわ。じゃあ適当に座って待ってて」



             2


 ユンファの正体が妖狐であるように。プルウィアもただ者ではない。

 アパートに帰って来て、ドア横にあるインターホンの真下に設置されたキャットタワーを登り、壁伝いに二本足で立ってインターホンを鳴らすと。


「はい、松下です」

『ただいま』


 プルウィアは美桜の応答を聞いて、周りを注意深く見渡した直後に、確かにはっきりと『ただいま』と言った。

 見た目は普通の白猫に過ぎないが、その中身は、人の言葉を話せる化け猫である。


「ああ、お帰りなさい。待ってて、いまドア開けるからね」


 美桜は一切戸惑うことなく、まるで家族の一員を迎えるような感じで答えた。


「お帰りなさい。ウチに上がる前に、足を綺麗にしましょう」

『ああ、すまない』


 ドアを開けてプルウィアを迎え入れて、用意していた、ぬるま湯を張った洗面器とタオルでプルウィアの各足を洗ってゆく。


「ちょっと前まで、ユンファが来てたんだよ、会わなかった?」

『そうなのか? いや、会わなかったな』

「ありゃ、それじゃ入れ違いになったのか――よし、綺麗になった。ウチに上がって良し」

『うむ。ありがとう。ユンファは、何の用だったのだ?』

「姉御や姐さんでなければ解決できない案件を預かってきたものですからって言ってたよ。中身はしっかり聞いたから、後で話すね」

『そうか、分かった』


 梅雨時期の雨の中でプルウィアを拾ってから、美桜の元には、近所の野良猫をはじめとしていろんな動物たちや(もの)()たちがそこを訪れるようになっていた。プルウィアがそれらの通訳役となって、美桜たちは彼らの悩み事や困りごとを聞き入れ、解決していった。それから美桜たちは、手助けする対象を美桜の周りの、プルウィアが化け猫だと知っても公にしない人にまで広げて、今に至る。今回のように依頼者が物の怪なのは、久しぶりだった。



             3


 姉御や姐さんはすでにご存じの通り、人間相手に悪さを働くのは、妖狐の中でも低級な、野狐と呼ばれる者たちです。ですが野狐の全部がそうではありません。一部です。仙狐に成るべく修行を積むことに一生懸命で、人相手に悪さを働かない、言うなれば“良い野狐”もいます。でもって、それを良しとせず良い野狐をいじめる“悪い野狐”もいるんです。今回姉御や姐さんに依頼したいのは、自分たちにはできない方法で、そういう悪い野狐どもを()らしめてやって欲しいってことです。どうか、宜しくお願いします。



             4


『なるほどな』


 プルウィアはリビングに移動して、ソファに座った美桜の膝の上で丸くなって、依頼の中身を聞いていた。


「一応聞き入れて、ユンファには、分かったわプルウィアに伝えておくねとは言ったものの。妖狐たちにはできない方法で懲らしめてやって欲しいとざっくり言われてもねえ。具体的にどうしたものやら」


 美桜はプルウィアの体毛を五指(ごし)()くようにその身体をなでながらそう言って、顔に苦笑を浮かべていた。


『なんだ。気がついておらんのか』

「何に?」

『妖狐たちにはできない方法でということは裏を返せば、私たちだからこそできる方法でということであろう?』

「うん、そうね。そういうことになるでしょうね。でも、それが分からないのよ」

『ははぁ、灯台下暗しというか、身近過ぎると逆に見えないものなのかも知れぬな。ヒントはあるではないか、すぐそこに』


 と言ってプルウィアは、器用にも尻尾で“それ”をさした。


「何? テレビ? それと悪い野狐たちを懲らしめることに何の繋がりが……あ。ああ、そういうことか」

『やっと気づいたか』

「うん、ごめん。いま気がついたわ」


 美桜は、さっきとは違う意味で顔に苦笑を浮かべていた。



             5


 翌日。


「姐さんに言われた通り、人間相手に悪さを働いていた野狐一匹と、良い野狐をいじめていた悪い野狐たちの中から適当に一匹、現行犯でとっ捕まえて姉御のウチまで連れてきました、けど……」


 男子大学生姿のユンファが、適当な人間に化けさせた野狐二匹を連れて、美桜のウチを訪れていた。


『うむ、ご苦労さま』

「これくらいはお安い御用です。でも、コイツらをどうするんです?」

『彼らには懲罰(ちょうばつ)としてそれぞれに、ある程度痛い目やひどい目に遭ってもらう』

「具体的には?」

「テレビ番組でやってる罰ゲームくらいのレベルで考えているわ」

「おお、なるほど。それは、人間たちならではですね。自分たちにはなかった発想です」。

「ええ。それで、ユンファには、その様子を撮影する役をお願いしたいの」

『その撮影データを込めた携帯電話と共に仲間の元へ帰して、《今後、同じ事をしたら、あなたたちもコレと同じ目に遭わせるぞ》という見せしめにしようというわけだ』

「どう? 撮影役、やってくれる?」

「はいっ。自分で良ければ、ぜひ」


 張り切ってそう答えたユンファだったが。後にこれを後悔することになろうとは、この時は微塵(みじん)も思っていなかった。


『よし決まった。では早速、出発しよう』

「出発? どこへですか?」

『決まっておろう、最初の罰ゲームの地、スカイダイビングができる場所に、だ』


 車に乗り込み、現場に到着するまでの間に、二匹の悪い野狐には車中で適当な成人男性に化けてもらった。

 現場に到着すると、そこには、三人のスカイダイビング熟練者が一行を待っていた。

当然ながら、悪い野狐たちは未経験者であるから、ダイブは一つのパラシュートに未経験者と熟練者の二者をくくりつけて飛び降りるタンデムジャンプで行われる。


「え。自分も、ですか?」

『当然だ、撮影役なのだからな』


 否応なしに、ユンファにも熟練者が付き添ってパラシュートがくくりつけられ、パイロットを省いて計六名が航空機に乗り込んだ。


「――よし、ダイビングポイントに着きました。行きますよ。スリー、ツー、ワン、GO!」

「えぇ、ちょ、マジですかっ、どわあああああぁぁぁぁーーーー!」


 果たしてちゃんと撮影できているのかどうかを確認する(いとま)もなく、


『よし、全員無事に着地したな。次、いくぞ』


 某遊園地に到着。ここで撮影するのはバンジージャンプの予定だったのだが――


「残念、【整備中】ですって」

『仕方ない、では絶叫マシンに変更だ』

「ええー?」


 バンジーならば自分は体験せずに済むと思っていたユンファの思惑は、もろくも崩れ去った。代わりに別の某遊園地にある、時速一三〇キロで建物スレスレや観覧車の真ん中を通り抜ける最強ジェットコースターに変更することとなった。ちなみにネット上ではそれは、“かなりの高さから落下するため、怖いアトラクション好きの方も楽しめる”と紹介されていた。


「ぬおおおおおぉぉぉぉーーーー!」

『よし、次だ』


 続いて、某所にて蜂の子を食べさせられるターンでは体験を(まぬが)れたユンファだったが。


『よし、次』


 某相撲部屋を訪れて、相撲取りを相手に格闘するターンでは、プルウィアに、


『こういう映像には臨場感が必要だ』と言われ、ユンファはカメラを装着されて大関クラスの力士と戦わされる羽目になり、もはや誰のための罰ゲームかわからなくなっていた。


「ぜぃぜぃ、はぁはぁ」

「ちょっと大丈夫? 肩で息しちゃってるけど」

「正直、大丈夫では、ないです」

「でしょうね」


 その後、一行は某テレビ局の空きスタジオに移動し、妖狐たちは耳元で大きなクラッカーを鳴らされたり、勢いのあるスモークを至近距離から浴びせられたり、目の前で風船を破裂させられたり、ビリビリペンで電気ショックを与えられたり、頭上からたらいを落下させられたり。(しま)いには、床を落とし穴のように突然抜けさせて落下させる仕掛けにハメられて、ようやく、


『よーし。全員落ちてきれいにオチがついたな。終了ー』


となった。


「お疲れ様。どうだった?」


 最後、美桜の問いかけに対して、


「いや、もうね」

「こんな目に遭うんだったら」

「もう二度と人間を化かしたり良い野狐をいじめたりしないですよ。しようとも思わない、本当。な?」

「うん」

「うん」


 と、いつの間にか意気投合していた妖狐たちだった。



             6


 後日、あれから何日かして。美桜のウチのインターホンが鳴った。


「はい、松下です」

「こんにちは、姉御」

「ああ、ユンファ、久しぶりね。待ってて、いまカギ開けるから」

「分かりました」


 間もなくして解錠され、ドアが開かれた。


「ようこそ、いらっしゃい。あの後、野狐たちの様子はどう?」

「どうもこうも、あの動画、効果絶大ですよ。自分の知る限り、あれ以来人間を化かすような野狐も、良い野狐をいじめるような野狐も、一匹たりとも居やしません」

「そうなんだ、それは良かったわ」

「ええ。自分があれだけ体張って撮影したんです。そうでなくてはその甲斐(かい)がありません」

「あはは。あの時はすまなかったわね、すっかりアタシの身代わりしてもらっちゃって」

「そこは謝らないでください。他ならぬ姉御の頼み、どんな中身であれ、断るわけにはいきませんから」


 そこへ、プルウィアが散歩から帰ってきた。


『ただいま――と、おおユンファ。先日はご苦労だったな』

「こんにちは、姐さん。おかげさまで、あれから野狐たちみんな、大人しくしてますよ」

『そうか、それは良かった』

「お帰りなさいプルウィア。だけど二人とも、そこだと人目につくから、話すならとりあえず中に入って?」

『おっと、そうだった』

「すみません、気が利かなくて」


 と、ユンファはプルウィアを迎え入れて、ドアを閉めた。


「今日のところはあの後どうなったのかの事後報告だけですから。これで失礼します」

「そうなの?」

「ええ、また何かあったらその時に、改めて(うかが)います」

『そうか。じゃあ、またな』

「はい、また。季節柄、体調を崩しやすいですから、お二人とも、お体に気をつけて」

「ありがとう。ユンファもね?」

「ありがとうございます。ではまた」


 そう言って外に出て、ユンファは礼をしながらドアを閉めた。


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