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その1


             1


 ある日、異世界の王女さまがネコに生まれ変わった。

 ――それが嘘でも冗談でもないことを、松下美桜(まつしたみお)は本人(?)から知らされた。


『正確には、十三年と十日前、私の魂がこの身体に乗り移ったのだがな』


 そんなオカルトみたいな話を、誰が信じるというのだろう。しかし少なくとも、目の前にいるこの白猫が人の言葉で話をしていることだけは事実だ。つねった頬の痛みがそれを告げている。残念なことに、おかしな夢を見ているわけではないらしい。


「……えっと……一つ提案なんだけど」

『なんだ?』

「あなたを拾った場所に戻してきていいかな」


 面倒ごとに巻き込まれるフラグが立った気がするから、とまでは言えなかった。


『それは困る』

「どうして?」

『私の念波と波長が合う人物にやっとめぐり逢えたのだ。もしまたあそこに戻されては、その後、お主のような人物にいつめぐり逢えるかわからない』


 そういう言い方はずるい。と美桜は思った。自他ともに認めるお人好しな自分に向かって、一点の曇りもない純真な瞳でそういう言い方をするのは反則だ。


「そんなこと言われても……」

『私の王国は、異常気象による大津波で大陸ごと海の底に沈んでしまって、生存者は一人としていない。私には、(かえ)る身体も帰る場所もないのだ』

「どうしてそんなことがわかるの?」


 押しに負けず、反論してみた。だがダメだった。むしろダメ押しされてしまった。


『大津波で溺れ死んだあと、この世界に転生する前。目の前には、海しかなかった』

「う~ん…………」


 困った。

別に、美桜の住んでいるアパートはペットを飼うことが禁止されているわけではない。わけではないけれどそれは普通のペットを飼う場合であって。人の言葉を話す化け猫を棲まわす場合では決してない。と思う。そうであって欲しい。今さらながら、降りしきる雨の中《このコを拾ってやってください》と張り紙された段ボールごと彼女を拾ってしまったことを後悔した。

 ええい捨て主め。どんな事情があったのかなんて知らないが、なにもこんな梅雨の時期にあんな、あからさまに人目につく雨ざらしの場所に捨て置かなくてもいいじゃないか。お人好しの情につけ込むような真似をして。なんという策士。


「ああ、もうっ! わかったわよ。ここに棲まわせてあげる」

『本当か?』

「ええ」


 雨ざらしでない場所に改めて捨ててくるという選択肢も、無くはなかったけれど。美桜を含め、お人好しはまずその選択肢を選ばないだろう。


「あそこで出逢ったのも何かの縁でしょうから。拾ったのはアタシの意思だしね」

『それは助かる。有り難い。よろしく頼む』


 元とは言えさすが王族といったところか礼節は心得ているようで、白猫は四足をきれいに揃え、“お座り”の姿勢で深々と頭を下げた。


「こちらこそよろしく。――ええっと……アタシは松下美桜っていうんだけど。あなたの名前は?」

「私の名か? 私はプルウィア・レ・セリアシアという。前世が失われたセリアシア王国の王女だった者だが今はしがない猫に過ぎん。プルウィアと呼んでくれていい」

「え、プルウィアっていうの?」

『そうだが。変か?』

「ううん、良い名前だと思う」


 プルウィア。確かラテン語で雨を、そんな風に言うのだ。


 かくして、後のことは考えないようにして、美桜と自称・元王女さまだった化け猫との共同生活が始まったのだった。



            2


 招き猫は人やお金を呼び込むが、化け猫は厄介事を呼び込むらしい。

 動物専門の病院はあちこちにあるが、動物専門の相談所(という名の何でも屋)というのは、日本全国で見ても美桜の部屋だけだろう。

 相談者は、最初はご近所の野良猫たちだった。

 色々とあったが、主に多いのは住み処や食べる物に関する相談だった。(いわ)く、住み処にしていた空き家がある日突然取り壊され、宿無しになってしまった。曰く、飲食店だったところがなぜか雑貨店に変わってしまい、餌のアテにしていた生ゴミが出なくなってしまった。曰く、縄張りを野良犬に奪われてしまったが、どうにかして取り返したい。

 他には、最近仔猫が産まれたのだが、四匹のうち一匹を、人間の子供に連れ去られてしまっただとか、カラスと縄張り争いをしているのだが、必勝法はないだろうか。というのもあった。それらを解決してやると、相談者の幅は一気に広まった。野良犬や山里に棲む狐や狸、色んな鳥たちまで。熊からの依頼を請け負ってリスがやって来たこともある。

 人間社会に共通言語があるように、動物たちの社会にもそういうものがあるらしく。プルウィアが仲介者兼通訳となって、色んな動物たちから色んな依頼(という名の厄介事)を受けて美桜の部屋に持ち込んでくるのだ。

 それだけならまだいい。再三言うが、プルウィアは化け猫なのだ。妖怪変化の類である。ということで、木霊(こだま)妖狐(ようこ)河童(かっぱ)座敷童(ざしきわらし)といった、怪異からの依頼も少なくなかった。

 イヤなら断ればいいじゃないかという人もいるだろうし確かにそうかもしれない。ところが、美桜は一緒に暮らしてみてわかったのだがこの白猫、前世が王女だったがゆえのカリスマ性というのか、特有のオーラを持っており、猫にしておくのはもったいないくらい情に厚く、人望ならぬ猫望(びょうぼう)?があり。そのうえ美桜と同じくらい――もしかしたら美桜以上に――、頼まれたら嫌と言えないお人好しなのだ。類は友を呼ぶとはよく言ったものである。

 動物や怪異たちの厄介事を承って解決するようになって良かったことがひとつある。それは、人とは違った情報網や力を借りられるようになったこと。美桜はそれを活用することによって、美桜の周りの人たちの困りごとを解決できるようになったのだった。



             3


 一ノ瀬さやかの身辺で奇妙なことが起こるようになったのは七月の下旬、だいたい例年通りに梅雨が明けた頃からだった。まず朝、部屋の中にいくつも置いてあるさまざまな目覚まし時計が鳴るより早く、誰かに体を揺すられる感覚があり、それで目覚めるようになった。家族の誰かが起こしてくれたのかと思い上体を起こして部屋の中を見回すのだが、そこには誰もいない。もしかしてまだ夢の中にいるのかと思い頬をつねってみる。確かな痛みがある。だとすればこれは間違いなく現実だ。リビングに降りて念のために家族に()いてみるが、返答はいずれも否。

 日中も同じく。とにかく眠くて、キャンパス内のベンチにいても講義中もついつい居眠りしてしまうのだが。

それで寝過ごしてしまっていたそれまでと違い、朝と同じように誰かに、服の裾を下からくいくい引っ張られる感覚があり、それで目覚めることができるようになった。良いことというか有り難いことではあるのだが奇妙で、正体を突きとめたいのだが、誰にも相談できずにいた。


「それがどうして、アタシのところへ?」

「妹さんの乃々花から、美桜さんのことを聞いて。美桜さんだったら、正体を突きとめられるんじゃないかなと思ったんです」

「なるほどね」


 さやかはいま、美桜のアパートにいた。話は、数日前にさかのぼる。



「さーやん最近、急に時間に正確になったね。何かあったの?」


 さやかは、キャンパス内のカフェスペースで、美桜の妹で学友でもある松下乃々花にそう問われ、梅雨明け頃から自分が体験したことを包み隠さず話した。すると、


「ふうん、そうだったんだ。そうかぁ……。それで? さーやんはその、自分を起こしてくれるものの正体を突きとめたいのね?」

「う、うん。でもこんなこと、誰にも信じてもらえないよね。ののだって、信じられないでしょ?」

「そんなことないよ。さーやんの言うことだもの、信じるよ」

「本当に?」

「うん。それにね、そういうことだったら解決してくれそうな人だっているよ」

「まさか」

「本当だって」

「えー……それって、誰?」

「私のお姉ちゃん」


 それから乃々花は、姉がこれまで関わって解決してきた、動物や怪異たちの困りごとの数々をさやかに話した。



 そうして、その週の土曜日、つまり今に至る。

 美桜は、まっすぐさやかの目を見て話を切り出した。


「一ノ瀬さんは妹の、乃々花の話をどう受け取ったの?」

「最初は有り得ないと思いました。でも聞いているうちに、私が体験したこともそれらと同じ、普通には有り得ないことなんだってことに改めて気づいて。にわかには信じることはできないけど、信じようと信じまいと、その有り得ないことは確かに起きていて。美桜さんだったら解決してくれるんじゃないかってそう思いました」

「うんうん。魔とかもののけ、妖怪や怪異なんて本当にいるものかって、普通は思うよね。でもいるんだよ、確かに存在してる。むやみに人間に姿を現したり自ら正体を明かしたりするわけにいかないから、その存在に気付く人と気付かない人がいるの。霊感の有無はあまり関係ないわ」

「そうなんですか?」

「例外もあるから言い切ることはできないけど、少なくともアタシは、霊感なんてまったく無いわ。化け猫と意思の疎通ができるのも、向こうが人間の言葉を話せるからなのよ」

『その通り』


 唐突に、物陰から声がした。


「うひゃあ!」


 不意に現れた白猫に驚いて、さやかは小さく飛び上がった。


『おっと。失敬、驚かせてしまったか』

「わざとでしょう」

『人聞きの悪いことを言うな』

「黙れ。ここに棲みつくために、念波がどうのとか言ってアタシを騙したクセに」


 美桜の方は動じることなく、悪びれた様子のないプルウィアの言動の真意を突き、反論を一蹴(いっしゅう)した。


『いつまで根に持っておるのだ。そんなことよりいまは、客人の依頼を解決してやるのだろう?』

「話をはぐらかすな、と言いたいところだけどその通りね。――ごめんなさいね、話の腰を折ってしまって」


 さすがに痛いところを突かれて白猫への追及をやめ、さやかに謝った。


「いえ、大丈夫です。でも、彼女がプルウィアですか? 乃々花から聞いてはいましたが、本当に人と話ができるんですね」

「ええ。驚いたでしょう? 要らない面倒を起こしたくないから(おおやけ)にはしないでね」

「わかりました」

「ありがとう。それより、貴女(あなた)を起こしてくれるモノが何なのかを知りたいのよね」

「はい」

「答えを言う前に。貴女、梅雨明け前の休日に自分がしたことを覚えてる?」

「梅雨明け前の休日に私がしたこと……?」

「そう。貴女を起こしてくれているのは、その時の猫よ。正確に言えば、その残留思念」



             4


 標本士(ひょうほんし)と呼ばれる仕事をしている人がいる。動物や岩石などの自然素材を用いて標本を作り、それを博物館などに納める仕事をしている人が。日本にはそのような資格はないが、ドイツでは世界で唯一、標本士に必要な知識や技術を専門に学ぶところがある。

 さやかには骨格標本士の知り合いがいて、動物の死体から標本を作る工程を何度となく見ているので、大抵の動物の死体に対して免疫があった。だから、梅雨が終わりに近づいていた雨の休日に、野良猫の轢死体(れきしたい)が通学路に転がっていても、他の通行人のように怖がるでも気持ち悪がるでもなくごく冷静に、それを拾い上げて毛布にくるんで自宅に持ち帰り、庭に埋めて(とむら)うことができた。


「その野良猫が、自分を手厚く弔ってくれた貴女への恩義で、貴女を助けてくれているのよ」

「それってつまり、その野良猫の霊が、私に()いているってことですか?」

「うーん、憑いているっていうのとは、違うんじゃないかな。むしろ守護霊って言った方が適切かもしれないわね。少なくとも、悪いものではないわ」

「じゃあ、チャトラの霊が、私を起こしてくれていたんですか……」

「チャトラ?」

「その野良猫に、私が勝手につけていた名前です。何年か前からほぼ毎朝、ウチにごはんを食べに来ていたんです」


 それを聞いて、美桜はプルウィアを通して野良猫の霊――チャトラに訊ねた。


「そうなの?」

『ああ、どうやらそのようだ。つまり、生前に世話になった礼も兼ねての行動らしい』

「そうだったんだ……。チャトラ、今この場にいるんですか?」

『ああ、ちょうど私の傍ら、この辺りにいるぞ』


 プルウィアは、さやかにもわかるように、茶系のトラ柄をした猫の霊がいる箇所を両の前足で囲んで示した。


「そうですか」


 そう言ったさやかは目に涙を溜めて、その辺りに向かい、


「あなたがいつも私を起こしてくれていたんだね。ありがとう。でも、それだといつまでも私が寝坊助(ねぼすけ)のままじゃあなたが成仏できないでしょうから、これからはちゃんと自分で起きられるように、いろいろな方法を試してみるね」


 と、穏やかな笑みとともに声をかけた。それからプルウィアがそれを通訳している数秒の間があり、チャトラからの返事を訳した。


『そうしてくれると有り難い、だそうだ』



             5


 さやかの依頼が解決し、その帰り際のこと。


「美桜さん、それにプルウィア。今日は本当にありがとうございました。私、なるべく早く、ちゃんと自分で起きられるようになるように頑張ります」

「うんうん、貴女自身のためはもちろんだけど、チャトラのためにも頑張ってね」

「はいっ」

「それから、一つ約束して?」


 美桜は顔の横で人差し指を立ててそう言って、お互いの鼻と鼻がくっつきそうになるくらいさやかに顔を近づけると、怖いくらいの笑顔でこう言った。


「今日ここで見たこと聞いたことは、ウチの妹以外には絶っ対に他言無用。守れる?」

「わ、わかりました、守ります」


 さやかはその迫力と圧力に若干(じゃっかん)怖気(おじけ)づきながら、美桜と約束した。それを聞いた美桜はさやかから顔を離して、


「うん、良い返事」


 と笑って言った。それを見てプルウィアは、


『半分、脅迫ではないか』

「何か言った?」

『いや、何も』


 と言って口をつぐんだ。そのやり取りをどこか微笑ましく見ていたさやかは、


「また何か非常識な困りごとができた時は、よろしくお願いします」


 美桜とプルウィアにそう言って礼をして、帰っていった。


「え、ちょ、ちょっと。それはこっちが困るんだけどっ」


 美桜があわててそう言った時にはもう、さやかの姿はそこにはなかった。



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