飼い主みたいな、僕。
「ロレッタさん、起きてください。もう朝の鐘が鳴ります」
パンを焼きながら布団の塊に声を掛ける。塊からは長い足が片方だけ飛び出していて、それが微かに揺れている。どうやら布団から出たくない意思を示しているようだ。
「………ロレッタさん、今日は自家製のジャムを持ってき…」
「おはよう!ライリー」
僕が喋り終わる前に布団からロレッタさんが飛び出して来た。相変わらず頭はボサボサだし、服があまりにもヨレヨレ過ぎて艶かしい肢体がその隙間からチラリと見える。
「…!ロレッタさん!上に何か着てください!わ、この人もう食べ始め…」
僕が注意する前にロレッタさんは机に並んだ朝食に手をつけている。
「ちょ、行儀!行儀悪過ぎます!あ、こら、ジャムのスプーンそのまま舐めない!」
まるで小さい子を相手にするように、上掛けをロレッタさんの肩に掛けながら彼女を諌める。
「ライリーが美味しすぎる朝食作ってくれるからねー。行儀が悪いのは料理が上手いそっちのミスよ。手が止まらないもの」
ボサボサのロレッタさんはうふふ、とパンを頬張る。ただのロールパンが彼女の手に掛かればとても美味しそうに見えるのは、食べてる本人が幸せそうに頬張っているせいだろうか。
「朝から固形の美味しい食事があるなんてホント幸せ」
リスのようにパンを詰め込んで、ロレッタさんは僕が用意していた資料に目を通す。身なりはクシャクシャだけど、横顔と所作は相変わらず美しい。
「今度調査で東の方に行くのよ…って私言ってたかしら?ちゃんと地図まで出してあるからびっくりしちゃう。偉いね、ライリー」
目を細めて笑いながらサラリと僕の事を褒めてくれるので、何だか少しこそばゆい。この人も無自覚の人たらしだ。
僕が朝のロレッタさんの様子を見に来るようになったのは、この前の"判子が一生見つからない事件"の後。
僕の片付けに感動したのがロレッタさんで、ロレッタさんの判子付き書簡を持ち帰った事に感動したのがマッジ隊長だ。
マッジ隊長曰く、どうやら僕はロレッタさんから判子のついた書簡を持ち帰った初めてのお使い人だったそうで。
マッジ隊長はそれにいたく感動して、一週間後にまたロレッタさんへのお使いを僕に頼んだのだ。
そしてそこで僕は膝から崩れ落ちる。また"完璧な汚部屋"になっていたせいだ。
どうして一週間でこんなに汚くなるんですか!と言うと、ロレッタさんは悪びれもせず、一週間もあれば十分に汚せるわよ!などと言って、僕たちは軽く小競り合いをしてからまた判子を探したのだった。
まさかと思い数日後に様子を見に行ったら当然のように汚部屋。三日でも駄目。下手すれば二日で汚部屋が始まる様子を見て、朝に様子を見にくるついでに片付けをしていたら、それが日課となり、ついでに朝弱いロレッタさんに朝食なんかを作ってみたら、それもそのまま二人の日課になってしまった。
ロレッタさんは僕が思っているよりずっとずっとだらしなかった。けれどスイッチが入るとバリバリと仕事をこなし、とんでもない集中力をみせる。
そして自分の部屋に戻ってふにゃふにゃになるみたいで、それがこの部屋の原因かも?と笑いながら言っていた。
部屋でだらしなく過ごしているロレッタさんは散歩の時に見ていた彼女とずいぶん想像が違った。
だけど。
「さ、今日も一日頑張れますように!」
自分で頬をペチペチと叩くと彼女の瞳に力が入る。口をナプキンでサッと拭って、立ち上がった時には全てのオーラが"騎士団の副隊長"に変わる。その佇まいが、
「やっぱりかっこいいんだよな…」
僕は呟く。
テキパキと着替える彼女をぼんやり見惚れる僕をお構いなしに、ロレッタさんはどんどん着替えを進める。
「もう!ロレッタさん!何度言ったらいいんですか!同室に異性がいる時にそんなポンポン服を脱がな…わ、わ!せめて何か着て!」
殆ど下着にしか見えない胸当ての格好で、ロレッタさんがこちらに向いてニカリと笑う。
「だてに男所帯で仕事してないわよ。いい?私がたとえ裸でいたって、ライリーがスケベな目で見なければいいのよ?」
「どうしてそういう無茶苦茶な理論になるんですか!それに、ぼ、僕は絶対ロレッタさんをそういう目で見ません!」
僕があまりにも勢い良く言うと、ロレッタさんがまたニカリと笑う。あ、これは悪い事を考えている時の顔だ。
ロレッタさんは着替える手を止めて、こちらへヒタヒタと歩いて来る。
「…ロレッタさん?とりあえず服をちゃんと着……わー!!!」
こちらへ向かっていた彼女が急に視界から消えたと思ったら、僕の体が固まる。いつのまにか後ろに回ったロレッタさんが、僕をしっかり拘束しているのだ。
「やーね、ライリー、私だって女なんだから。正面からそんなに否定されると泣いちゃうわよ。でも確かに私の方がちょっとだけ強いもんねー」
けらけらと笑いながら僕の後ろにピッタリとついて、ロレッタさんが拘束を強める。
「ふざけないでください!ロレッタさんと僕じゃ実戦の数が…わ、その、む、胸が当たってます!ロレッタさん、当たってるってば!もう!」
「隊長仕込みの拘束だからね。そう簡単には解けないでしょー?ね、私、けっこう強いでしょー??」
見えないけれど後ろでニヤニヤしているロレッタさんの顔が想像出来る。
「もう!早く用意しないと遅刻しますよ!あんまり揶揄うと、もう来ませんからね!」
その言葉ですぐに体が解放される。後ろを振り向くとションボリしたロレッタさんがいる。眉毛もずいぶんと下がっていて、僕は大きくため息を一つついて言う。
「また明日も来ますから、早く用意して行きますよ。僕も遅刻しちゃうから」
その言葉を聞いてロレッタさんは分かりやすく表情が明るくなる。その様子はまるで力を持て余している大型犬のようで、僕はその憎めない様子に困ったような嬉しいような複雑な気持ちになってしまうのだった。