奔流の中に、僕。
「ライリー、すまないが起きてくれ。水門が大変な事になっているみたいだからすぐ行くぞ」
父さんの声で僕はぼんやりと目を覚ます。
ダンさんは悪くないと分かっていても、彼の行動に何か粗が無いか探してしまいそうな自分に嫌気がさして、昨晩はあまり寝付けなかった。
窓の外を見るとまだ暗く、深夜といっていい時刻だ。
「どうしたんですか?」
寝ぼけた頭で父さんに訊ねる。
「どうやら柱の一部が流れてしまったらしいんだ。今は小雨だからギリギリもっている状態らしい。被害が浅い内に、村人総出で壊れた場所を塞ぐ。万が一雨足が強くなって柱ごと流されては大変だからね」
僕と父さんはいつもの服ではなく、用意していた作業着に着替えて父さんと現場へ向かった。
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現場へ着くと、ゴゴゴゴと地面が響くような激しい水の音が聞こえる。柱が一部が大きく割れてしまっていて、その裂け目から水が勢いよく噴き出していた。
村の人たちはびしょ濡れになりながら土嚢袋を裂け目に積み上げている。
「…これは大変だ…。ライリー、お前は上流の方へ行って川を枝分かれにする作業の手伝いをしてきてくれ。道沿いに行けば作業をしている一団がいるから、そこで出来るだけ水流を抑えてくれ。私はここで一緒に穴を塞ぐよ」
「わかりました!馬を借りてもいいですか?」
「あぁ。道が悪いから十分に注意して走るんだぞ」
「はい!」
宿屋の主人に訊いて近くの厩舎から馬を借りる。馬の扱いは最低限出来るけれど、深夜に乗るなんて事はめったにない。黒色の毛並みが美しい馬を撫でながら、挨拶をする。
「僕あまり上手くないかもしれないけど、よろしくね」
フルルと鼻息で僕の様子を伺う馬に、鞍と鐙を装着する。初めての相手にも物怖じしない賢い子だ。
「ライリー!」
馬具の確認が済み、ちょうど跨った時に後ろから声がする。
「……ダンさん」
「その黒い子に乗るんだな?そいつはベテラン馬だから、泥濘くらいは平気で走るよ。ただ、雷が苦手だから雷鳴が聞こえたら速度を落として走るように。早く走っている時に雷鳴を聞くと興奮状態になってしまって制御出来なくなるから。早めに速度調整を。いいね?」
「……はい。わかりました」
僕が馬に乗れないひよっこだと思って追いかけて来たんだろうか…。そう嫌な見方をして頭を振る。雨に濡れながら息を切らして様子を見に来てくれたんだ。心配で来てくれたに決まっている。そんなダンさんを見ていると、自分がまだまだ未熟者だと実感してしまって情けなくなる。
「ライリー?大丈夫かい?」
「…あの。こんな時に聞く事じゃないと分かっているんですが…」
唇を噛み締めて僕は俯く。
「ん?どうした?夜道の馬は不安かい?一緒に行こうか?」
「……いえ、大丈夫です。………あの…」
「うん?」
「……どうして」
ダンさんは優しそうに微笑んで僕の言葉の続きを待っている。本当はすぐに作業に戻りたいだろうに。ダンさんがもの凄く嫌な奴だったら良かったのに。そうすればこんなに言葉は詰まらなかっただろう。あの時の食堂での言葉は別にして、彼はとても良い人で、だから…。グルグルと色んな考えが回る。
「…ライリー。………君はアリアストリ卿の所へ戻るんだ。そんな状態で馬に乗ったらこの子に不安が伝わってしまうよ。上流へは僕が行…」
「ッ!行けます!僕にだって…ちゃんと出来ます!ダンさんじゃなくたって、出来ますから!」
無理矢理話を遮って、僕は馬の腹を蹴って動き出す。少し力が強かったせいか、馬は最初から速歩で進んでしまい僕は大きくバランスを崩す。
「危ない!!ライリー!!!」
「大丈夫です!僕、出来ます!」
後ろからダンさんの声が聞こえて、その優しさと自分の性根の悪さに泣きそうになりながら馬を走らせた。
黒い雲の隙間から稲光が走っていたのを、その時の僕は全然気付いていなかった。
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「……あ、あれ?」
手綱を引いても馬の速度が下がらない。首を撫でながらゆっくりと縦髪も引いてみる。それでも速度は落ちるどころかどんどん上がる。
何度も手綱を自分の腰の方へ。握り直して引っ張るけれど、むしろそれに比例して馬の速度は上がり、興奮も上がっているみたいだ。首を軽く叩いて声を掛けてもまるで気にせずどんどん走る。
「どうして…?」
手綱に汗が滲んだ時に、遠くで雷鳴が聞こえ、僕は急に頭が冷えた。進路に気をつけながら空を見ると、結構な頻度で遠くの雷鳴が聞こえる。
雷鳴が聞こえたらすぐに速度を落とす、ダンさんはそう言っていたはずだ。雷が鳴ってからどの位経っているんだろう。馬は完全に興奮状態に入っていて、いくら首をペチペチと叩いても反応を示してくれない。
何とかしようと手綱を拱いていると、ゴウゴウと川の音が近付いて来た。このままだと馬と一緒に川へ突っ込んでしまう。
「どうしよう。お前まで怪我をさせてしまう」
馬を一生懸命さすって落ち着かせようとしても、フルフルと首を振ったまま直進をやめない。
殆ど首にしがみついたまま、一生懸命声をかける。
「ごめんよ。考え事ばかりして、お前の嫌な事に早く対応してやれなかった。ごめんよ」
ペチペチと首を撫でて声を掛けると、ふいに速度が遅くなった。僕の声が届いたのかと思ったら、どうやらそうではないらしい。上流の方から何か騒がしい音が聞こえて、僕はそちらに目をやる。
「……隊長さん!!」
心強過ぎる集団が見えて、僕は目を見開いた。その集団は第二騎士団で、先頭はシオン隊長だ。
「お?ヒヨコか!あー!そいやこの辺はアリアストリ領だったな。水門が壊れたって聞いて修繕の手伝いに来たぜ……って、ちょ、おい、お前…そんなに馬早く走らせたら危ねぇぞ」
並走しながら、鞭で僕の馬をパチリと叩く。一瞬驚いたその瞬間に手綱を引くと、さっきまで少しも言う事を聞かなかった馬が落ち着き出した。
「あ、ありがとうございます。この子雷が苦手な子で、制御出来なくなっていて」
「あーそういう馬多いよ。良くここまで乗って来たな。お前も上流へ向かうんだろ?」
「はい、僕は水量の調整を言われて…」
「ライリー」
ふいに後ろから彼女の声が聞こえて、僕は思わず足で馬の腹を蹴ってしまった。その時、ちょうど大きな雷が鳴り、馬が嘶く。
「わ!わ…!」
前脚を大きく上げた馬に僕はしがみついていられず、大きく振り落とされてしまう。
振り落とされたその先は、ゴウゴウと大きな音を立てる濁流だった。