私、反省をする。
危ない。
そう思った時には遅かった。
扉の向こうから、分かりやすい敵意。ライリーを床に倒して相手の手元に目をやると、果物ナイフのような小ぶりの刃物が見えたので、すぐにそれに応じた姿勢を構える。
赤茶の髪に琥珀色の肌。少し前、国境付近で暴れている暴徒を鎮圧しに行った際に、こういう風貌の人間がいた気がする。北方の漁村の民だったか。
フーフーと息は荒いが、動き自体は素人だったので、さっさと捕まえて近くの紐で縛り上げる。自害しないように布を口に噛ませて隊員が来るまで待つ。
私に向かってやたらと激昂した眼差しを向けているが、それはどうでもいい。
それよりも。
伏目で考え込んでいるフワフワの少年に目をやると、綺麗な肌に糸のような赤い筋。頬を切られてしまったようだ。
その一筋の紅色は、調子に乗っていた私の頭を冷やす。彼の制服の裾の釦も、倒した拍子に一つ外れてしまっていた。
真面目な人間と同じ空間で過ごした事がなかった私は、彼の優しさにすっかり甘え、朝の癒し時間を満喫してしまっていた。それだけでなく、一般人である彼を危険な目に遭わせてしまった。
騎士団副隊長という肩書きを持つ者の素行としては最悪である。
もうここに来てはいけないと告げると、ライリーは納得がいっていない様子だった。だらしない女の世話を、彼は少しばかり楽しんでいたのかもしれない。上品な彼の周りに私みたいなガサツな女は居ないだろうし。
説明しようとすると、もういい、そう言って彼はトボトボと去って行く。怖い思いをさせちゃったな、真面目なライリーの事だから、宣言をした限りもうここには来ないだろうな…そう思いながら彼の背中を見送った。
床に転がる制服の釦を見つけても、もう私には追いかける事は出来なかった。
「……タ。おい、ロレッタ」
宿舎横の食堂でぼんやり座っていると、後ろから声を掛けられる。
「………隊長…」
「今日は昼から馬走らせるんだから、ちょっとは飯食っとけよ」
ドカリと向かいの席に座り、彼は自分の食事を始める。私のプレートの上の料理は、ぼんやりしてる間に冷えてしまっていた。
「…雛鳥の事はあんま気にすんな」
「……………無理ですよ。怪我させちゃったし」
暴漢に襲われてから、ライリーは全く私の所へ来なくなった。来るなと言ったんだもの、それで正解の筈なのに、私は何だかジクジクとした思いになる。
あの一件から結構な時間が経つのに、ふいに思い出して落ち込んでしまう。
「あいつもだいぶ怒られたらしいけど、腐らずに勉学に励んでるらしいぜ?」
「…….え?」
「騎士団の宿舎に入り浸るのは…まぁギリギリいいとして、相手がお前んトコだからな。学園でも多少の指導は入るよ。当然だ」
「何で…」
「いくら分別のある副隊長様の部屋とはいえ、片方はまだピヨピヨの未婚学生だぜ?そりゃそうだよ」
「別に何もやましい事ないのに…」
「こういうのにお前達の事実はあんま関係ねぇよ。分かるだろ?」
「……そうですね」
フワフワのヒヨコに不名誉な傷をつけてしまったな…と私は更に落ち込む。
「まあ誰も大きい怪我しなかったんだらヨシとしとけ。あの手の雛鳥に懐かれるのは心地良いからしょうがねぇわな」
「…しっかり者の弟が出来たみたいで嬉しくて、私」
「……弟か。お前一人っ子だったっけ?」
「はい。身内が例の父だけだから…。何だか正しくてキラキラしてる子に気を遣わなくていいのが、とっても快適で」
そこまで聞いて隊長はクイっと片眉を上げて私を見る。
「もう少ししたら王室の学期も終わるから、雛鳥も成鳥して今度はちゃんとお前の世話しに飛んで来るんじゃねぇの?」
少し考えてゆっくりと首を振る。
「…それは無い、きっと」
そしたら彼は真面目に次期伯爵として社会に出て行くのだろう。きっと領民から慕われる良い青年になるに違いない。
そんな未来ある若者に変なちょっかいるかけちゃったな、私はもう何度目かになる落ち込みに襲われるのだった。
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「…やっぱり汚い部屋ですね、ロレッタさん」
前は同じ高さの目線だったフワフワのヒヨコ君が、余裕のある笑顔で私の部屋にやって来たのはそれからちょうど一年後だった。