月夜
ふと、目を覚ますと、窓辺に誰かがたたずんでいるのに気付いた。
──ニコラくんだ。
眠れないのかな?
ただ、静かに窓の外を眺めている。
レアナを起こさないように、そっと布団を抜け出した。
窓際まで静かに歩いて、ニコラくんの隣で空を見上げてみる。
まん丸の月と、満天の星空。
「……起こしちゃいましたか?」
ニコラくんが、少しだけ首をかしげて笑った。
「ううん、なんか目が覚めちゃって。ニコラくんこそ、眠れなかったの?」
「なんだか……考えがまとまらなくて」
いつも冷静で理知的なニコラくん。
でもさすがに……プレッシャー感じてるんだろうね。
「僕……全員を転移魔法で帰還させなきゃいけないんです」
「うん」
「絶対に、誰ひとり欠けずにみんなで帰るって……それが僕の役目だと思ってるんです」
ニコラくんは、窓ガラスを指さすと、きれいな魔方陣を浮かび上がらせた。
いつ見ても、ニコラくんの魔法は美しいなって思う。
「でも……本当に、魔王に勝てるのかな。僕が先に死んだら、みんなはどうなるんだろうって……」
「そんなこと……考えなくてもいいよ。誰も死んだりしない。だって、そのためにエヴァ先輩がレッドゾーンへ行くんだよ?」
「……ルイーズさんは、怖くない?」
「そりゃあ怖いけど……でも、大丈夫。本当はね、魔王って勇者ひとりでも倒せるんだよ? だけど、実際には勇者が三人もいるでしょう? 魔王もびっくりすると思うよ」
「ははっ、そうですね。それはきっと驚くでしょうね」
ニコラくんは指先で魔方陣をもてあそぶように、くるくると回している。
こんな器用ことができるの、ニコラくんだけだよ。
本当に、大賢者なんだから。
「ねえ……ニコラくん、覚えてる? 私が勇者になんてなりたくないって、泣きわめいたときのこと」
「もちろん覚えてますよ。忘れるはずがありません」
「勇者になんかなったら、お嫁に行けないなんて、そんな小さなことで悩んでて」
「でも、ルイーズさんにとっては大事なことでしょう? 小さなことなんかじゃありませんよ」
「……私、絶対に魔王に勝って、学園に戻りたい。一緒に卒業しよ? ね?」
「……そうですね。一緒に卒業しましょう」
「だから、頑張ろうよ。楽しい学園生活に戻るために」
「……戻りたい……ですね。あの頃に」
いろんなことが、走馬灯のように頭の中をめぐっている。
マルクやレアナ、ニコラくんと月見草をとりにいったこと。
四人で冒険者登録をして、パーティーを組んだこと。
一緒に学園祭でダンスを踊ったこと……
どれもがこの世界での現実で、絶対に守りたいものばかりだ。
「……これ、覚えてる?」
肌身離さず身につけていた、ペンダントを取り出して見せる。
ニコラくんが初めてプレゼントしてくれたものだ。
マリアナへ行ったときに、街の骨董屋さんで見つけたやつ。
バラの花の形をした、小さなベージュ色の碧玉。
「ああ……まだ持っていてくれたんですね」
「うん、とっても気に入ってるんだ。お守りにしてる」
「もっといいものをプレゼントできたらよかったんですけど……」
「ううん、これがあると勇気が出るんだ」
ニコラくんの冷たい指先が、そっと私の手に触れて……
手をつないだ。
ふたりでしばらく黙って星を見ていた。
誰かが寝返りをうつ音がする。
眠れない人が他にもいるのかな……
「……そろそろ、戻ろっか」
私がそう言うと、ニコラくんがうなずいた。
「はい。あまり起きてると、レアナさんに怒られそうですしね」
「怒るかなあ……むしろ寝言で話しかけてきそうだけどね」
私がクスっと笑うと、ニコラくんもつられて笑った。
そっと布団に戻ると、案の定レアナが寝言で「ファイヤーボム」とかつぶやいてる。
……なにそれ。夢の中でも騒がしいなあ。
寝言で魔法を発動することなんてあるのかな。
だとしたら危ないなあ。
──明日、いよいよ出発だ。
きっと、大丈夫。
みんな一緒に帰ってくる。
頭の中でゲームでラスボスを倒す手順を、何度もシミュレーションした。
そして、いつの間にか、ぐっすりと眠りに落ちていた。
翌朝、目を覚ますともうみんなそれぞれ支度を始めていて。
レアナに「ねぼすけ」って言われた。
思ったよりよく眠れたみたい。
私って神経図太いのかなあ。
あれからニコラくんは眠れたかな、と思ったけど、すでに姿はなかった。
多分、スワンソン先生のところへ行ったんだろうな。
出発の前に、ゴーレムたちのチェックをしないといけないと言っていたから。
いつものように食堂で朝食をとっていると、ワルデック先生がやってきた。
すっかり戦闘準備をして、背中には大剣と、トレードマークの棍棒を背負っている。
隣にはクロエさんがぴったりと寄り添っていて、朝っぱらからラブラブだ。
「ワルデック先生、別にお留守番しててくれてもいいんですよー!」
「そうですよ! 新婚さんなんですから!」
「うるさい! お前ら! 黙って飯を食え!」
レアナとふたりでからかったら、ワルデック先生が赤い顔で照れている。
なんだか、めずらしいな。こんなワルデック先生。
いつもと同じ明るい食堂の雰囲気に、少し緊張がとけた感じ。