蝉川。
「それは……どういう事かな?」
ビリド氏は警戒した様な眼差しをニャームズに向けている。
ニャームズという猫を図りかねている……私にはその様に見えた。
「いや。失礼。僕としたことが先走ってしまいました。ここに来たということは依頼があるのでしょうが、どうか僕の質問にいくつか答えてはもらえませんか?」
ニャームズがゆっくり優雅に深々と頭を下げて頼むので、ビリドも少し警戒心が薄くなったのか、撫で肩を2.3回揺らした後に
「どーぞ」
と言った。
「まず貴方は蝉語をどの様にマスターしましたか?」
「突然だ。突然わかったんだよ」
ニャームズはその答えに納得がいっていないのか、細かい質問を矢継ぎ早に投げ掛けた。
ははぁん。これはきっと彼は挫折は初めてなのだろう。
『同じ猫に学問で負けた』。
これは彼にとって屈辱であり、受け入れがたい現実なのだな。
でも猫生なんてそんなもんである。
買ったり負けたり……いや、圧倒的に負ける事のが多い。
ニャームズ。世の中には信じられない天才はいるのだ。
私は君に出会ってそれを学んだ。
動揺する必要なんてないんだよ。
ウェルカム・ニャームズ君 凡猫の世界へ。
私は君を歓迎する。
これに懲りて君も『そんなこともわからないのか?』という顔を私に向けるのを止めるように……
たくさんの負けを経験した凡猫の先輩として色々彼に教えてやろう……ふふふ。
「おい! ニャトソン!」
「ん?」
私が、凡猫になり、延々とキャットタワーに上っては降りる笑顔のニャームズを妄想していたら、ビリドへの質問と回答は既に終わっていたらしい。
ビリドにもう一度説明させるのは失礼だと思ったので、私はニャームズに一通り説明してもらった。
……
「うん。わかった。つまり『とある事件』の解決の為にわざわざ東京の雲丹伊倉から我々の所を訪れたと」
東京がどこにあるかも距離もわからないが、ビリドのやつれ方を見ればどれだけ過酷な旅だったのかがよく分かる。
汚れも酷いし、足も怪我をしている。
これはフジンの『おもてなし』が必要だなとニャームズに同意を求めようと見ると例の『ここまで聞いてこんな事もわからないのか?』の顔をしていた。
「ニャトソン。それでも君は僕の相棒かい? ビリドさんは毎年夏になると蝉川氏と会話していたと言うんだよ?」
「うん」
「ビリドさんは蝉語を理解できるようになり、今年の夏に成虫となった蝉川氏のお願いで東京からこの鰹が丘までやって来た」
「そうだ。そう聞いた。おかしい所はない」
「いや、おかしい」
「だから何が?」
「おかしい……が、僕は今『種族を越えた友情』と『蝉の賢さ』の感動に猫背を震わせていますよ。蝉川氏。うーん。堅苦しいな。蝉川さん。依頼の内容は是非あなたに説明して欲しい。あなた『猫語』を話せるのでしょう?」
「はぁ? 何を言っているんだ? 君は?」
ニャームズの感情たっぷりの演説に蝉川氏もどうしていいのかわからないのか『ジジっ』と鳴きながらじっとニャームズを見つめている。
怒っているようにも悲しんでいるようにも見える。
私には昆虫の表情を読み取る事など出来ない。
彼は何を考えているのだろう? 私は気になったのでビリド氏に
『蝉川さんは何と?』と訊いた。
「えーっと。これはだな? 多分……」
ニャームズがビリド氏の言葉を遮り、蝉川氏に向かって再び訊ねた。
「ビリドさん。今私は蝉川さんに訊いているのです。蝉川さん? あなたは猫語を話せますね?」
「ジジ」と鳴きながら蝉川氏はビリド氏の方を見つめた。
ビリド氏も見つめ返す。
何秒か見つめ合った後、ビリド氏は片目を瞑り、まぁ。お前の好きにしなよ」と言った。
するとビリド氏はニャームズに視線を移し、なんと流暢な猫語で話始めた。
『こんばんは。もうご存知でしょうが。私蝉川と申します。流石ニャームズ先生だ。『猫で一番頭が良い』……あの娘の言うことは正しかった』
「……わふっ!?」
「あーー!」
ケーブは驚きの声を挙げただけだったが、私は蝉が喋った事に驚いて一度ひゃあと立ち上がり、そのまま後ろにスッテンコロリンしてしまった。
「ああ。大丈夫ですか? ニャトソンさん? 驚かせてしまって申し訳ないです」
「あーー! 礼儀正しいよー!」
話せるだけでなく礼儀正しいとは! 私はまた驚いて立ち上がり、先ほどより勢いよくスッテンコロリンした。
別に礼儀正しい事に驚くことはないのだろうが、猫にとって蝉が猫語を話すのはこれ程までに驚くべき事だというのはわかって欲しい。
計6回スッテンコロリンし、ようやく私は落ち着く事が出来たのだった。
見栄に聞こえるかもしれないが、普通の猫ならば10回はスッテンコロリンしただろう。
私が平均的な猫よりは冷静な猫だということも是非是非わかって欲しい。