8. 全国天狗同盟練成所
ほんの数秒だった。
「着いたよ」という伊藤さんの声に目を開けると、かやぶき屋根の巨大な建物が目の前にあった。引き戸の入り口には古びた大きな木の看板がかけられていて――筆で書いたようなくねくねとした文字で「全国天狗同盟 練成所」と書かれていた。
「ここは天狗になる修行をするところだよ。天狗のなり方がわからなきゃ、決められないだろ?」
入口は土間になっていて、天狗の格好をした男の人が「このたびは、おめでとうございます」とおじぎをして迎えてくれた。ぼくもぎこちなく礼を返す。
「先に到着した方々はもう見学を進めていますが、どうぞごゆっくり」
伊藤さんは深く礼をして、下駄を脱いであがった。ぼくも後についた。ぼくのような運動靴がほかにも隅に並んでいた。
最初に通されたのは広い、という言葉では足りないくらいの、ものすごーく広い板の間。鏡が壁一面に張られていて、平均台やマット、跳び箱、トランポリン、うんていなどの道具がずらりと並び、まるでぼくが通っている体操教室みたいだった。飛んだり跳ねたり、転がったりしている男の人や女の人は、格好が天狗っていうだけで、普通の人間だった。ぼくの緊張は少しほどけた。
部屋の奥のほうには高い木が茂っていて森をそのまま持ってきたみたいだった。森の中には川が流れ、滝もある。流れの早い川を渡ったり、滝に打たれている人がいる。もっと奥には岸壁がそびえていて、そこをよじのぼっている人もいた。
「まずは体力と筋力をつける。羽根や団扇っていう道具はあくまで補助、すごい天狗ほど道具なんて使わないんだって」
伊藤さんが教えてくれる。お父さんとお母さんがぼくに体操を習わせたのは、このためだったんだな。そうわかっても、嫌な感じはしなかった。
「ちょっと、やってみる?」と言われて、ぼくはうなずいた。得意なのはトランポリン。
ポーン、ポーン。高く飛ぶことだけを考える。飛んでいると何もかも忘れられる。よし、次で上へあがるぞ。ぼくは力を入れて思い切り飛び上がった。うんと飛びあがったのに天井はまだまだ高くて、先が見えなかった…。天井はあるのに、天井ではない感じ。空?
とにかくぼくはトランポリンのおかげで気持ちがすっきりした。伊藤さんは次の部屋へと案内する。
引き戸を開けると、真っ暗だった。何も見えないので、伊藤さんの背中の服のはしを思わず握ってしまう。伊藤さんが慣れた様子でさっさと入っていくので、ぼくは服をつかんだ手に力を入れて、あとに続いたが、真っ暗だし、どのくらいの広さの空間を歩いているのかも定かじゃないのでこわくてたまらない。シュルッ。ガツン。いろんなものが顔や体に触り、ぶつかり、つまずかせる。そのたびにぼくは情けない声を出した。
「大丈夫、ケガをするほど強くないから。ただのまっすぐな道だよ。周りを感じながら歩いていけば、だんだん見えてくるよ」
そう言われたって。目を皿のようにして周りをうかがうけど、やっぱり何も見えない。ぺたりとくっついてきたのは何? 頭に乗っかってきたのは何だ?? 気味が悪くてたまらない。
「あ、今、ねずみが前を通った」
「ふくろうがこっちを見てるよ」
伊藤さんがいろいろ言ってくれるけど、見えたのといえば、ホタルだけ。こんな状況で見ると、ホタルは火の玉みたいで不気味この上ない。もうそろそろ目が慣れてきてもいいころなのに、やっぱりぼくには何も見えてこなかった。




