5.天狗、現る
「おい! おい! 巧!」
誰、ぼくの名前を呼ぶのは…?
「巧! 起きろってば」
ぼくは寝てしまったようだ。ぐずぐずと目を開けた、でも何も見えない。
真っ暗だ。ええと、ぼくはどこにいるんだ?
「上だ、お前が落ちた崖の上を見ろ」
あ、そうか。ぼくは崖から落ちたんだっけ。崖の上って言われても真っ暗だし。
視線を上のほうへ向けると、明るく光っている何かがいる。
目をこらすと、それは人で、ぱっと飛び上がったかと思うと、ぼくの前に降り立った。何の音もさせずに。
「て、て、て、て…」
ぼくはひっくり返った。それは、天狗だったのだ。
逃げたいのに腰が抜けて動けない。鼻が赤くて長くて、着物と袴姿で、高い下駄をはいている。本で見たのと同じ天狗!
「しっかりしろ。中尾巧。いいか。今日はお前の目覚めの日である」
天狗は、背中から提灯をおろして、腰につけ直し、ゆっくりと、おごそかに告げた。
「おめでとう! ついに目覚める時が来た。私が巧の担当、源の太郎だ」
「……」
天狗だ、やっぱり、天狗!「驚かないで聞いてくれ。といってももう驚いているだろうが…」
天狗は一息置いて、静かに言った。
「巧、実はお前は、天狗の血をひく、天狗族なのだ」
ぼくは口をぱくぱくさせたが、出てくる言葉などあるわけない。天狗族? ぼくが?
「9歳になった時に、その事実が知らされる。目覚めの日の儀式だ。今日はお前の目覚めの日なのだ」
天狗が言っていることを理解することができず、ぼくは天狗の顔をただただ見つめる。天狗はしばらくじっと待っていたが、「おい、生きてるか?」と言いながら、ぼくに近寄ってきた。
袴の衣擦れの音と、下駄が土をこする鈍い音。ぼくは叫んだ。声は森の中にびっくりするほど高らかに響いた。抑えていた涙が勝手にあふれてきて、自分ではもうどうすることもできなかった。
「巧! おい、巧! 泣くなよ」
天狗はうろたえ、一向に泣きやまないぼくに向かって大声でこう言った。
「巧、ぼくだってば! 見ろよ、ほら!」
なきじゃくりながら天狗を見ると、天狗の顔がはらりと取れた。お面だった。見覚えのある顔だった。6年生の…伊藤…源太さん? ぼくは泣くのを忘れた。