12. 天狗になることを選んだのは
「この廊下はどこまで続いているんですか?」
ぼくが聞くと、伊藤さんは「天狗の里…本物の天狗の住むところまで……かな」と言った。
「そこには天狗の神様がしずまられているお社があるっていう話だけど、ぼくはそこまで行ったことはない。自分に見合った場所までしか行けないんだって」
「ふうん……」
ぼくはブラックホールのように広がる闇を見つめた。渦を巻いているようにぼくには見えた。そして、すごく冷たい感じがした。ぼくに来るなと言っているようだった。
「体、心、そして術と技。この3つを学ぶんだよ。ぼくが案内するのはここまでで……」
伊藤さんが話し終わる前に、グルグルグル、とぼくのおなかが鳴った。慌てておなかをおさえる。
「夜ごはんの時間、とっくに過ぎてたね。休憩所に行こうか。食べ物の自動販売機があるから」
「ぼく、お弁当あります」
「じゃあそれを食べればいいね」
伊藤さんは向かいの戸を開けた。木でできた小さなテーブルと、切り株の椅子が並んでいるだけの殺風景な部屋だったが、壁にそって、場違いに感じる近代的な自動販売機がずらりと並んでいた。部屋には大きな窓があり、外にかかっている提灯の明かりが、池に映っていた。
自動販売機の飲み物は「抹茶」だの「柿の葉茶」だの、「クコ茶」だの。食べ物はというと「天狗むすび」「天狗いなり」「天狗押し寿司」。文字しか書いてないので、どんな料理なのか、気になる…。
伊藤さんは「柿の葉茶」を買った。ぼくはリュックから弁当箱と水筒を出して、お母さんが作ってくれたいなりを食べ始めた。お母さんはこうなることを知っていて、お弁当をもう一個、入れてくれたんだな…。
今まで起きた、信じられないけど本当のことが、じゅんぐりに思い出された。お母さんのお弁当を食べていることが、今日起きたことが夢や幻ではないって、ぼくに納得させた。ぼくは、これから、天狗になるかどうかを決めなくちゃいけないんだ――。
「伊藤さん。伊藤さんはどうして天狗になるって決めたの?」
聞きたかったことをたずねてみる。伊藤さんは「そうだねえ」と、しばらく考えてから話してくれた。
「せっかく天狗の血をもらったのに、普通の人間として生きるってことが、もったいないなって思ったのが正直なとこかな。自分は天狗の血をどれだけ生かすことができるのか、試してみたくなった。
天狗になるっていっても、伝説に出てくるような本物の天狗っていうの? 人里離れて山を自在に駆け回って…っていう天狗になるだけが、天狗じゃないって両親に言われたしね。
本物の天狗になるには、廊下のうんと奥のほうでの厳しい修行があるんだよ。ぼくはそこまで行けるかなあ。毎週ここにきて修行をしているけど…。もしだめだったら、普通の天狗になる」
「普通の天狗?」
天狗といったら、伝説に出てくるみたいな天狗しかいないんじゃないの?
「天狗族は、腕力のほかにも術や技の力とか、人の心を読む力とか未来を見る力とか、いろいろな力を持っているんだ。それぞれ得意とする力があってね。それを人間の仕事に生かしているのが、普通の天狗さ」