1.ムノウ山への遠足
三神峯小学校4年2組、西尾巧。
ムノウ山への登山遠足の朝。
お母さんがなんでかわからないけど目をうるませて、ぼくにこう言った。
「びっくりするようなことが起こっても、大丈夫だからね」
お父さんまでまじめな顔をして、「泣くんじゃないぞ」なんて言う。
確かにぼくはいじめられているけど、今日に限ってそんなこと言うってどういうこと?
「心配なら、休ませればいいじゃん」って、ぼくがむくれて言ったら、「だめだ!」とお父さんが声を荒げた。
「行かねばならぬ時があるのだ」
あれ、いつもなら笑って冗談を言うはずなのにな。今日はやっぱり、ちょっとおかしい。
ぼくは「はいはい、じゃあ、言ってくるねー」と、玄関から飛び出した。
遠足日和の、いい天気だ――。
「よーう、無能くん。無能なやつが無能山を登る。ぴったりすぎて笑えるう!」
きた、きた。3組の山田だ。ぼくは黙って無視した。
心の中では、「無濃山」っていう字を描きながら。
「これ以上無能になっちゃ、大変だ!」
「どうやって山に登るか、わかってるう?」
取り巻きの中本と佐藤も、調子に乗ってからかう。ぼくは斜面をにらみながら、クラスの列に加わった。
隣のクラスなので、三人が並ぶ列は隣りになる。ぼくの横にぴたりとはりついてくる。
すすき平から登り始めて45分。先頭と最後尾の差は大きく開き、クラスごとの列はすでに乱れていた。ぼくは中間あたりの位置を守っていた。まぎれていれば見つかりにくいから。
でも山田はちゃんと目を光らせていて、いじめるタイミングを見計らってやってきた。
「遅い人たちにも気を使ってあげないとね」
「ありがたく思えよ、無能くん」
「あー、思い出した、巧って名前だったっけ、おまえ」
言葉の意味を考えないようにして、右から左に流す。お父さんが教えてくれた「いじめ対処技」だ。すごく難しいんだ。
でも何度も繰り返すうちに身についた。自慢できるような特技じゃないけどさ。
山田は「ひ弱なくせに荷物だけは一人前だな」と、ぼくのリュックに思い切り体重をかけてきた。ふいうちにバランスをくずし、ぼくは後ろにひっくり返り、そのまま急な斜面を転げ落ちた。
世界がぐるぐる回る。まさか、こんな危険なまねをするなんて、どうかしてる!と思いながら。
うしろを登ってきた数人にぶつかったものの、リュックがクッションになったのですぐに停まることができた。服は土で汚れ、ズボンの膝小僧が破けてしまった。
てか、この程度ですんだのは奇跡じゃね?死んでもおかしくなかったシチュエーションだろ。
「大丈夫!!! 巧くん!!」
担任の吉岡先生が、あわてて駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫です…」と、ぼくは目からあふれる涙を必死にこらえて、平気な顔を無理やり作った。感情を出したり、騒ぐとよけい相手は喜ぶ。だから何事もなかったようにふるまわないとけない。
ケガの痛みよりも、山田の視線のほうが痛い。
山田はぼくに「頂上でまってるからな」と耳打ちして、さっさと登っていった。
ああ……。