Next Step
次へと繋がる一歩を
『みなさーん、こんばんはー!時刻は6時を回りました。ここからの時間は【Next Step】!略して【ネクステ】!今週もたくさんのリスナーさんからの声にお応えしながら楽しく2時間!2時間しゃべりまくりますよー!お相手はわたくし、会津芳明です。よろしくお願いします!』
母が夕食作りに精を出している間、電子レンジの上に設置されたラジカセから流れる軽やかな音楽と親父のよく通る声。
それを聞いて微笑む様子は恋する女そのものだ。
親父は俺の生まれる前から地元のラジオパーソナリティをしている。
ヘビーリスナーである母が猛アタックした末に結婚したらしい。
俺も小さい頃スタジオに行ってスタッフの人たちと遊んでもらったことを覚えている。
この【ネクステ】も冠番組の1つだ。
玄関のドアが開くと共にドタドタと廊下を走る音が近づいてくる。
リビングへ入ると残念そうな声を出す少女。
まぁ、妹なんだけど。
「あー!やっぱり始まってる……。急いでるって言ってるのにみっちゃんがなかなか解放してくれないから!」
みっちゃんというのは伊咲のクラスメイトの女の子だ。
なんでも好きな男子ができたらしくそれを連日いちいち報告してくるらしい。
それを男の気持ちを教えてと俺にまで尋ねてくる。
適当にあしらっているが俺にどうしろと……。
「おかえり。ほら、もうすぐCMだから手洗いとうがいしちゃいなさい。」
「はーい。」
母が帰宅に気づき笑顔を崩さないまま促すと渋々洗面台の方へ歩き出した。
さすが、もう十数年放送している番組だけあってコーナーの時間配分もお手の物だ。
『さぁ!本日のオープニングナンバーいってみよう!ラジオネーム【恋するウサギちゃん】からのリクエストで……』
「ぷっ。」
不意に吹き出す母に疑問を持ち理由を聞いてみると、少し前に流行った曲でこのラジオネームが使われていたらしい。
納得したようなしないような。
後日CDを渡され聞いてみると見事にハマってしまったのは別の話。
伊咲が台所に戻ってきたので料理の盛り付けてある皿とご飯茶碗などをダイニングテーブルに並べる。
今日のメニューは鶏のからあげ、中華風サラダ、ご飯、玉子スープ。
手を合わせラジオに耳を傾けつつ食事を口に運ぶ。
それが毎週月曜日のお決まりだった。
ちなみに親父にも健康を考え弁当をいつも持たせている。
こういうのを「愛妻弁当」というらしい。
今まで目立った夫婦ゲンカを見たことがないので仲は良いのだろう。
「ねー、お母さん。今日はお父さん何時に帰ってくる?一緒にお風呂入りたい。」
「月曜は9時過ぎでしょ。ラジオ終わったら入ってきなさい。」
「ちぇっ。寂しいけど明日までのおあずけか。」
茶碗のご飯を半分ほど食べたころ伊咲のいつもの催促が始まり母が注意する。
年頃の女の子は父との入浴を嫌がると女友だちが言っていたのでその差は歴然だ。
このやり取りいつまで続くのやら……。
兄というフィルターを通してみても伊咲はファザコンだと思う。
両親も口には出さないけど妹に甘やかしているような気がする。
まぁ、俺が長男でどんなことをすると怒られるかそれとなく理解し上手く立ち回っているようだ。
こういうときに兄や姉は苦労する。
たった2年しか歳が違わないのに不公平だと大人になっても思う。
午後9時過ぎ。
おやすみと言ってきた母と伊咲に返事をすると、テレビのボリュームを控えめにしてアニメを見る。
成長期を気にして早めに寝ろと戒められてもこの時間は譲れない。
しばらくリビングでくつろいでいると玄関のドアの開く音がして収録を終えた親父と目が合った。
「お、起きてたのか。じゃ、風呂入るぞ!背中洗い流してくれ。」
俺が「おかえり」と言う隙も与えず洗面所まで連れて行かれた。
渋々シャツのボタンに手をかけていると親父も同じように脱ぎ出した。
ガリガリでも筋肉質でもない中肉中背の身体。
けれど当時小学5年生だった俺から見たその背中はどの大人よりも大きかった。
「月曜俺がいなくて寂しいか?」
身体をお互いひと通り洗い終わり湯船に浸かると親父がこう尋ねてきた。
遠慮しなくていいとのことで「寂しくはないが伊咲の相手をすると疲れる」と返答した。
「ははは。毎週女2人といるのは大変だよな。でも面と向かって男同士話すのは悪くないだろ?」
うん、確かに。
性別が一緒だからなのか気兼ねなく会話ができるから楽だ。
「ハヤテが良ければ月曜のこの時間こうやって風呂に入ってのんびりしないか?でも10時には寝て伊咲には内緒だ。きっとうるさいからな。」
そう言い親父は目を細め歯を見せながら笑った。
なんだか照れ臭くて返事を濁してしていると頭を拳で小突かれた。
自分は男だけれど母が親父と結婚した理由がなんとなくわかった気がする。
そうか
俺や伊咲、母にとって親父はヒーローなんだ。
…
……
俺が高校生になっても【ネクステ】と親父との風呂の習慣は続いていた。
ただ伊咲は中学に入学したあたりから一緒の風呂どころか家族を煙たがるようになった。
やっぱり思春期という成長過程には逆らえなかったのだろう。
俺も勉強や部活で忙しくなり起床と帰宅時間が違うため顔を合わせることはほとんどなかった。
だからといってケンカをするわけでもなく微妙な関係の日々。
母は特に悩んでいるようではないので一時期的なことだと様子をみているらしい。
テスト期間中のある日、部活がないので早めに帰宅すると伊咲がダイニングテーブルで勉強をしていた。
台所に設置されているラジカセから緩やかなクラシックが流れている。
ただいまと声をかけるも無視。
ここで勉強をしちゃダメか?と声をかけても同じように無視。
せめてこっち見ろ。
でも否定の否定ということは肯定だということだよな。
試しにテーブルの上に参考書とノートを広げ隣の椅子に座る。
対面側は壁と密接しているため必然とこのような形になってしまう。
少し椅子をズラし距離を取られたが拒絶されたわけでもない。
問題を解き続けて気がつけば5時45分。
仕事を終えた母が買い物袋をぶら下げ俺たちを見て驚いていた。
そりゃそうか。会話も碌にしない2人が同じテーブルで勉強しているのだから。
「勘違いしないで。たまたま席譲っただけなんだから。」
「あら、そう言うわりには嬉しそうじゃない。」
「うるさいなぁ。もうお父さんのラジオ始まるし片付けるもん。」
母のからかいに顔を赤らめた伊咲は勉強道具をかき集め足早に自室へ向かった。
勘違いしないでって……。マンガのキャラクターだからこそ成立するセリフなんじゃ。
「伊咲ね、別にあなたたち家族が嫌いなわけじゃないのよ。」
夕食の準備の邪魔にならないように片付けをしていると声をかけられた。
「お母さんも同じようなことがあったからちょっと懐かしくて。でもあなたは例外。全然反抗しないし拍子抜けしちゃった。きっとお父さんとお風呂で本音をぶつけ合っているおかげね。」
驚きが表情に出ていたに違いない。
その証拠に母はニヤニヤと笑っている。
「まだ小学生のときから気づいていたわよ。声かけちゃうと嫌がると思って黙っていたの。あとね、さっき伊咲がぽろっと言っていたけどお父さんのラジオ変わらず自分の部屋で聞いているのよ。最近はネットでも聞けるから便利になったものよね。全く……素直じゃないんだから。」
この人にはかなわないや。
時計を見ると6時30秒前。
ラジカセからはCMが流れている。
家族4人平凡ながら幸せな生活を続けられると信じていた。
このときまでは……。
…
……
1年後。
絶望は音も立てず突然やってくるものだと思い知った。
まるで落雷のように。
伊咲がいじめによるストレスと暴行で両耳とも難聴になってしまったのだ。
俺を含む家族はどうして気づいてあげられなかったのかと自分を責めた。
突発性難聴は発症から1週間以内に受診すれば治る見込みがあるらしい。
だが親に心配かけたくないと数週間も放置していたようだ。
明らかに異変を感じた母が無理やり耳鼻科に連れて行ったときには遅く、聴力の回復は難しいと診断されてしまったそうだ。
加害者とその家族、学校関係者が土下座しつつ金を積んだが両親の怒りはこっちにも伝わってきた。
「あなたたちの土下座なんて1円の価値もありません!これから警察に相談させていただきます。」
「いや、ちょっとそれだけは……。彼女たちも受験生で高校進学がありますしどうか穏便に……。」
校長の情けない声を聞いた親父はしゃがみ込むと至近距離まで顔を寄せた。
「穏便!?娘の聴力はもう戻らないかもしれないんですよ!あなたたち教師という職業をナメてるんですか!?娘の日記によれば目の前でいじめていたにも関わらず見て見ぬふりをしたそうですね。」
引き攣らせるように笑みを向けたあと、顔面蒼白の教師陣から土下座の状態を保っている加害者側へ目線を移した。
「ボイスレコーダーの音声を聞かせてもらった。3人寄ってたかって『ラジオでしゃべっているヤツの子どもなんて遊んでいるに決まっている』とか好き放題に言ってたね。俺のやっていることをどう思うかは個人の自由だから別に良いけどさ、だからって娘もチャラついているっていうのは違うんじゃないの?さっきから土下座するのも頭を下げるのもされるがままって感じで、自分で謝ろうという姿勢が全く見られないんだよね。君たちがそのつもりならちゃんと落とし前をつけてもらうよ。」
「ですから、示談金として私たち500万円を用意しましたのでどうか警察は……。」
再び校長が発言し今まで押し黙っていた母が口を開いた。
「私と主人は彼女たちからお金がほしいのではありません。ただ人間は言葉でいくら『反省した』と唱えても目に見えるものでないと解決したことにならないのです。それの結果がお金です。保護者のみなさんには申し訳ありませんが、慰謝料が発生した場合どんなに時間がかかってもお子さん自身に払わせて下さい。それぞれの犯した罪を理解し反省し次は絶対無いようにしてほしいのです。よろしくお願いします。」
毅然とした表情で深々と頭を下げる母に親父がやめるように促す。
「それでは私たちはこれで。後ほど弁護士から連絡があると思いますが……逃げないで下さいね。」
俺たち家族4人は呆然とするヤツらから目線を外しその場をあとにした。
親父が運転する車の中で最後まで口を出さなかったこと褒められたが、起こっていることの非現実さに頭がついていけなかったからだ。
本当の自分は家で妹に煙たがられながらも、ラジオから流れる親父の声を聞きながら勉強してその様子を母が微笑ましく眺めている。
夢だと何回も思いたかった。
けれどそれはいくら願っても覆ることのない現実……。
その夜。
伊咲と母が寝たあと俺と親父は同じ湯船に浸かっていた。
なんと話していいかわからず黙っていたが、不意に頭を撫でられその手で自分の肩へ引き寄せた。
急なことに驚きを隠せなかったのはもちろんだが、母に叱られ泣いているときもこんな風に抱きしめてくれたのを思い出した。
天井に張り付いた水が滴り落ち浴槽に波紋を作る。
しばらくして親父の鼻をすする音も聞こえ、もしやと思い目線を上げようするとさらに頭を押さえつけられた。
「悪い。男だから泣きたくなかったんだけどよ。今回ばかりは無理だ。だっていくら誰でもいじめられる可能性があるとしてもよ、これほどの仕打ちあるか?15の子どもっていうのはまだまだたくさんためになる言葉とか好きな音楽とかに出会うもんだろ?冗談じゃねぇよ……。」
親父が吐き出す初めての本音に無言で頷くことしかできなかった。
「ハヤテ、強くなったなぁ。こういういざってときに泣かないところが友紀そっくりだ。伊咲も俺のラジオが好きなら1回違和感あったときに相談すればよかったものを。それを気のせいだって先延ばしにしちまうから……。バカヤロー……!」
親父は感情のおもむくままに拳で水面を殴った。
水しぶきが天井まで届き俺の顔にも少し飛び散る。
「済んだことは済んだことだ!これから伊咲をあいつらより何百倍も幸せにしてやる!忙しくなるぞー!お前も手伝えよ!」
今度は豪快に笑い出し再び肩を組んできた。
コロコロ感情が移り変わるので付いて行くのが少し不安になってしまう。
でもたとえそれがカラ元気でその場凌ぎだとしても親父や母さん、そして伊咲を支えていきたい。
遅めの成長期を迎え家族全員の身長を追い抜いた17歳の冬のことだった。
…
……
それからは怒涛の10年だった。
伊咲は保健室登校をしながら中学を卒業し特別支援学校の高等部へ入学した。
音の記憶を頼りにして発声は可能のようで、それに加え読心術と手話の訓練もする。
高校を卒業後一般事務の企業に就職し、データ入力やファイル整理、資料作成補助などを行っている。
電話対応については受け取れないことを配慮してもらっているようだ。
入社して4年が経ったころ社内で知り合った男性と交際することになった。
なんでも兄が同じく難聴を患っており、サポートしているうちに惹かれあったらしい。
うちへあいさつに来た際、また感極まって号泣しつつ親父は宥められながら結婚の許可をした。
俺が嫁を連れてきたときは涙腺カラカラだったクセに。
そしてまた月日は流れ伊咲の結婚式。
自分が主役とときはバタバタと忙しかったのに、参加する側だと案外やることもなく手持ち無沙汰だ。
あいさつが済んだあと指定の席に座り、両親や嫁と世間話をしながら披露宴の始まりを待つ。
聴覚身障の人も招き入れているので手話通訳のスタッフの準備も万端だ。
司会の合図により扉が開け放たれ新郎と共に伊咲が入場する。
彼女の耳にはこの大きな歓迎の拍手は聞こえないのだろう。
けれど俺が今まで見てきた中で1番の笑顔をみんなに向けていた。
披露宴は滞りなく進行し最後に『新婦の手紙』を読む。
その演目を聞いた途端親父はもう号泣している。
周りが若干引いている中で、母はいつものことだとハンカチだけを渡して娘に目線を送った。
新郎新婦にスポットライトが当てられスタッフが手紙を用意する。
「皆さま、本日は私たちの披露宴にお越しくださいまして、誠にありがとうございます。
この場をお借りしまして私から手紙を読ませていただくことをお許しください。
お父さん、お母さん、25年間育ててくれてありがとう。
無事、今日という日を迎えることができたのもお父さんお母さんのおかげだと感謝の気持ちでいっぱいです。
私は中学3年生のときに両耳の難聴を患いました。
反抗期真っ只中で家族との会話はほとんどせず、両親や兄に迷惑ばかりかけていました。
お医者様から『回復は難しい』と診断された日からどうしてもっと会話をしなかったんだろう、どうしてもっと家族の声に耳を傾けなかったんだろうと後悔の連続でした。
特に何よりも大好きだったラジオをもう聞けない……その絶望を実感するたびに涙が止まりませんでした。
しかしいつまでも逃げてばかりではいられません。
周りの方たちの助けをもらいながら高校を卒業後、就職して安定した生活を送れています。
リハビリのおかげで相手の口の動きを見て口頭で自分の意思を伝えられるようになりました。
人と人とのコミュニケーションは言葉に表せないくらい素敵な物なんですね。
これまで大切に育ててくれたお父さん、お母さんの元を旅立つ寂しさはありますが、これからは高雄さんとお父さんのラジオ番組名のように【Next Step】次へと繋がる一歩をしっかり踏みしめて生きていきます。
こんな娘だけれど見守らせてね。
高雄さんのお父さん、お母さん。
初めてお会いした時から、いつも優しく笑顔で接して下さりありがとうございます。
至らない点もあるかと思いますが、精一杯頑張っていきますのでよろしくお願い致します。
こうして今日を迎えられましたのも、皆さま方のおかげです。
未熟者の私たちですが、どうぞこれからも温かく見守っていただきますようよろしくお願い申し上げます。」
…
……
『みなさーん、こんばんはー!時刻は6時を回りました。お疲れ様です!ここからの時間は【Next Step】!略して【ネクステ】!今週もたくさんのリスナーさんからの声にお応えしながら楽しく2時間しゃべりまくりますよー!お相手はわたくし、会津芳明です。よろしくお願いします!さぁ、早速オープニングナンバーから!ラジオネーム【恋するウサギちゃん】のリクエストで……』
毎週月曜日の夜6時。
いつもと変わらず流れる親父の声。
だがラジオではなくスタジオに直接聞きに行っている。
俺や伊咲、母はもちろん高雄さんも。
くつろぎやすいようにテーブルと椅子が完備され自動販売機でジュースも売っている。
17歳のときに風呂場でやりとりをしてから親父は「聞くだけでなく見ても楽しめるラジオ」を実現しようと奮闘していた。
会議を何度も繰り返し半年の歳月の末、街中のビルの一角にサテライトスタジオの設立に成功した。
人が幸せになると笑顔になるのは誰しも経験していると思うが、話す人物の方を向いて満面の笑みを浮かべているのは俺の妹くらいだろう。
結婚しても伊咲のファザコンは直らないらしい。
身体に不便が生じようとなかろうと自分のやりたいことをするのは自由じゃないか。
現に妹は生き生きしていてキラキラと輝いている。
番組のCMが切り替わる直前、親父は客席に向かって親指を立ててきたので俺と伊咲もマネして突き立てる。
言葉がなくても繋がっていられるんだと教えてくれた気がした。
やっぱり親父は俺たちのヒーローだ。
Next Step
完