表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
デッド・スナッパー  作者: 千川
1/2

問題編

 都心から車を走らせること四十分程度。

 ビルや住宅は次第にその主張を潜め、木々の林立する自然的な風景が広がってきた。

 といっても、日が沈みきった今となっては純然たる闇でしかなくただただ視界が悪い。

 窓から吹き込んでくる澄んだ空気が都会で汚れた肺の中を清めていくようだった。

 運転席の杉本が下手くそな鼻歌を歌っている。

 場所が場所だけに小旅行気分なのだろう。

 遊びじゃねえんだぞ、と釘を刺したところで右から左なのはわかりきっている。

 こいつには年長者の威厳もタテ社会の重圧も通用しない。

 一体どんな環境で育ってきたんだ?

 まだまだ歳を取ったつもりはないが、こいつを見ていると最近の若者は~という決まり文句が口をついて出そうになる。



 たどり着いたのは、一軒のこじんまりとした旅館。

 木造の外観は執拗に火で炙られたようにすっかり変色しきっており、軒先の暖かな照明がなければ、夜の闇に溶け込んで廃屋や幽霊屋敷と見間違いかねなかった。

「いやあ、何だか良い雰囲気のところじゃないッスか。自分は断然ホテル派なんスけど、たまにはこういう旅館もアリッスねえ」

 これから殺人事件の捜査に赴く人間のものとは思えない言葉だった。

 既にパトカーが数台停車し、規制線が張られている物々しさのなかで良い雰囲気も何もあったものではないだろうに。

 都内にもこんなところがあったなんてまさに穴場ッスねなどと続ける杉本を無視し、尾藤は先行していた所轄の刑事と共に現場へ向かった。

 被害者は、佐々木望、四二歳。

 ここ流老館にて、たったひとりで調理を担っていたという。

 犯行現場は館内の調理場で、何者かに背後から包丁で刺されうつ伏せに倒れているところを料理の配膳のためにやってきたオーナーの娘が発見した。

 被害者の両手にはべっとりと自身の血液が付着しており、部屋の奥から調理台のところまで一メートルほど身体を引きずった跡があったというが、血痕は拭き取られていた。

 また背中に包丁を突き刺さしたままだったため、返り血はひどくなかったと思われ、血痕という線から犯行を辿るのは困難と見られた。

 包丁は調理場で使われていたもので、被害者の指紋以外は何も検出されなかったという。

 また包丁が刺さっている位置、刺し傷の形状から犯人は右利きの人物と推測された。

 死亡推定時刻は発見時から一時間以内。

 つまり午後四時三十分から午後五時三十分までの間とされているが、遺体の発見が早かったため、司法解剖によってもう少し絞れるかもしれないと検視官が話していた。

 ここまで聞けば、一般的な殺人事件だったが、その後所轄の刑事から奇妙な報告を受けた。

「遺体が鯛を持っていた?」

「ダジャレッスか?」

「正確には、遺体の右手が床に転がっていた鯛の上にのせられていた、という感じでしょうか」

 刑事が写真を見せる。そこには、刑事の説明通り桜色をした一尾の真鯛に右手をかけている佐々木の姿が写っていた。

「確かに、これは……」

「これは……これはダジャレに見せかけたダイイングメッセージッスね!」

「……はあ」

 尾藤は、わざとらしくため息をついてみせ、

「仮にこれがダイイングメッセージとして、わざわざ鯛なんか持って来なくても被害者の手は血まみれだったんだ。その血で犯人の名前を書けばよかっただろ」

「書いたけれど、消されたんスよ。現場の血痕は拭き取られていたそうじゃないッスか」

「血文字のメッセージを消されたから別のメッセージを残したってことか? 俺が犯人ならメッセージを消したうえで二度とこんな真似ができないようにしっかりトドメを刺しただろうよ」

「うっ……じゃあ、犯人がしばらくの間現場に残っていたから遠回しなメッセージしか伝えられなかったという説はどうッスか?」

「それなら少しは検討の余地がありそうだが、仮説を立てるにはまだ情報が全然足りてないだろ。性急なんだよ、お前は」



 鯛はひとまず置いておき、尾藤らは調理場に足を踏み入れた。

 出入り口のドア付近に大きな業務用の冷蔵庫が鎮座し、部屋の中央には縦長の形状をしたシンク付きのステンレス製調理台が配され、奥まったところには数台のコンロとオーブンが備えてあった。

 調理場で作業していたのは主に被害者の佐々木だけだったそうだが、一人で利用するには充分すぎる設備とスペースと言える。

 調理台やコンロの上には完成済みの料理が並べられ、客室に届けられるのを心待ちにしているかのように見えた。

 ただ一点、大葉と大根のつまが添えられた皿には肝心の刺し身が不在だった。あの鯛は刺し身にするつもりだったのだろうか。

 遺体は既に運び出されていて、犯行があったと思われる地点の床にはうっすらと血の赤が残されている。

 しかし、それ以外は綺麗なもので他に事件の手がかりになりそうなものは見当たらない。

 問題の鯛も鑑識が持って行ったという。

「血液反応が出たのはこの床のところだけか?」

「はい。先ほども報告しましたが、犯人に刺されたと思わしき地点、そこから被害者が這って行ったかあるいは犯人が引きずったかの跡が一メートル程度、その他は検出されていません。現場の状況もほとんど発見時のままだということです」

「外部犯の可能性は?」

 調理場には出入り口がひとつしかなく、鍵はついていない。

 外部犯の場合、犯人はどこかから館内に侵入し調理場までやって来たことになる。

「旅館の玄関と従業員が出入りする裏口にはそれぞれ監視カメラが設置されています。こちらの方でもデータをお借りしてチェックしますが、事務室で監視をしていた女将や従業員によりますと、特に怪しい人物などは目撃していないということです。

 それ以外の侵入経路としては各居室の窓が考えられますが、窓は全て施錠がされていましたし、周囲に足跡などの形跡も残っていません」

 外観に反して防犯対策はきっちりしているらしく、おかげで外部犯の線はかなり薄くなったと言える。となると、今度は館内の人間に詳しい事情を聞く必要がありそうだった。



 犯行時、流老館にはオーナー夫婦である赤川恒夫と赤川明美、その娘である赤川優奈、仲居の渋井鈴、同じく砂場夏菜、運転手その他雑用を務める伊野田泰造の六人が働いており、客は午後五時にチェックインした田上義彦とその妻の田上君江の一組のみだった。

 佐々木の死亡推定時刻である午後四時三十分から午後五時三十分までについて完全なアリバイを有するものは客として訪れた田上夫妻のみだったが、午後四時半から午後五時の間については恒夫は優奈と浴場の清掃作業をしており、伊野田は田上夫妻を迎えに行くためちょうど午後四時半頃に旅館を出た。

 また午後五時から午後五時半については渋井と砂場は田上夫妻の対応に追われ、明美は挨拶に出た後は戻ってきた伊野田と事務室で仕事をしていたという。

 午後五時半に配膳の準備のため調理室へやってきた優奈が佐々木の遺体を発見し、その悲鳴を聞いて恒夫、渋井、砂場が駆けつけ、遅れて明美と伊野田が到着し警察へ通報した。

 一同に殺害の動機について何か心当たりはないかと訊ねると、オーナー夫婦は旅館の経営方針に口を出し始めた佐々木を疎ましく思っていたようだとか渋井は佐々木の料理の腕に惚れ込んで弟子入りを志願していたが頑として拒否されていたとか佐々木はギャンブル依存で伊野田に度々金を無心していたなどという話が湧いてきた。

 気難しい佐々木と上手くやっていたのは優奈だけのようで、周囲との緩衝材の役割も果たしていたという。

 砂場については、明美が運転中の事故で左腕を骨折したため補填として急きょ雇入れたアルバイトで、不幸なことに今日が勤務初日だったということで話題には上がらなかった。

 現場に残された鯛についても訊いてみると、女将の明美から興味深い話を耳にすることができた。

「それは刺し身にするつもりだったんですよ。あの人、食事の配膳に取り掛かるギリギリまで魚を捌かなかったから。お客様にできる限り新鮮なものを提供したいって言ってね。料理は出来上がってから時間が経てば経つほど不味くなるって考えが強くて作り置きとかも全くしませんでした。そういうこだわりのある人だったんです」

「配膳の準備に取り掛かる時間というのは、午後五時半頃ということですか?」

「そうですね。お客様の状況にもよるんですが、今日はそれくらいの時間ということになってました」

 明美だけでなく、恒夫や優奈、仲居の渋井も同様のことを話していた。どうやら配膳に携わったことがある人間ならこういった佐々木のこだわりは知っていて当然らしい。

「急きょメニューを変更したということは有り得るんでしょうか?」

「それはないと思います。調理に関しては誰も調理場に入れないくらい徹底していましたが、メニューについては予算のこともありますので私と恒夫さんと相談して決めていましたから。今日も新鮮な真鯛が手に入ったから刺し身にしたいと本人から提案があったんです。今までも途中でメニューを変更する必要が出たときは私か恒夫さんに必ず一言ありましたし、決して好き放題やっていたわけではありません」

 つまり、佐々木がこれからまさに鯛を捌こうとしていたときに、背後から犯人に刺されたということだろうか。

 それならば犯行時刻をかなり限定することができる。

 各々から事情を訊いてるときにさりげなく文字を書かせて利き腕を調査した。

 全員がペンを右手で握って書いたが、左腕を骨折している明美は、

「すいませんねえ、今利き手が使えないものでして、下手な字になってしまいますが」

 と、左利きであることを打ち明けた。



「どうだ、杉本? 目星はついたか?」

「いやあ、今回はなかなか難しいッスねえ。真鯛は赤い、赤だから赤川って思ったんスけど赤川って三人もいるし、鯛だから伊野田泰造とも考えれるし、というかそもそもそれじゃ安直すぎて全然遠回しじゃないじゃんって」

「なんだ、まだあの鯛をダイイングメッセージだと思ってんのか?」

「えっ、違うんスか?」

「そうとも言えるし、違うとも言える。俺の考えではな」

「なんスか、もう犯人が誰だかわかったんスか? 教えてくださいよお」

「何となくはな。だが、まだだ。まだ時間が必要だ」



 事件から数日が経ち、監察医から司法解剖の結果が届いた。

「やっぱりそうか。それで一応確認なんだが、被害者の身体に包丁の刺し傷以外の痣とか火傷の痕とかはあったか? ないか。わかった、助かったよ」

 尾藤は受話器を置くと、ジャケットを羽織った。

「おい、杉本行くぞ」

「はあ、行くってどこスか?」

「例の旅館だよ。逮捕状を持ってな。事件は解決だ」


 ※問題編はこれで終了です。

 この時点で犯人特定に必要な情報は全て提示されていますので、犯人当てに挑戦してみてください。

 なお、ルールは次の通りとします。

 一、作中で表記されている時刻は日本標準時間とする。

 二、単独犯であり、共犯者はいないものとする。

 三、犯人は作中で固有名詞フルネームが表記されている人物とする。

 一発目なので、かなり簡単にしてみました。

 なので、ヒントはなしです。

 是非チャレンジしてみてください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ