アグリム山麓とツリーハウス
クラリネット街で休養を取り2日経った頃、エジルがお礼をしたいとのことで、彼らの今の拠点となる場所へ向かうことになった。
クラリネットからはそれなりに遠い、アグリム山の麓にあるそうだ。
アグリム山の景色は素晴らしいとの噂も聞いていたので、観光も兼ねて、行ってみようということになった。
森に入り北東の方向へ向かった。
エジルは、深い森の中を迷うことなく黙々と進んでいく。なかなかに深い森で、俺とロウだけじゃすぐに迷ってしまいそうだ。
そしてそのまま半日ほど歩くと、森が開けてきた。
木々の中に広い場所があり、その中心にある大きな樹の上に築かれた家――ツリーハウスがある。
質素な見た目ではあるが、意外と家の方も大きい。それに耐えられる樹の方もすごいと思うが……。
主な色は木肌の薄橙や茶色、と言ったところか。自然の感じが残るようにしているのか、赤や青、黄色などの3原色は使わず、ほとんど自然の色そのままであった。
正面には観音開きの扉があり、その前にはベランダのような広めのスペースがある。そしてその下には梯子がかけてあった。
「ここが、今俺たちが主に拠点にしている家だ」
そう言って、エジルとカルナは梯子をのぼっていった。俺とロウもそれに続いて、上へとのぼった。
エジルが扉を拳で3回叩くと、中から女性の声が聞こえてくる。
「赤の獅子は炎の中を駆け抜け……」
「紫の獅子は天を駆ける」
ん? どこかで聞いたことあるな。今のやり取りはおそらく合言葉なんだろうが、これとはまた別の何かの合言葉だったような気が……。
「エジルか。入りなさい」
エジルは扉を開いた。
ずいぶんと用心深いんだな……まあ、元軍人、それも大将軍ならそうもなるか。
それにしても、中にいる女性は誰だ? まあ、会ってみればわかるんだろうけど。
中を覗くと、扉の先に少し廊下が続いていた。
奥まで行くと左側に部屋があり、食卓の椅子に、若い男女が向かい合って座っている。
「わあ、すごい。師匠の言った通りお客さんが来た。さすがですね」
「ふん。伊達に200年魔術師やってるわけじゃないさ」
に……200年? いったい何を言ってるんだ、この女性は……あ、魔術師なら見た目を若く見せられなくも、ないか……。
………いや、まて、違うな。
獣が味方の中の敵を見つけられるように、才を持つ子は見知らぬ相手でも自身と同じの仲間を見抜ける。
……つまり俺は、あの女性が才を持つ子であることを見抜いた。おそらくはロウも気づいている。
「で、エジル。事情はあんたの口から聞かせてもらうよ」
「わかった」
その後、俺たちは食卓の椅子に座らせてもらい、更にお茶まで出していただいた。
エジルが、船上で襲われたときに俺がカルナの命を助けたこと、更に3日前に闇狼に襲われていたところを再び助けられたこと、二度も命を助けられたので、是非礼をしたいこと。それらを話し終えると、若い男が感心したように言った。
「へえ、君、すごいんだね。俺には無理だよ。魔法の才能も闘術の才能もなしなんだから。唯一あるとすれば、医術くらいしかね……」
若い男は、20代、といったところだろうか。
ぼさぼさとしたこげ茶の髪は癖毛で、その下にある太い眉毛と緑色の目は、その優しい人柄を表に晒していた。細く整った顔は、いわゆるイケメンってやつだ。
街の中を、髪を整え、お洒落して歩き回れば、女性からの人気は高いであろう。
「あ、俺はライズ。まあ、カルナの兄貴みたいなものだね」
「シノン、ライズは優しい人だ。人見知りしないで、仲良くしてやってよ」
そんなことは言われなくてもわかってる。どう見ても優しい人だ。わかってはいるけれど、やっぱり馴染む気は……ほとんどなかった。
「シノンちゃん、っていうんだ? よろしくね」
満面の笑みでそう言うライズさん。あの……俺、男なんですが……。
でも、こうやって女の子だと間違われたことは少なからずあるので、いちいち反応することにも疲れた。
この場にいる俺とライズ以外の全員が、声をあげて笑った。いや、カルナだけが笑いをこらえてるか。
……俺からすれば全然笑えない話だが。
「ライズ君、君は、何を言っているんだ! シノンは男だぞ?」
「相変わらずの早とちりってか? まったく。人は見た目じゃないんだって前にも言ったろ?」
「修行が足りんわ! いや、ここをもっと鍛えねばならんか?」
女性は、右手の人差し指で頭を示しながら言った。ライズは顔を赤くして、まずは俺に謝った。
「も、申し訳ない! 俺、第一印象から性別を判断する癖があって、それで……」
「……いや、もう、いいです。反応することにも疲れましたので……」
更に話を聞くと、ここはもともとこの女性が暮らしていた家で、ライズは子供の頃に拾われたんだそうだ。
女性はマガネスという名前で、見た目は若く美しい女性なのだが、中身は207歳のおばあさんだった。
しかし、俺の予想とは反して、見た目に関してはまったく魔法は使っていないとのこと。まあ、そうだよな。
赤黒く短い髪の上にある長くて細い耳は、兎の耳……だろうか。
しかし耳は普段から立てているのではなく、まるで落ち込んでいる時の獣人の子供のように垂れさげている。
獣人や獣にも色々な種類がいるように、才を持つ子にも色々な種類の獣の耳と尾を持つ者がいる。
もちろん、耳と尾は飾りなんてものなどではない。人間離れした五感を持っていて、もちろん普通の獣人よりも頭が良い。
才を持つ子と獣人の違いは、普通の獣人よりも色々な物事に鋭いことだ。
例えば他人の感情だったり、物事の小さな変化などにである。
そして、どんなに驚くようなことを知らされたとしても内心はともかく常に落ち着いているような性格だし、意識を常に周りに集中させている。
しかし、その中でも最大の違いが、魔法が使えるか使えないかである。獣人は魔力の数値が100以下で、多いものでも200程度しかない。
魔法を使える、もしくは魔力をうまく操作させられる最低限の数値は一万。獣人が魔法を使うのは、到底無理な話だろう。せいぜい魔道具を動かせるくらいか。
「さーて、エジルの命の恩人ねぇ」
マガネスは、顎を撫でながらそう呟いた。
若い見た目のくせに話し方や動作がいちいちおばさんくさい。まあ、年齢的にはそうなのかもしれないが、どうも違和感しか感じない。
「何が欲しい?」
唐突に聞かれた。
いや、何が欲しい? って、国王や貴族のセリフじゃあるまいし……。
「師匠、その聞き方はないでしょ」
「ふむ、そうかね? ならば聞き方を変えよう。あんたら、何か知りたいことや望むものはないかね? できるだけやってみよう」
やってみよう? ああ、魔術かなにかで、ってことか?
マガネスの言葉を聞いてロウが、いえ、と言う。そして俺の肩に手を置いた。
「2人の命を救ったのは、二度ともこいつです。俺は何もしてませんから」
「嘘つき父さんめ」
ん? という視線をロウが送ってきたので、俺も目を細めて言った。
「エジルさんの怪我の手当をして助けたのは父さんじゃないか。それでも何もしてないって?」
ああ、と、ロウは呑気に呟く。
「だがあの時はお前が運んでこなければ助かってなかっただろう?」
「ああ、もう! 相変わらず聞き分けが悪いぞ父さんは! 素直に自分の活躍を認めたらいいだろ!」
ああ………またやってしまった。
ロウは自分の活躍を他人に譲る癖があり、俺にとっては逆に迷惑極まりない。
俺はため息をついた。
「親子喧嘩かい。まあ、仲が良くていいんじゃないのかぇ?」
「どこがですか」
マガネスは、はっはっは、と声を上げて笑うと、ふぅっと息を吐いた。
「まあいずれにせよ、今回は許してやんな。何を望むかね?」
「……それじゃあ、ここを俺たちの拠点の一つにしてくださいませんか」
ライズとエジル、ロウの3人は目を丸くした。カルナは、え、という顔のままぽかんとしている。そんなに意外だったか。
マガネスはというと、ニヤニヤした顔のまま、理由を聞いてもいいかね、と言った。
「まず、合言葉を使っているくらいですので、俺たちがここを知ってしまったら危険でしょう。そこは少し疑問に思ってたんですが、あなたに会って、謎が解けました。あなたは俺たちがここに来るのを知っていたのに、のんびりと茶を飲んでいた。ということは、俺たちを信用していると見ていいんですよね。それと、コペル王国にも拠点が欲しかったんですよ。ここは景色も良いし、静かで良いところなので、いいかなと」
「なるほど、いいだろ。わかった」
「「え!?」」
マガネスは、また声をあげて笑った。
「気に入ったんだよ、なんとなくね。面白いねこの子は。だが、ここに出入りするからには、個人の合言葉を必要とするよ」
「個人? 紫の獅子は天を駆ける、ではなくて?」
「ああ、それはエジルさんとカルナの合言葉。俺は、青の獅子は水中を駆ける、だからね。まあ、使うのは何日か留守をしたあととかだけだけど」
なるほど、と、俺は心の中で呟いた。
「余計なことは言わんでいいよ。じゃあ、シノンとロウの2人は……″緑の獅子は草原を駆ける″、でいいかね?」
この二つを聞いて、俺は、はっとした。
その時頭に浮かんだのは、遠い記憶の中にある″合言葉″だ。
″青の獅子は水中を駆け抜け、金の獅子は光ごとく駆け、黒の獅子は闇を駆け抜け、緑の獅子は草原を駆け抜け、紫の獅子は天を駆け抜け、赤の獅子は炎を駆け抜け、そして黄の獅子は雷のごとく駆ける。7頭の獅子が揃いし時、暗闇の神を封印するだろう″。
なんだったかな……マガネス師に聞けばわかるかな。でも、みんながいる前でそんなこと聞けなかった。なぜか、聞かない方がいい気がしたのだ。
「緑の獅子は草原を駆ける、か。ありがとうございます、マガネス師」
「そうかしこまらんでもええさ。ロウ、そういえば……妹のリズミが世話になっとるのう」
俺とロウは、はっと顔をあげた。
リズミ師とは、ラトス皇国のリシュ山脈の麓にある村のはずれに暮らす魔術師のことである。
確かに言われてみれば、マガネス師にリズミ師の面影がないとは言えない。つまり……。
「リズミ師は、マガネス師の妹だったか……」
「そうさ。あいつは元気にしとるかね?」
「はい。1ヶ月ほど前に会った時には、健全でしたよ」
そうかいそうかい、と言いながら、マガネス師は満足げにうなずいていた。
さすがは魔術師、といったところだろうか。
俺たちがここに来ることも予知していたようだし、俺たちがリズミ師の知り合いだったことも見抜いた。こりゃ、本物だ。
普通の魔術師よりもレベルの高い者でも、予知や相手の心を見抜くことはできない。
相当な腕の魔術師だ、この人。リズミ師とはどれくらいの差があるんだろう……。
まあそれはさておき、先ほどからカルナの目線が気になるのだが……彼女を見ることができない……。
「シノン!」
「え、な、なに?」
いきなり声をかけられ、少し驚くもしっかりと返事を返す。
「シノンもここに来るようになるのか? 会う機会が増えて嬉しいぞ!」
ものすごい満面の笑みでそう言われると、そ、そうだな、と言わずにはいられない。……やっぱ可愛いな、カルナって。
カルナは今まで黙っていたくせに、すごいギャップの差だった。まあ、なんとなく元気がなかった気もしていたので、どちらかと言えば得であろう。
それに……出会った当初とは違うつぶらな瞳をこちらにぶつけられては、無視もできない。
「やった」
カルナは胸の前でガッツポーズをとった。
女の子だなぁ。と思いながら、俺はカルナを見つめた。
「まあ、今日はここで泊まっていくといいさ。今から街に行っても夜遅くなってしまう。好きなだけいればいいよ。エジルの幼馴染みで、命の恩人ときちゃあね」
マガネスはロウと俺に視線を向けながらそういうと、立ち上がって奥の部屋へ行ってしまった。
「じゃあ、俺も夕飯の野菜を畑に、採りに行こうかな」
「あ、私も行く。シノンも行くか?」
俺はロウを見た。彼はうなずいたので、許可を得られた。カルナに俺もうなずいて、3人で外へ出た。
この辺り一帯はマガネス師の敷地らしく、その範囲内の山菜や獣なら、自由に採ったり狩ったりしていいらしい。
ライズは現在23歳で、今は医術の勉強をしているそうだ。
博物学などの座学の才能はあるものの、技術系など体を使うものの才能は、全くもってないらしい。まあ、畑で野菜を育てる程度のものならばできるらしいが。
カルナの方は今まで同い年だと思っていたのだが、実際の年齢は13歳で、俺より一つ歳上だというのだから驚いた。カルナの方も驚いていた。てっきり俺が歳上だと思っていたらしい。身長はほとんど変わらないのにな。
アグリム山の麓の畑には意外にもいろんな種類の野菜があった。
他にも、山菜やキノコ、森の中なのに竹林もあってそこにはタケノコなどもあった。白菜、じゃがいも、レタス、人参などを収穫し、マガネス師の家に戻った。
今日は鍋だ。
早速ライズは夕飯作りを始めたが、俺とカルナは、ロウとエジル2二人に外に出るように言われたので、4人でもう一度下に降りた。
2人は俺たちから距離を取って、なぜか武器を構える。
なんとなく嫌な予感がして、いつでも戦闘できるよう体制をとった。
するとその予感は当たり、2人で一斉に俺……いや、カルナに向かって、短槍の突きを放ってきた。
俺は両手の剣で攻撃を防ぎ、2人の連続攻撃を受け流し続けた。
さすがに大人2人が相手では攻撃を仕掛けるどころか、防御すら難しい状態だった。しかも両方とも熟練の冒険者だし、不意打ちだったのも影響している。
……このままでは押され続ける。
ほんの一瞬だけ攻撃が緩んだ頃に、一気に距離を取って短く呪文を唱えた。
「『拘束』!」
俺はとっさに、結属性の束縛魔法で2人を拘束する。
たちまち彼らの動きは封じられ、俺はいきなり攻撃を仕掛けてきたファーザーズに叫んだ。
「どういうことだよ、父さん!」
「甘いぞ、シノン!」
は? 本当にどういうことだ? エジルまで揃って、俺たちを殺す気なのか?
いや、今更そんなことはないか。ロウの心の中に、悪意はない。
「むしろその反対………」
「シノン、大丈夫か? 怪我は?」
カルナが駆け寄ってきた。
「うん。大丈夫だよ。……『解放』」
彼らの拘束を解き、ロウとエジルに歩み寄った。
「……説明してもらうぞ、父さん」
「試させてもらった、シノン」
そう答えたのは、ロウではなくエジルだった。
「お前、カルナと一緒に2人で旅に出ろ」
「はあ?」
「なっ……!?」
何を言ってるんだ、この人たちは。カルナと2人で旅に出ろだなんて、そんな無茶な。
俺は旅には慣れてるし、カルナを連れていっても問題はないと思う。しかし問題があるのはカルナの方だ。彼女自身、子供だけで旅に出るだなんてさぞ不安だろうに。
それに、カルナは冒険者ではない。俺だって今のは最初から本気ではなかったから体制が整えられないまま防御に苦戦はしたが、彼女を魔獣やら盗賊なんかから――特に集団から、守りきれるだろうか。
更につけ加えれば、カルナは美しい美貌を持つ白髪に青い目を持つ子だ。奴隷商人なんかに目をつけられたらとんでもないことになる。
………ん? 待てよ? そうか。だからさっき、2人でいきなり襲ってきたのか。もしもこうしてカルナを襲う奴がいても、1人で守れるように。
でも、いったいなぜこんなことを? カルナと2人で旅に出る理由はなんだ?
「シノン、お前には、カルナを守ってほしいんだ。俺と一緒にいるよりも、安全だから」
「は? 何を言ってるんですか。意味がさっぱり……」
「俺たちにはちょっと深い事情があってな。俺とカルナが一緒にいれば、また命を狙われる。でも、お前がいてくれれば、きっと大丈夫なんだ。あまり迷惑はかけたくないのだが、やってくれるか?」
「2人でって、父さんは? 父さんはどうするんだ?」
「俺は、1人で旅をする。お前にとっても、色々と悪い話ではないはずだからな」
「…………はあー?」
まったく、自分勝手にも程がある。勝手に決められては、俺もカルナも困る。
だいたい、命を狙われてるのなら、目立たないここにいた方がいいのではないのか?
と、そんな考えを見透かしたかのように、エジルは言った。
「敵には魔術師がいる。そいつの能力で、俺の居場所がわかってしまうんだ。だが、カルナと別に行動をすれば、こいつは危険な目に遭わなくて済む。敵の狙いは、こいつだから。こいつだけここに残れっていっても、聞かないのでな」
……ふむ。理解はできた。だが了解するには……。
「カルナ、お前はどうだ?」
エジルが聞いたので、俺は後ろにいたカルナを見た。カルナは口を固く結んで、うつむきながらうなずいた。
ん? 泣いてる? ……わけでもなさそうだな。
ゆっくり顔を上げると、カルナの顔が赤かった。
ふぇ? おいおい、大丈夫か、カルナ?
「お、おい、顔が赤いぞ?」
はっとしてカルナは、またうつむいてしまった。
「だ、大丈夫だ! 平気だから!」
本当かと疑ったが、大丈夫だと言い張るのならそれ以上何かを言うつもりはなかった。
「よし、決まりだな」
「シノン、カルナを、頼む」
エジルが頭をさげた。
「……わかりましたよ。了解しました」
「よ、よろしく、シノン」
そう小声で呟いたカルナを、なぜか俺は見ることができなかった。
2018年7月22日、修正しました。